ぴえんだよう。白眉と持て囃される名家出身の秀才が私の職場に来たら、あらゆる書面をチェックしだして重箱の隅をつつく感じで激務の惨状! あの白粉ブス、死ねばいいのに。と思っても言えない私の未来はどっちだ。
火を、灯す。
黎明にはまだ遠い。
未明の闇の中で覚醒する。
伸びをひとつ。
全身の疲労、そして損傷がないことを確認し、笑みを浮かべる。
貼り付けるにはまだ早い。
「よいしょっと」
整える。身体を整える。心は既に整っている。
伸ばす、縮める、可動を確かめる。全身で夜気を吸い、ゆっくりと放出する。
その息は、熱く、厚く。
内なる熱気を細く長く、吐く。
整える。
身支度。或いは儀式。
そして整えていく。馬良という存在に自身を染めていく。
確認していく。没入していく。
白粉で顔を覆い、分厚い眼鏡を手に取る。
そして仕上げは眉を白く染めること。
そうして馬良という人格は覚醒するのだ。
完成するのだ。
諜報員の上位者、統括者にとって諜報員の技術そのものは必須ではない。
だが、張勲はその技術についても卓越していた。
体術こそ弟に及ばないが、それこそ余技である。
つまり、やはり彼女は張家という集団。その最高傑作であった。
◆◆◆
草、という存在がある。
世代をまたいでの諜報。
馬良という存在はその一つ。
実在する存在になりかわることこそが成功の秘訣である。
だからこそ、成功は約束されていて、成功している。
張家の張り巡らした糸は、かように根深いのだ。
鏡の前で笑みを一つ。
そして、整える。
人格を更に整える。
白眉。名家たる馬家。そこで最も優れたる馬良としての人格を整える。
これよりは蜀の能吏にて忠臣。引っ込み思案で完璧主義者。
「そんな存在に私はなりたい」
その願望までが捏造。全てが捏造、借り物。
だからこそ、張勲はより深く人格を宿す。
馬良という人格を演じるのではない。
投影するのだ。
◆◆◆
「どうぞ」
黎明。執務室にて意識を断っていた諸葛亮。
書類によだれの跡が見える。なんと尊いことか。
慌てる彼女に馬良が差し出したのは火酒である。
馬良は信じて疑わない。起き抜けにはこれが一番だと。
「ささ、ぐぐーっとやってくださいませ。
眠気を払うにはこれが一番ですよ。
政務は、案件は待ってくれませんものね」
にこやかに杯に火酒を注ぐ。
「でもまあ、ちょっと口当たりがよくないですものね。
でもご安心ください!
これをこうして、こうすれば、どんどんいけますよ!」
そう言って柑橘の果汁を注ぐ。水晶めいた透明な液体。それを白濁した果汁が玻璃の器で溶けていく。
その香りは、清冽、華やか。湧く、活力。
にこやかに差し出す。
「どうぞ!」
よかれと思って。
◆◆◆
ぷはぁ、と吐息を一つ。
熱い吐息を続けて漏らして諸葛亮は続けて喉を炎に晒す。
その炎が意識を覚醒させてくれるのだ。
なるほど、火酒とはよく言ったものだ。その炎の明るさは日の光と同等に覚醒を助長してくれるのだ。
そして、柑橘の爽やかな香り。これは確かに段違いに飲みやすい。
馬良は流石だと思いつつ諸葛亮は目の前の書類に取りかかる。
意識を切り替える。蜀の丞相としての自覚。それは誰に言われるものでもない。
ごく自然なものである。
うずたかく積まれた書類に取りかかる。
半分は未決済書類。半分は書式の整っていない書類の修正確認。
これも馬良が身を尽くして整えてくれたものだ。
蜀は立ち上げて間もない未熟な組織である。
当然、官僚組織についても既存のものを流用するしかなかった。
多くの官僚は出奔したものの、その一部は残ってくれたのだ。
これは大きかった。
これこそ劉備の人徳、いやさ大徳の証明などと思ったものだが。
だがしかし、その品質においては千差万別。もっと言えば質的には貧弱と言っていいだろう。
それを支えていたのは諸葛亮その人であると言っても過言でもない。
彼女は驚異的な処理能力を万全に発揮し、ありとあらゆる書類を最善な形で処理していたのだ。
流石に蜀という国家を運営するにあたっては、全てに目を通すことはできていなかったのだが。
ここにきて、それを整えてくれる存在がいる。いるのだ。
「おかわりですか?どうぞ」
苦笑し冷水を煽る。
甘い、果実――これは梨か、或いは桃か――の味わいと香りに癒やされる。炎で灼かれた喉が潤うようだ。
意識が広がる。指先まで、過不足なく動くのを感じる。
気力が満ちていく。
「お疲れであればお休みされた方がよいのでは」
そんな言葉。それすらも心地よく響く。
だが、それでも。
「そうもいきません。
ご承知の通り、劉家の戦況を支えるのは私達の献身なのですから」
◆◆◆
勇ましい宣言。
諸葛亮は流石と言うべきだろう。
日が傾く前に積まれた案件を全て処理していたのだ。
そしてそこからは馬良の時間である。
諸葛亮の指示を確認し関係各部署に伝達し即時の対応を迫る。
書面での不備は幾度でも糺し、書式を美しく保つことも忘れない。
後で閲覧する人に対して、監査する者に対して、一切を明らかにするためである。
そう言われれば、そしてその言の論者が馬良ならば反論の余地はない。
かくして、蜀の内務は美しくその書式を整えており、その一切を読み解くことが容易となっていた。
激務に入れ替わる官僚が問題なく対処するその体制。
質・量ともに貧弱であった蜀という体制を存続させたのは
諸葛亮という卓越した行政官と、それを支えた馬良の存在が大きいであろう。
◆◆◆
「いけません、ここの書式は揃えてください。
続いて、この表現は前段の表現と並んで諸葛亮様の推奨に置き換えて下さい。
ここ、誤字が酷い。貴方の書類は複数の担当に確認させて下さい。
勿論確認した責任者は書類に印を押すこと。
ああ、この書式は丁寧で素晴らしいですね。再現性も容易ですし。
君、この書式を明日からの書類に水平展開して。
十日程度を猶予期間として、この書式でない書類は差し戻しにするから。
ええ?諸葛亮様の裁可?
これからいただくけど、それが何か?
君は過去にしか興味が無いのね、禍根でしかないわね。
今蜀は新しい時代に向けて皆頑張っているんだよ君は何を立ち止まっているの?
もっと頑張って、熱くなって。
ほら、他人事じゃないんだよ。他人事と思っているでしょ君は。
だってそうじゃないと合点がいかないじゃない。
そうじゃないならなにかで示してよ。
君が頑張っているって信じたいけど今君は何をしているの。
君は何をやっているの、君は何ができるの。
そう、提案がない理想がない知性がない品性がない速度もない何もない。
せめて形式だけは整えて、お願いだから」
馬良は能吏である。
きちんとした書類をきちんとした書式で――その指摘は微に入り細にわたる――運用させることに成功したのだからして。
だからこそ、後世においての評価が揺るぎないのである。
その評価。
ただ、「能吏」とだけ。
 




