ゆきて帰りし物語
駆ける、駆ける、駆ける。
趙雲は赤い街道――赤煉瓦で舗装された街道の俗称である――を駆ける。
換え馬を併走させるのは如南大返し以来だろうか。
まあ、主君たる紀霊の愛馬たる烈風を借り受けているので、それなりに緊張感はある。
流石に長距離追撃に、趙雲の愛馬である白龍だけでは無理と踏んだ紀霊からの申し出であった。
蜀の軍勢、或いは群衆に突入してからも誰何の声はない。
それも当然のこと。頭巾を深く、手には青龍偃月刀。
身元は保証されたようなものである。
だからこうしてゆっくりと羹を口にできるし、愛馬たちにもたっぷりと秣と休息を与えることができている。
孫子曰くというやつだなと思いながら浅い眠りに身を委ねる。
なに、まだ慌てるような段階ではない。なにせ劉備とその伴侶たる御使いは民と共に歩を進めているらしいから。
そこは尻に帆で然るべきだろうと個人的に思うが、それができないのだろうなと推測する。
まあ、知ったことではない。
なにせ自分から志願した任務だ。果たさなければならない。
ぐびり、と手元の水を煽り。
そういえば酒精をここ最近口にしていないなと笑みを深めるのだった。
◆◆◆
駆ける、駆ける、駆けた。
どうやら追いついた。
群衆の歩みは遅々として、機動力が売りの騎馬も駄馬となる。
むしろ荷馬として。
群衆を率いる物資をきちんと運搬しているのは好感ひとつ、である。
だがそれもここまで、だ。
いよいよその時が来た。
「やっと追いついたか」
そう、ここからは首狩りこそが本命。
「ま、腹が減っては戦はできぬ、らしいからな」
すっかり手になじんだ青龍偃月刀を大地に刻み、目を閉じる。
◆◆◆
「ここから先は通さないのだ!」
気炎万丈たる張飛。
かつてならばその意気に感動していただろう。
その武威に納得していただろう。
だが今は違う。
思えば、彼女は格上と矛を交えることもなく、ただ強いだけであったのだな、と。
ただ、強くあっただけなのだなと。
ギュ、と得物を握り、せめて言の葉を。
「久しいな鈴々。このような形で久闊を除したくはなかったがね」
「うるさいのだ!ここは通さないのだ!
愛紗の仇は、願いは果たすのだ!」
劉備と北郷一刀を逃がした上で吠える張飛。
なるほど、本能的には理解しているのだろう。
覆すことのできない実力差というやつを。
「民を盾に騎乗であればこうまで容易く、こうはならなかったのにな」
その言に張飛は激昂する。
「そんなこと!するわけないのだ!
そんなことを言うのは!」
蛇矛を振りかぶり。
「あ」
張飛が何かを口にしようとするが。
「御免」
とすり、と胸には青龍偃月刀が。
無拍子。
「それは、本当によくない」
せめてもの情けとばかりに趙雲は、首を切り飛ばす。
「生の感情で戦ってはいけない。なるほど、なるほどな。
だが、それでも私は、某はそこを大事にしていきたいと思うが。
これも傲慢というやつになるのかな」
応える者もなく、趙雲はため息を一つ漏らす。
「さて、これもお役目、と言えればよかったのだが。
感傷というやつはどうにもならんのだろうな」
そして前を向く。
◆◆◆
駆ける、駆ける、駆ける。
そして、果たす。
そこに達成感なぞなく。
「いっそ本当に。
どこか遠いところに逃げていてくれれば、とも思ったこともあるがな」
戯言である。
「今はただ、主に会いたい。
それだけだな。
ああ、そうだな、今、某の心を占めているのは……」
悲しみ。怒り。諦め。
歩を進める。
蛇矛で、せめて。
或いは青龍偃月刀だろうか。
逃げる彼女らを討ち果たす。
否、首を刈る。
高揚感なぞなく、果たしたという安堵だけがあった。
そう、安堵があった。
それを知って趙雲は、人知れず泣いた。泣いたのだ。
そして、帰還した。
そう、帰った。
帰る場所は、ひとつなのだ。
その一言で、すべては癒される。
「星、おかえり」
その一言で。