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墜ちし月への餞を

真名。それはこの世界においてその人の存在を示すモノ。

真名。それはこの世界において許しなく口にすると問答無用で殺されても文句を言えないモノ。

真名。それを奪われるということは人としての尊厳、それを奪われると同じほどに重いモノ。


「全く……前代未聞ですよ」


「空前絶後でしょねー。名を奪い、字を奪い、真名をすら奪う。いっそ死を賜った方がましなんでしょうが……」


苛烈、と言っていいだろうと郭嘉は思う。法を司る曹操に諮ることもなく独断で下したその決定。

それは紀霊の、此度の蜀と名乗る不逞の賊軍に対する憤りを内包しているに違いない。


「にしても、姓名どころか真名まで奪うとは……。

そのような暴挙……!」


焚書、肉刑すら可愛く思えるほどのことであるのだ。


「州牧代理を自己都合で殺し、その罪を糾弾されると開きなおる。

 あげく、自らが皇帝を僭称する。いや、これは首謀者ではなくともその量刑、死ですら生ぬるいでしょう。

 二郎さんの裁定、考えてみればですが。

割と妥当じゃないかなと風は思うのですよ~」


くふふ、と笑う程立に郭嘉は柳眉を逆立てる。


「にしても、あまりと言えばあまり。これから、かつて関羽と呼ばれていた存在――今は字伏と言ったのですか――は生涯その尊厳、誇り。それらを全否定されることになります。

いっそ死を賜る方が温情というものでしょう」


郭嘉はこれで名門の生まれである。その、実家の人脈コネ、しがらみが煩わしくて名を偽り放浪するくらいのお転婆――紀霊談――ではあったのだが。

いや、だからこそ紀霊の裁定には思うところは少なくない。

そのような無体、董卓にだってしたことはなかったのだ。


「――あ」


――すとん、と胸に落ちた。


「そですね。稟ちゃん。

  二郎さんはとっても優しくて、そうして、本当に甘いお方なのですよ」


 程立の声に郭嘉は頷く。項垂れる。

 一体、自分はあの青年のお気楽な笑顔の裏にある葛藤を、苦悩や煩悶を。どれだけ斟酌できていたのかと。


「思えば、です。

 ほんと、賈駆さんは愛されてたと思うのですよね~」


 賈駆。そして董卓一派。


「……なるほど。畏れ多くも禁裏を血に濡らしての宦官誅殺が市井にまで知れ渡っていること。適切に対処した二郎殿が、です。

 魔王なぞという悪名が広がる。いかにも不自然です」


 ――ひどいものに至っては劉協や皇甫嵩を誅殺したのだという言説まで流布している。その紀霊の悪名に隠れて意外なほどに董卓一派については気にする者は少ない。少なくなった。


「悪名をもって悪名を制す。

 そして彼女らはその死を以て将兵を救い、満足して死んでいったというわけですか。

 ――全く、度し難い」


 思えば、風説の流布や制御こそが彼の最も得意とする手法。そしてその傍には張勲という情報処理の専門家エキスパートがいるのだ。手足となる張家がいるのだ。


「本当に。度し難い」


 もや、と何か不愉快なものがこみ上げてくる。


「くふふ。清廉な英雄については星ちゃんが受け継いでくれましたからね。

 まあ、それについて星ちゃんも色々と思う所があったみたいですが~」


「風、貴女は!」


 郭嘉が語気を荒げるもどこ吹く風。


「さて、そろそろ参りましょか~?」


 そう。軍師二人と天下無双。奇しくも荒野を彷徨っていた三人とその拾い主。

 その四人で今後の方策が話し合われるのだ。それは北伐の始末だけでなく、中華全土の行方すら左右するであろう。


「天下の差配すら思うが儘。宿願が叶ってよかったですね?」


 茶化す程立をうるさいとばかりにこづく。優しく、一つ。


「おお、ひどいひどい。卑しくも軍師ならば口舌にて掣肘を加えるべきと思うのですが~」


「言ってなさい。まあ、私たちのやるべきことは決まっていますが」


 此度の戦で晒した不様。それをあの青年の責とさせるわけにはいかない。それは二人に共通した認識である。


「……あの方はまだ。

 まだまだ漢朝に必要なのですから」


 常のように淡々と呟く郭嘉。程立はくふふ、と笑みを漏らすのみであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 月たちへの批難は二郎さんの悪名で打ち消してたんですね…… 北伐は成りましたが首謀者二人の首を上げられなかったのは二郎さんへの攻撃材料にされる恐れががががが…… 軍師二人はその汚点をどうやっ…
[良い点] 権力を用いる者にとっては、悪名は時に美名よりよほど役にたつ看板ですよね。 特に、歴史の積み重ねの中で特権に馴れて国家体制を蝕む存在になった者たちがまだまだ蔓延っている時勢では。 [一言] …
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