万夫不当VS一騎当千
火をおこす。
手持ちの食材を漁る紀霊は哀しみの中にいた。
呂布に背を向ける、それはいい。どうせ相対しても稼げる時間は数秒程度だろうから。
諦観、それもある。
いざ呂布と向かい合うと、武力では勝てないという事実がのしかかる。持てる全てを尽くしても届かない。
それだけ隔絶している。実際に手合わせしたからこそ紀霊はそれを理解していた。
だがしかし、現実はいつだって非情で、近寄る呂布の足音に紀霊はなにもできない。
ここまでか、とため息一つ。
「大丈夫、二郎。痛くしないから」
「せめて俺の作る飯くらい食べてからにしてほしかったなあ」
「ごめんね、二郎」
ただ一つの活路、食への執着すら通じず。
「すまんな、詠ちゃんからも恋にはよろしくしてくれと頼まれていたんだが。
実際何もできてなかったな。
詠ちゃんに、何か伝言あれば承るよ」
その言葉に初めて呂布の足が止まる。
無言、無音、静謐。
数瞬、数秒、或いは数分。
その沈黙の後に呂布は口を開く。
「よく、わからない。
でも、ごめんね、二郎」
そう言って呂布は武器を振りかぶり―――赤い閃光が走った。
◆◆◆
飛ぶが如く。
駆ける、駆ける。全速力とはこのこととばかり。愛馬烈風もこの時が全てとばかりに疾走する。
間に合う、という不思議な確信がある。程立から託された言葉。
「風は最善を尽くしました。そして辿り着きました。後は星ちゃんのお仕事です。
こればっかりはお任せするしかないですからね~」
脳裏に浮かんだ親友の声。
そして馬上に立ち、舞う。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
趙雲を評した紀霊の言である。
「貫け、龍牙!」
投擲された愛槍は閃光となり呂布に向かう。
まさに必殺の一撃。
そう、必殺の一撃であったはずである。
標的が呂布でなかったならば。
◆◆◆
ギィン、と金属音が響く。
飛来した槍を呂布が弾いた音である。
それを理解した紀霊は手元の三尖刀を投げる。
無論、駆けつけた趙雲に。
それを華麗に受け取り一振り、二振り。そして得心したとばかりに笑み、構える。
万夫不当と一騎当千。
それがいよいよ相対するのだ。
◆◆◆
コォォォォ、と音響を立てて趙雲は息を吐く。
それは後世、息吹と呼称されるもの。
呼気を落ち着かせ、改めて呂布と向かい合う。
畏れは、ない。昂ぶりも、ない。
ただ、十全なのを自覚する。
明鏡止水。
落ちる水の一滴すら明瞭に見えるそのままに歩を進める。
そして無造作に尽きだした一撃が呂布の腹を穿つ。
更に、連撃。躱す呂布こそ流石というもの。
「無拍子、というやつだ。ふむ。辿り着いてみれば、どうということはないものだな」
あらゆる予備動作、気の動きすら遮断して。無造作に襲うその一撃は武の極み。
相手の動向を捉え超反応する呂布にはいかにも相性が悪い。いや、致命的と言っていいだろう。
だが、それでも。
「ご主人様……」
急速に抜けていく力。流れ出す血流。だが、あと二撃方天画戟を振るえばそれで済む。
ぐい、と腹に食い込む三尖刀を掴む。
「ぬ?」
「捕まえた……」
そして、容赦なく方天画戟を趙雲に振るう。これで一撃。そしてもう一撃を紀霊に振るえばそれでいいと。
だが、趙雲はその上を行く。
「ふぅ……。硬気功がなかったら危なかったな……」
呂布の渾身の一撃を趙雲は防ぐ。こともあろうに素手で!
それでも武器さえ与えなければ趙雲とて徒手空拳。どうとでもなる。
呂布は、おおきくふりかぶって。
「四十八の殺人技の一つ、地獄突き」
喉を趙雲の手刀が貫く。そして呂布は、その苦痛に思考回路が追い付かない。
無拍子で放たれた一撃。
それを呂布は防ぐどころか反応することすら出来ない。
「ご……ほ!」
いかなる鍛錬でも克服できない。故に、急所と言う。
「裏、四十八手――菩薩掌」
ぱぁん、と音が響き、ぐらりと世界が揺れる。呂布は知らない。それが鼓膜が破れる音だと、感覚だと。脳が揺れ、世界が歪む。
五感の鋭さで世界に君臨した呂布がその寄る辺を喪い、途方にくれる逡巡。
「そして、十二の禁じ手が一つ。
――裸締め」
いわゆる、スリーパーホールド。呂布の後ろに回り込み、その首を締め上げて――。
締め上げと同時に。傾き、天から地へと堕とす。
捻りを加えて。
ごきり、と鈍い音が響けば。
「あ――」
呂布が、最期にその眼に見たのは、透きとおるような蒼天であった。




