光輝受けて
北伐軍。それを迎え撃つ。
その結論に関しては蜀の中枢において異論は発生しなかった。当然と言えば当然である。降りかかる火の粉は払わねばならぬ。そうして実に十万もの兵が動員されることになった。
だが、北伐軍はいっこうに幽州に迫る様子を見せない。
だが、それは悪いことではないと関羽は思う。いかんせん、兵の質が悪すぎるのである。それはそうだ。つい最近まで武器なぞ手にしたこともないような者たちなのだ。
「よいではないか。正直まだまだ実戦に出せるほどに兵の質は高くない。時は私たちにとって味方だろう?」
実際、ひどいものだと関羽は思う。数は集まった。だがそれだけだ。烏合の衆とは言わない。主の呼びかけに応じた者たちなのだ。だが、実際足りない。
足りない。経験が足りない。覚悟が足りない。そして何より武器防具が足りないのだ。幽州の常備軍の想定は最大で一万ほど。その想定の十倍の兵卒が集まったのだ。
北郷一刀が冗談混じりに語った、竹槍に竹鎧もやむなしかというところまで追い詰められている。
それに対する軍師二人の反応は真っ二つに分かれる。軍事担当の鳳統は関羽の主張に大きく頷いた。対して諸葛亮はくすり、と関羽の懸念を切り捨てる。
「此度の戦い。皆さまの不安は妥当と思います。が、勝機はあります。いえ、千載一遇の機会が目の前に転がってきています。
一戦すれば天下は私たちの手に転がり込みます」
「ん?朱里、どういうことだ?」
諸葛亮の言葉と態度に北郷一刀は問う。
よく分からない、と。
「現在の漢朝を牛耳る袁家。その扇の要。
即ち紀霊。かの魔王を討てばよいのです」
くすくすと笑みを漏らす諸葛亮に黄忠が問う。
「決戦を挑む。それはいいでしょう。それに勝つ、それもいいでしょう。だけれども、たった一人の生死でそんなにも状況が動くものかしら」
その問いに、我が意を得たりとばかりに諸葛亮は応える。
「袁家は元来、多数の派閥の相克によって成り立っていました。
ですから、現状は、非常に危ういのです。一枚岩なぞ、失笑ものです。
そして、その危うい袁家を実質束ねているのは紀霊です」
それを排除すれば袁家は自壊する、と諸葛亮は断言する。
「私と雛里ちゃん。その全知を尽くしてもあと一手足りませんでした。桃香様の、ご主人様の軍師としてお恥ずかしい限りです。ですが、ですから私たちの全てを絞って届かなかった一手。それを戦場にて掴んでほしいのです」
さすれば、世界は正しくなるだろう。
諸葛亮は確信する。あの、紀霊さえ除けば勝ちなのだと。
世情、袁家の内情なぞは後付け。
「魔王討伐。それこそが私たちの使命」
それさえ果たせば世界は思うままである。それを確信する。
「ですから――」
そうして、蜀は兵を発する。
襄平には黄忠を主将として千余を残すのみ。
乾坤一擲、その覚悟である。
◆◆◆
その動きを紀霊が知ったのは、数日後。
魯粛からの急報にニヤリ、と笑った。
「何だ、思ったより堪え性がないな。もうちょっと粘ると思ったんだが」
そして、北伐軍がいよいよ動き出すことになるのであった。
◆◆◆
「まあ、しかし思ったより堪え性がなかったな」
俺の予想ではあと一年くらいは粘って戦力を増強するかなーって思ってたんだが。まあ、俺の予想とか本当にどうでもいいやつだと証明されたね。
「魯粛さんの工作の成果ですね。実に効果は抜群だったのかと~」
くすり、と笑みをこぼすメイン軍師。北伐の準備という一言に集約される諸業務のあれこれを統括しているから超忙しいのが彼女である。
いや、忙しいのは実務を俺がほぼ丸投げしているからなんだけどね!
俺の横で呑気に茶とか酒を喫してていいのかなという疑問を抱くのもむべなるかな。
メイン軍師曰く。
「くふ、これは異な事を。風は二郎さんのひそみに倣っているだけですから~。
実務については張家、母流龍九商会、紀家。そして漢朝の官僚さんたちが抜かりなくやってくれてますから~。
風は彼らの利害調整をするくらいですし~」
いやそれすごーく大変な役割だと思うんだが。
「そこはそれ、風がここにいることが重要となるのです~。
風で判断に困ったら二郎さんに決をいただけばいいので~」
「いや一度も何か俺に決断迫られたことないんだけど?」
くふ、と風はおかしげに笑う。
「だって風は二郎さんのメイン軍師なのですから~」
するり。対面だった席を猫のような滑らかな動き。流体のように俺の膝の上に腰掛けて。
「万事お任せ下さい、なんて言いませんよ~。
微妙な政治的判断は二郎さんに押しつけるので、ご安心くださいませませ~」
頬を俺の胸にこすりつけ、顔を押しつける。
可愛いので抱きしめたら、その身体の華奢さ。自然、愛しさが深まる。
「ご報告いたしますね~」
すりすり、と微妙にじゃれる風をあやしつつ各種報告を聞く。
ふむ、と頷く。俺が骨子を考えた経済制裁。俺の考えたふわっとした素案。それを整え、容赦ないプランにしたのは当代きっての頭脳集団である前述の彼らだ。
なにせ、治世の実務に関わっているからね。何をすれば世情が乱れるかというのは知り尽くしている。そして、それは蜀が兵を発した瞬間に更に苛烈さを増している。
なにせ、これまでは肉や茶などの贅沢品が安価で供給されていたのだ。それがなくなり、むしろ吸い上げるように物資を買収している。
物価はじり、じりと上昇を継続し売り惜しみ、買占めが横行。潤沢に供給されるのは酒精のみときたもんだ。どこの英国紳士だという話である。
それもこれも蜀の統治機能に対する飽和攻撃の一環。物資がなくなるわけではない――最低限の食料ならば各地の義倉に十年単位で蓄えられている――からして。まあ、あれだ。
「それでもぶっちゃけ、嫌がらせでしかないからな」
ただしその効果は抜群だったようだが。
蜀の頭脳。そこに負荷をかけ、一戦してこちらを叩こうと思わせるくらいには。
目減りしていく財産。頭のいい奴ほどそれに耐えられるもんじゃない。
勝ち目のあるうちに一発逆転を狙うのは無理のないこと。
いやまあ、俺自身は十年単位で干殺しも覚悟していた。時は味方さ。
ただし漢朝向けの言い訳とあっちの無辜の民の被害者が俺を苛むだけである。
風は思わせぶりに、お任せ下さいとか言ってたけどさあ。
そして。
「漢朝の栄光。それを背負う北伐軍。それを率いる征夷大将軍……」
二郎さん?
その、麗羽様の呼びかけに意識を切り替える。俺は征夷大将軍にして怨将軍にして、魔王なのだと。
舞台袖から颯爽と白一色の装束を翻して麗羽様の下に向かう。麗羽様が身を包むのは金色の衣装。
その意匠は何進の身に付けていた物を更に洗練させたもの。ただでさえ神々しい麗羽様の光輝がとんでもないことになっている。あえて言おう。天元突破であると!
「紀霊、ここに」
恭しく跪く。
「大将軍として命じます。蜀と名乗る不遜の輩。その討伐を。
そして漢朝の威光を示すのです。ええ。
雄々しく、華麗に。
――優雅に!」
そして、漢朝のために命を懸ける皆さんに祝福を――。
ぶわ、と可視化できるようなほどの熱が、波が俺に染み入り、更に通り越して場を染め上げる。麗羽様の言葉。
それが細胞の一つ一つまで染み込むように活力が溢れるのを感じる。
にこり、とほほ笑む麗羽様。その笑みは優雅で、華麗で――俺を雄々しくさせる。まさに勝利の女神の微笑。
すく、と立ち、控える兵達を見る。将たちに向かい合う。
にしし、と猪々子は笑い、くすり、と斗詩は微笑む。
稟ちゃんさんは表情を変えず、風は居眠りだ。凪と流琉は気合い十分。
白蓮は生真面目にうなずき、蒲公英は愛嬌をふりまく。星は飄々としながら気炎万丈。蓮華と穏は思わせぶりな目線をくれて。それらを華琳はおかしげに見やる。側に控える秋蘭は瞑目したまま。
そして、兵達の士気は天を衝くほど。こんな時に長口上はいらない。
三尖刀を振りかぶり、全力で地を穿つ。
「賊軍、討つべし!」
賊軍、討つべしと兵達が連呼する。叫ぶ。
その熱を冷まさぬように愛馬の烈風に跨り、軍を発する。つまり。
いざ、出撃、である。
 




