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趙雲千里行

「郭嘉、程立参上いたしました」


 どっかりとふんぞりかえる紀霊に、軍師二人が恭しく頭を下げる。

 そして郭嘉は不快気に鼻を鳴らし、程立はくふふ、と笑みを漏らす。

 二人の視線は好意的とはけして言えず、その人物を貫く。即ち、かつて関羽と呼ばれていた存在を、だ。

 何故この場に彼女がいるのか、などという問いを郭嘉は発しない。この北伐の始末。それに必要な材料であるからだろうと見当をつける。そして、その、姓も名も、字も真名も奪われた哀れな存在の悄然とした有様に僅かに憐憫を覚える。


 閑話休題それはさておき

 紀霊とは何者か。そう問われれば郭嘉は迷いなく答えるであろう。「人たらし」であると。


 敵も味方も、彼に接すれば老若男女を問わずに彼を好ましく思ってしまうのだ。そう、政敵――かつての何進や今の曹操――であっても、だ。

 更に言えば、彼の魅力に籠絡される人物の多いことよ――無論自分を含めてだが――と郭嘉は内心苦笑する。


 そうだ。紀霊の、なんとも言えない魅力をもってすれば彼女を籠絡することも――時間を要しただろうが――可能だったはずだ。

 そして、そんな紀霊。彼が全力で心を折りに行けばどうなる。それはつまり、ご覧の有様というやつである。


「ぽきり、といっちゃったみたいですね~」


 くふふ、と笑う親友。

 どこか空恐ろしいものを感じながらも郭嘉は辛うじて鉄面皮を保つ。

 郭嘉が口を開く前に問題の人物が。


「二人ともよく来てくれた。これから、この北伐の始末をつけようと思う。ああ、この字伏は気にしない方向で」


 見れば涼しい顔をして趙雲は紀霊の傍――字伏と紀霊の中間――に立っている。おかしな気を起こしても趙雲ならば指一本触れさせないであろう。まずはそこに安心し、郭嘉は気を引き締める。戦争というものは始めるよりも終わらせる方がずっと難しい。その終着点をどうするか。それがこの場で決められるのだからして。


◆◆◆


「これ以上蜀なぞと名乗る賊軍に付き合う必要はありません。そう主張していましたからね。ここで軍を引くことにも否やはありません。

 しかし、首魁たる天の御使いを僭称する男、おぞましくも帝を名乗る女。

 それらを放置してどう始末をつけるつもりですか」


 その視線は、絶対零度の刃となって俺を切り裂くがごとく苛烈である。

 まあ、退くならばもっと早くしとけってことよね。

 だってしょうがないじゃない、相手が恋なんだもの。

 戦略とか戦術とか、普通にひっくり返すのよあの子。

 だって呂布だもの。

 とは言え。


「んー?言ってる意味がよくわからんね。

 大勝利!完全勝利!武勲が増えるよやったね稟ちゃんさん!」


「二郎殿。貴方は何を言っているのですか。理解に苦しみます。寝ぼけているならばゆっくりとお休みになってください。

 ええ、戦後処理は風と私で片づけておきますから」


 やだ……。ぴくりとも表情筋に仕事させずに威圧してくるじゃん……。コワイ!


「寝ぼけてもないし、処理を任せきるつもりもない。

 重ねて言う。北伐軍は大勝利。北郷一刀と劉備は見事討ち取り、股肱の臣たる、かつて関羽と呼ばれていた字伏も膝をついた。

 いやあ、大勝利ですねえ」


 ニヤニヤと笑いながら言うと、さしもの稟ちゃんさんも押し黙る。


「――正気ですか」


「正気だとも。本気だとも。なに、そこの字伏が証明してくれるよ。かつて仕えていた主は死んだ、もういない、ってね」


「――流石にそれだけでは説得力がないでしょう」


「そうかな?何せ義の人ということになってるしー。それに……。

 これから星が単騎で彼奴らを討ち取ることになってるしな!」


 まあ、十日も星がそこらへんで時間を潰してから帰ってきて、「討ち取ったりー」とか言えばそれで済むのだ。済むのである。どうせ今回は軍監とか意図的に排除してるし。

 何か言いたげな稟ちゃんさんに風がくふふ、と笑いながら語りかける。


「此度の北伐。それは勝利を約束されていたのです。いえ、勝利せねばならなかったと言うべきでしょか~。

 そして大筋においてそれは達せられていますし~。

 ええ、何も問題はないですね~」


 そういうことさ。例え俺が生きようと死のうと漢朝の威光のために北伐は勝利という名のもとに幕を閉じる。閉じねばならないのだ。


「詭弁を……!そこな字伏の主が恥も外聞もなく救出に来たら?或いはまた軍を率いて来たらば何としますか!」


 怒号と言っていいほどに語気を荒げた、稟ちゃんさんの言葉に俺は苦笑する。


「その時はそこの字伏が率先して首を刎ねに行くよ」


 ぴくり、と一瞬肩を震わせたのを見て、もうちょっと心を折らんといかんかなーとか思ったり。あんなに丁寧に言い聞かせて、覚悟させてたはずなのになー。

 天の御使いとか劉備がもっぺん中華にちょっかいをかけてきて、捕えられたらどうなるか。

残酷な刑というのは、多分全世界でこの中華が徹頭徹尾最前線だ。いやあ、文明というやつですよ。興味のある人はググってくださいませ。

 だったらお前の手で苦痛なく逝かせてやれってことです、はい。だからまあ、天の御使いとかが幾度叛乱を起こしても、「またか」で済むし。むしろ、魔王的な俺に囚われた救出対象に討ち取られてねえどんな気持ち?どんな気持ち?って感じである。

 裏切ったらそれはそれで……。七乃がハッスルするだけである。いやあ、死んだ方がマシな状況は65,535パターンくらいあるそうですよ……。七乃が言うと冗談に聞こえないから怖いね!いや、冗談……だよ……な……?


「つまり、俺たちは漢朝の威光のためにも完全勝利以外の結果は許されないってこったよ。

 まあ、俺の現況が瑕瑾ではあるけどな。だがそれは大した問題じゃない。

 勝利を以て漢朝の威光を、破邪顕正を示すことができればそれでいいのさ」


「――幸いにしてほぼすべての戦場で北伐軍は勝利してますしね~。

 めでたし、めでたしというわけですよ」


 くふふと笑う風の頭をわしゃわしゃと撫で上げてやる。流石メイン軍師。俺の言いたいことを代弁してくれる。

 つまり、勝敗というものは曖昧なモノ。そしてそれを定義することができるのだ、俺は。俺たちは。だから勝った。それでいい。それで世は治まる。乱れたらそんときゃそんときのことさ。


「だから、ちょっと星にはおつかいを頼まんといかんけどな」


 俺の言葉に星は不敵に笑い、深く頷く。


「そうだな。そうさな、十日か、それくらいあれば十分だろうよ」


 おや?思った以上に乗り気である。

 面倒くさいとばかりに難航する案件だと思っていたのだが。


 目を白黒させる俺に星は艶然と、不敵に微笑む。

 その笑み。不敵で無敵な天下無双。


「きっちりと天の御使いと劉備を討ち取ってこようと言うのだ。

 なに、ちょっとしたおつかいだろう?

 ちゃあんと、無辜の民には毛ほども傷を負わせないとも」


「ええと、そうだな。俺が言ったのは便宜上の方便というか、な。分かってるのだろう?」


 慌てる俺の様子を可笑しげに笑い、ちゅ、と口づけをし。


 ――星のその顔は凛々しく、雄々しく。その笑みは華麗で。


「分かるともさ。これはそれがしのけじめ。その機会だということだ。

 あの日あの時あの場所で、それがしが主の悋気を逸らした。

 その結果がこれだ。このありさまだ。

 それがしの軽挙がこの状況を招いたと言ってもいい。

 だから……けじめをつける。

 つけねばならないのだ」


 そう言って星は笑みを深める。

 その笑みが痛々しい。きっとずっと。ずっと気に病んでいたのだろう。

 あの時、北郷一刀を庇ったことを。


「なに、すぐに帰ってくる。それがしの帰るところは……」


 きゅ、と俺を抱きしめてすりすりと頬を。

 そして何やら字伏に耳打ちし、得物を奪う。


 そして見栄を切る。


「はーはっは!せめて、よおく見知った青龍偃月刀。命を絶たれるならばそれが情けというものだろうよ!

 ――国士無双、趙子龍。参る!」


◆◆◆


 ――そうして、ちょうど十日後。

 帰還した星の手には蛇矛。かの張飛の得物である。

 それを見て、関羽と呼ばれていた女は泣き崩れた。


 つまりは、そういうことである。

 そうして、北伐は幕を閉じた。閉じたのである。

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[良い点] 面白い [一言] >65,535パターン 中華の拷問術は昇華されて日本で息づいたからな…… なにせ拷問書に「ここまでやっても絶対死なない」「大の大人は苦痛に苦しみ3~5日で死ぬので見せしめ…
[一言] まあ妥当なとこかと。ぶっちゃけ董卓&賈詡とは状況も本人たちの覚悟も違いすぎるので‥‥‥。董卓達の場合彼女らが逃げる方向に判断してれば逃がすこともできたろうけど、本人が望まなかったし部下の助命…
[気になる点] 韓浩を死に追いやった孔明が、過労死とはいえ満足げに逝ったのが残念というか……もっと絶望と後悔にのたうち回っての憤死くらいまで追い込んでほしかった。 劉備と北郷に対しても、それで済むなら…
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