呂、来々
夜の帳が落ちて、人の手による灯りが闇を照らしていく。
つまり、そういうことだ。夜襲のお時間だ。
恋が来るとしたらこういう夜だ。それは間違いない。
かつてあった反董卓連合では、そこいらへんをうまく調整できていたんだけどね。
阿吽の呼吸、まではいかないまでも。詠ちゃんとは離れていても通じ合っていたと確信している。いた。
あちらにしたって、昼夜問わずの継戦は不可能だったろうから。
そしてこちらとしても、慣れぬ夜戦、築けぬ連携のもとでは犠牲はとんでもないことになっていたはずだ。
まあ、感傷というやつかもしれない。
「まあ、二郎が鬱々としているのも分かるのだけれどもね。
どうせなら火酒くらい用意しといてほしいものね。
豪奢な盃を手に、注がれるのが白湯とか興醒めもいいとこよ」
「そうは言うがな華琳、いざというときに前後不覚とかありえんだろうよ」
「何を言っているのかしらね。どうせ呂布が来たら、二郎が酔っていようが素面だろうが大して違いはないわよ」
それはそうなんだろうけどなあ。流石に流琉と凪が張り詰めた感じで警戒している前で飲んだくれるわけにもいかんだろ。
そして、流石にこれでも武人の端くれである。という思いもあったりする。
いや、本当に端くれではあるという自覚はあるのだけれどもね。
「夜陰にまぎれて、というのが一番怖いというのには同意するわ。
でもね、おそらくそれはない。だからさっさと寝ときなさい。
まあ、私の推察にどう信を置くかは興味深いけどね」
曹操はそう嘯きながらも、横になることもなく静かに杯を傾けていた。特等席でありながら、参戦者。観戦者でいるには惜しい。詩の一つでも吟じたいくらいに、高揚。
滾る覇気を隠しもせずにその時を迎える。
この時曹操の言に、特に論拠や確信があったわけではない。単に獣は夜には眠るものだろうという浅い推察があっただけである。
そして、多少なりとも軍を率いた経験があるのならば、思いつかないことでもある。
そう、呂布の動きとはそういうものであるという認識。
そしてそれは現実となる。
万夫不当。呂布、来たる。
◆◆◆
楽進は驚くほど穏やかに相手を見やる。
事前に聞かされていた以上に、その存在感は無に近く、それでいて無限大。
なるほど、それこそが呂布であるのであろう。
丹田から気を練り上げ、万全の体勢を整える。満たされた今が最高潮。その確信で備える。
傍らで備える相棒――典韋は更に昂ぶっていて。
吠える。吠えた。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!」
気勢に乗り、突撃する。
場の誰もが虚を突かれたそれは、まさに絶妙。そして必殺。
獣を仕留める必殺の呼吸。
得物を振りかぶり、最大最強の一撃を食らわせんとす。
その動きに楽進は連動する。
典韋が動いたのだ。
それは、機なのだ。
ならば連動し、場を整えるべし。
いやさ、討ち取るべし。
既にこの場にいる、対敵が呂布であることを疑うべくもなく。
「行け、乾坤圏!」
発された拳から放たれるは神器。かの封神演義で幾多の活躍をした神器である。
放たれて尚、その威力からか不規則な鋭角を描き呂布を襲う。
そしてそれを追って、楽進は気を練り上げ、放つ。
「断空砲!乱れ打ちぃ!」
双の拳から無数に放たれるそれ。
一撃でも必殺の威力に流石の呂布が身を躱す。
「そこおっ!」
典韋の渾身の一撃。
常の呂布であれば片手で受け止め、片手で処していたろうが。
「ちいっ!」
死角からの乾坤圏を方天画戟で弾く。
それを好機とみて典韋は渾身の一撃をたたき込む。膂力には定評がある。
死角よりの一撃。必殺の一撃。が。
「それはもう見た。遅い」
瞬く隙で返した拳が典韋を襲い、一撃で無力化する。
それでも、典韋は朦朧とする中で呂布の腕を掴む。それはまさに執念。
自然、気を取られたその刹那。
「断空光牙拳!」
渾身の一撃が呂布を襲う。
「くっ!」
一撃でも必殺の威力に流石の呂布も身を躱す。
「鬱陶しい……」
必殺の一撃、それを。繰り出す前に手首を捕まれたのだ。
爛々とした眼光で獰猛に笑む呂布。
ぎちち、と軋む骨の音。握撃。折れる、折られる。その前に!
「断空砲!零式!」
咄嗟に放った溜めなしの気弾。
直撃したはずだ……が、その笑みは翳らず。
「つかまえた……」
ぎしり、と握られた腕は振り払うこともできず。
抱きかかえられた。双の腕で。
そして拳一つ。
腹部を撃ち抜いた一撃で沈む。
◆◆◆
とどめを刺すか、本命に移るか。
呂布は逡巡し、本命を選ぶ。
「私を無視するとは、いい度胸ね」
虚勢である。
曹操はそれでも胸を張る。
痩身、矮躯と後世に伝わるが、現時点での曹操の戦闘力は純粋に紀霊を上回るほどのものである。
剛柔併せ持ち、まずは達人と言っていいほどの腕前。それでも鎧袖一触とはこのこと。
まともな打ち合いすらなく、腹を蹴られて失神する。
「やれやれ、困ったものだな。
恋よ、まさかお前とこうなるとはね」
苦笑気味に紀霊は呟く。
「大丈夫、二郎。痛くしないから。
安心して」
そうじゃねえんだよなあ、と紀霊は苦笑する。
「だがまあ、ただでやられるわけにもいかねえしな、とは言うかだ。
恋よ、お前は大丈夫か?おなか減ってないか?
干し肉とか味気ないだろう、なんなら鍋で美味しいとこ作ってやるぞ?」
緊張なぞない仕草で紀霊は手元の鍋に火をおこす。
カチ、カチと火打ち石が火花を散らし、それは来る。
赤い閃光。
◆◆◆
凪いだ戦場に、ちり、と焦りを覚える。
程立はどちらかと言えば謀士寄りの軍師である。
それを紀霊に重用されているのであるが、いざ戦場となれば歴戦の陳宮には一歩譲る。
それを互角以上に保てているのはひとえに紀家軍の分厚い陣容である。
もっと言えば、程立の用兵はいわば適材適所。必要な場所に必要な兵力を配置するというものである。
机上の空論ともなりそうな彼女の用兵を支えていたのは紀家の中級指揮官。その充実であった。
紀家軍、その中核はかつて梁剛という女傑が築いたものだ。そしてそれを拡充できたのは、韓浩と雷薄という文武の補佐があってのもの。それを紀霊は滞りなく受け継いだ。
だからこそ、紀家軍は強い。強くある。
対して、陳宮の用兵は単純である。
いかにして勝つか、そして呂布の不在を隠すか、である。
本来戦場の経験では数段上である陳宮の用兵、それはこのたびだけは程立に看破される。
戦場に翻る呂の旗、それが五つ。
「おやおや~。これは悪手ですね~。歴戦の陳宮さんがこのような小手先を弄するとうことはなかなかに示唆に富んでいます。
つまり星ちゃん、飛将軍の所在を不明確にして、こちらの戦力を分散したいということですね。
つまりここで一番重要なのは……」
「分かった、私は行くぞ、行くとも」
物見台から身を翻し趙雲は愛馬に跨がる。
「行くぞ烈風、今こそ危急存亡の秋というやつだ」
委細承知、烈風は嘶きすらなく疾風迅雷。
そして立ち会うことになる。決定的な瞬間に。




