男子会
「で、どこまでやる気なんだ?」
張紘の問いが室に響く。
義兄弟三人が集まり酒を酌み交わし、久闊を除していた席のことである。
まあ、宴席の場が紀霊の執務室であったのは多少の問題があるかもしれないがよくあることである。日がまだ高いのも稀によくあることではある。
なにせ、防諜的な意味では万全であるし、料理を提供するのが楽進や典韋などという最上級の武人かつ料理の腕の持ち主なのだからして。
火酒に柑橘の汁を搾り白湯で割ったものを喉に流し込み、いつになく饒舌な紀霊のふとした沈黙に問いかけたのは、既定路線ですらあったのかもしれない。
「経済制裁、やるなら母流龍九商会がその尖兵となるだろうからな。
ある程度の着地点は聞いときたい」
素面では聞けないし言えない。
張紘というのはそれくらいには善性の人格である。それをよく知る沮授は黙って杯を重ねる。
常ならば茶化すところではあるが、話題が話題である。
そして、それ以上に興味があった。はたしてどこまでやる気なのか、と。
「蜀を干上がらせる、ということだがどこまでやる?」
張紘も杯を重ねる。
先ほどまでと違い、喉を駆け下りる炎が我が身を苛むようだな、と思いながら。
「いや、無論二郎がそこまで考えていないのならそれでいいんだ。
おいらたちに任せるということならばそれはそれでいい。
そのあたり、沮授と考えるしな」
袁家の強みは分厚い実務集団を手にしていることである。
反董卓連合。
規模からいえば驚くほどに犠牲を少なくその目的を果たすことが出来たのだ。富の集積があったのもあるが、それをきちんと運用したことが大きい。
なにせ、かつて売官という制度があった時には、漢朝全ての官職を袁家で占めてしまおうというくらいの気運であったのだから。
そしてその官僚の頂点に立ち、掌握しているのが沮授であるのは自他共に認めるところである。
そして張紘である。
反董卓連合の際に兵站に必要な物資を準備したのは沮授だが、実際に運用したのは張紘であった。
物流をその手に収め、ただの一度も破綻させなかったその手腕を知る者はごくわずか。
いや。その尋常ならざる手腕と実績を「あの」曹操ですらこの時点では理解しきっていない。
無論、可能な限り秘匿しているということも大きいのだが。
そしてその二人に補佐をされて、袁家の裁量を任されているのが紀霊である。
個人的武力、用兵、政治等々の能力については一流半から二流程度との自己評価は割と妥当なものであろう。
だが紀霊の強みはそのような一面の処理能力ではない。かつて、故馬騰が評した言葉。
「将の将たる器」
それこそが紀霊の真価であろう。沮授はそう思いながらにこやかな笑みを崩さずに杯を重ねる。
幼少時よりの付き合いだ。苦言や小言、或いは諫言。そういったのは張紘の役割なのだから。
そして、紀霊がどこまでやるにしても付き合う覚悟は定まっている。
それは張紘にしたって同じだろう。
なにせ、生まれた日は違えども死ぬるのは同日と誓ったのだからして。
◆◆◆
どこまでやるか。
聞いてしまった。聞かずにはいられなかった。即座に答えがなくてよかった。いや、ない方がよかった。
紀霊というのは袁家という、傍目には蟲毒の集団にいるとは思えないほど清冽で、善性で、快男児であった。
その人格は自分を拾ってくれたあの時と変わることなく、まぶしく映る。
だからこそ、彼にそんなことを決めてほしくなかった。選ばせるつもりはなかった。
そうして、生じた沈黙を都合よく解釈していたのだが。
「……田畑に塩、井水に毒まではやらない」
やりたいことではなく、やらねばならないことに真正面から向き合い、まっとうするのだ。紀霊という男は。
そして、今回についてもそうなのだな、と再認識する。
「すまねえ、辛いことを言わせちまったな」
やるべきことをやる。
それが正しいこと。正しくあること。正しくあり続けること。
どれだけの重荷を背負っているのだろう。
脳裏に浮かぶのは恋人の言。
「いや、正直私なら最愛の人を浚って逃げるね。いや、無論張紘、君のことだよ。
なに、君一人の食い扶持くらいなんとでもなる。
まあ、ある程度以上の贅沢を望まれたらば知恵を絞らないといけないかもしれないが」
その時は任せろと言われて言葉に詰まったものである。
「いや、すっきりした。これはきちんと。そう、きっちりと方針を発信せんといかんところだった。
ありがとうな、張紘。いつだってお前は俺を正しくしてくれるよ。
ほんと、お前に会えてよかったよ」
「よせやい、おいらこそ拾われた身さ。
恩、って言うとお前は嫌うけどな。
おいらは拾われたのが二郎でよかったと思ってるよ」
むしろ、とも思う。だから、多分、田畑に塩。井水に毒。
そんなことを言われても付き合ったろうなと思う。いや、もっと悪辣な施策であっても、だ。
民を数字として見ることに慣れすぎていて、それを自覚してなお前を向く。
顔も名前も知らない数字の一つのために世を糺す。
そしてきっと前を向くのだ。向かい風をなにするものぞと。
だから。
「おいらはね。二郎。
ほんとに感謝してるんだぞ。
おいらがこうしていられるのは二郎のおかげなんだからな」
万感。
込められた思い。
どれだけの気持ちが、思いが伝わるだろうか。
いや、伝わっている。それ以上に汲んでくれている。
だからこそ、目の前で懊悩している男を安心させてやりたい。
「だからな、二郎。二郎よ。
おいらはどこまでも、いつまでもお前に付き合うってことさ」
だからさ、と笑う。
「なに、三人寄れば文殊の知恵だったか?
二郎にしては上手いことを言うと思っていたが、確かにそうさ。
おいらたちが揃えばたいていのことはなんとかなるさ。
な、そうだろ?」
優雅に茶を喫していた沮授もこれには苦笑する。
「そうですね張紘君。君の言うとおり。その通りと思いますよ。
実際、たいていのことはなんとかなりますし、しますよ。しますとも」
苦笑する沮授。彼こそ袁家で一番実務を担っている人物であるのは万人が認めるところである。
だからこそ、沮授に比類すると言われる張紘の存在はかけがいのないものだ。
その立ち位置を含めて。
「まあ、おいらたちは楽進殿と典韋殿の腕前に期待してきただけだしな。
なにせ二郎もご自慢の腕前だったからな。
楽しみにしてるよ」
弛緩した空気。
肩をたたき合う。そして空気を読まない男もいる。
「凪!流琉!
ご指名だ!美味しいところ頼むぞ!」
違う。違うそうじゃない。
沮授と張紘が同時に思ったことである。
なお、予想以上に振る舞われた料理は絶品だったようである。




