恋心と言う勿れ
「これは、どういうことですかな?」
問う声は鋭く、傲然と立つその人物を貫く。
だが、桃色ふわふわ長髪の主は、その声色に小揺るぎもしない。
「そうね、これは私の我儘と言ってもいいのかもしれないわね。
まあ、それはそうとして、よ。権官と言えど三公の一角に任じられたのは見知っているでしょう?」
ニコ、と笑って劉璋は厳顔を見据える。
「とは言え、若輩の身。諸事において至らないことは多いと思うのよね。
だから、知己に助言を求めたいな、って思うのはおかしなことじゃないわよね?」
「助言、諫言はよろしい。いかにも労を惜しみませんとも。
しかし、これは軟禁と言うのではないですかな?」
じと、とした厳顔の目線。
かつてはこの目線に怯えていたのだなあ、などと思いながら劉璋は軽やかに応える。
「やあねえ。
漢朝に尽くすのだからして、ちょっとくらい不自由あってもおかしくないじゃない?
いつなんどき、助言を求めるかも分からないのだし」
くすり、と笑う劉璋に厳顔は感慨すら覚えてしまう。腹芸と言うには未熟。
だが。
「で、本音のとこはどうなのですかな」
ニヤリ、と軽く挑発したそれに劉璋はあえて、であろう。乗ってくる。
「北伐に当たって、不安要素は除いておきたいのよね……」
はあ、と劉璋は柳眉を顰める。
「はて? この身は一切の私心無く漢朝を支えていると自負しておりますが」
「ぬけぬけと言うわね……。まあいいわ。ぶっちゃけるとね、お母様の手を封じたいのよね」
「ほう?
ですが劉焉様は既に隠居なさっていますぞ?」
事実である。皇族である劉焉に対して、異例のことながら隠居を命じる勅が発されている。それに従い劉焉は隠居して、一切の公職から退いている。
「あのお母様が、それで。
それぐらいで大人しくするとは思えないのよね……」
やれやれ、と言った風に劉璋は嘆く。皇族としての影響力をもうちょっと違う形で活かしてくれないものかなあ、と。
「それでもね。剛柔絡めて洛陽で動ける手駒って桔梗くらいでしょ?だから、よ。
何を言い含められているかは知らないけど、封殺させてもらうわ」
「これはしたり。
劉焉様からは何も言付かっていないのですが?」
「それならそれでいいわ。お母様からの命を吐けと言うつもりもないしね。
ただ、何もさせない。それだけ」
表情筋一つ動かさず、淡々と告げる劉璋に厳顔はニヤリ、と笑う。
「なるほど。血は争えませんな。流石は劉焉様のご息女といったところか」
「はいはい、お世辞は結構よ。大人しくしてなさいな」
――以前であればこの、安い挑発につられていたはず。
これは、見誤っていたか。いやさ。
「括目するべきでしょうな。
劉璋殿。よくぞそこまで」
「そうね、少なくとも桔梗のおかげではないわね」
さらり、と躱される。割と本音なのだがなあ、と厳顔は苦笑する。
「ほほう、では一体全体どういうことでしょうかな?正直見違えるくらいですが」
揶揄混じりのその言葉。それに劉璋は考え込む。
「そうね。やっぱり二郎の、おかげかしらね……。
うん、二郎が私の蒙を啓いてくれたのよ。
だから、私はね。恩を返さないといけないと思うのよ。
あの、曹操みたいな傑物とやりあわないといけないの。
私ならできるって、言ってくれたの。
そんなのって、ないわよね。
でも、言われたら、やるしかないじゃない!」
破顔一笑。
劉璋は笑って魅せる。
そうだ。そうなのだ。
あの男に、留守は任せたなんて言われたのだ。
血筋だけが存在の全て。そう言われていた自分に懸けられた期待、信頼。
それに応えずしてなるものか。
「だから、使えるものは何でも使うわ。できることは何だってする。
そうね。重かった劉姓、今はありがたいくらいよ。
知ってる?
私って宮中では、今上陛下の次に尊い血筋なのよね」
皇族であるということの重さ、そして何より、その血の力。
それを自覚し、溺れない。使いこなすのだと。
「まあ、それで辛うじて曹操の配下程度と遣り合えてるって感じなんだけどね」
正直、相当に手心を加えられているなあ、と思いもするのよね、と。
嘆息、ひとつ。
「話がずれたわね。
まあ、そんなわけで桔梗にはのんびりとしてもらうってわけよ。
それでお母様に対する牽制にもなるしね。
だからいつも通り昼間から呑んだくれてなさいな」
その言いぐさ。傲然とした支配者の振舞。
厳顔をして自然と膝をつかせるその在り様。
「お見事でございます。
いや、流石と言うべきか。若き頃の劉焉様を彷彿とさせますな……」
その言に劉璋はフン、と鼻で笑う。
「お母様にも、桔梗たちからも何も貰ってないけどね。
いえ、だからこそ。かしら?
ほんと、二郎には感謝しないとね」
溢れる本音と恨み言。
それに怯む厳顔ではない。
「なるほどなるほど。
恋する乙女は無敵、という奴ですな。
いや、まことに結構!」
「ば、馬鹿じゃないの?
誓ってそんなんじゃないし!」
相手が二郎とかほんとありえないという悲鳴を置き去りにして。
内心、これしきの言葉で乱れてほしくはなかったのだが。
これもお役目、いたしかたなし。
「ほほう、そこは詳しく聞いておきたいですなあ。
何せこれから外出もままならぬことになるのですから」
むきー、と激昂する劉璋を笑顔であしらう厳顔。
――厳顔が果たして劉焉から「ある種の」密命を帯びていたのかどうか。
彼女はその生涯において言及することはなかった。
そしてその解釈は分かれて尚、魅力的な英傑であった。




