ありえた未来
狙いは紀霊の首。
そう聞かされた時に陳宮は首を傾げたものである。
さて、紀霊の首を取ったからと言って事態はそんなに好転するものであろうかと。
「確かに手負いの袁家は激昂するでしょう。ですが。それを隙と見なす勢力が多々あります」
例えば曹家。潜在的に曹操は袁紹に劣等感を抱いている。生まれた家、世評。
そうだろうか。
例えば孫家。所詮乱世の徒花。紀霊との個人的な関係と武力を背景にのし上がった成り上がり。後ろ盾の紀霊なくば没落するのみ。であれば後宮に入り込んだ孫尚香が活きる。むしろ袁家は邪魔になるのだそうだ。
そうだろうか。
他にも、意外なほどに紀霊という人物が盤上から無くなれば切れる繋がりというのは多いらしい。その諸葛亮の指摘に陳宮はなるほど、とは思う。
確かに窮鼠たる蜀に残された乾坤一擲はこれしかないであろうと思えるほどに。
しかし、結論ありきではないかという一抹の危惧がある。
負け戦の匂い。
それを陳宮は骨身に染みて知っている。
「正面……愛紗さんと鈴々さんの双璧で戦線を支え、決戦は匈奴の騎兵による本陣奇襲が骨子です。当然その担い手は恋さんと翠さんです。翠さんには雛里ちゃんを補佐として。
そして恋さんには当然……?」
「当たり前なのですぞ!恋殿の補佐こそは、ねねのお役目!
余人に譲れるものではないのですぞ!」
とは言え、だ。咄嗟に売り言葉に買い言葉。虚勢を張ってしまったが……。
「ですが、諸葛亮殿にその意志あるならば、ねねは納得するのですぞ……」
悄然とした陳宮。傍観していた北郷一刀が戸惑うほどに。
「あ、あれ?恋の相棒は自分だってここは気炎をあげるとこじゃないの?」
その言葉に更に陳宮は沈み込む。
「ええ、この際だから言っておきましょう。ねねは確かに恋殿の補佐として全力を尽くしております。ですが、とても恋殿の援けになっているとは言えないのですぞ……」
むしろ足枷になっている、と陳宮は痛感している。
変幻自在、という言葉では言い表せない、それほどの野生の本能。その呂布の動き。それに騎兵の機動性を持ってどうにかこうにか軍として辻褄を合わせているのみ。
「恋殿の動きは正に、天衣無縫。
そこに後付けで用兵の理を付け加え、戦場を整えることしか、ねねにはできないのですぞ……。
笑えばいいのですぞ。あえて言いましょう。恋殿に軍師は不要!もっと言えば率いる軍も兵も不要!ただ一人で無敵!それが恋殿……」
双眸から涙を溢れさせ、それでも陳宮は胸を張る。呂布の孤独。それを集団に、群れに馴染ませることのできるのは自分だけなのだ、と。
そして、その矜持と、呂布のためにならば身を引くというのは矛盾しない。
……陳宮は正規の教育を受けたわけではない。蝗という天災によって行き場を失くした、どこにでもいる浮浪児でしかなかった。それが飢え死にする寸前に呂布に拾われたのである。
だから、陳宮は孫子なんて実は知らない。兵法なんて学んだこともない。ただ、呂布が動きやすいように軍を動かしていただけなのである。
――そして馬騰や韓遂という傑出した騎兵の指揮官、賈駆という変幻自在の軍師と触れ合い、常に最前線を転戦。匈奴の暴虐、呂布の無茶。それらを吸い上げて。
そう、理論なぞなく、実践のみ。それが陳宮という軍師の歪んだ姿であった。
◆◆◆
「――なんだ。恋は軍を率いない方が強いんだ」
だから陳宮は素直に頷く。その声に。その、定義する前提に。
陳宮は実際この男は好かない。だが、そんなのは些事だ。
「そして、ねねは恋がいなかったら、もっと色々できるんじゃないのか?」
「悔しいですが、恋殿は単騎で最強なのですぞ」
自分についてはどうなのか、陳宮にも分からない。判断なんてできない。自分は呂布の傍にいるだけの、それだけの。それでよかったのに。
そう、それだけで、よかったのに。
そう、ありたかったのに。
そしてその表情を見て北郷一刀は諸葛亮に何事かを囁く。
「なあ、恋が単独で最強。だったな」
「当たり前なのですぞ」
「だったら、そうしよう。それならば勝てるだろう?」
「――そう、ですね……」
呂布は単騎にて最強。それは明らかなことである。確定したようなもの。
「ですが、それを相手に気づかれたらよくありませんね。
反董卓連合に於いて、その武は知れ渡りました。ですから、陳宮さん。貴女には恋さんが率いているが如く、兵を率いてもらわないと困ります。
恋さんがいなくても、無敵の騎馬軍。できますでしょうか?」
諸葛亮の言葉。それに応じたのはなぜだったのだろうか。そう、陳宮は思う。託されたのは北郷一刀の小細工一つと匈奴兵。
だが。
「一つだけ。恋さんが陣頭にいないというのが知られたらそれで仕掛けは崩壊します。
恋さんがいない。それを不自然に感じさせない仕掛け、それだけは貴女のお仕事です……」
諸葛亮の声に陳宮は思索の海に沈む。
「恋殿は地上最強なのですぞ。そしてそれを補佐できるのは、この、ねね、だけなのですぞ……」
牙門旗。それで釣ろう、それは実は天の御使いの示唆である。威信、栄光、どうだっていいという彼の思考。勝てばいいのだ、と。
その発想は紀霊と根は同じ。だがしかし、違えている。相容れない。
もしかしたら、この外史において異物である二人は手を取り合い、歩むことができたかもしれない。
だが、そうはならなかった。そうはならなかったのである。
 




