胡蝶の夢
日輪がまだ地平線より上る前。払暁前、目覚める。
いつもならば立ち上がり、立木打ちをするのだが中々そういう気にもならない。億劫というわけでもないんだが。気怠いというだけではない。
なんとなれば、だ。
「気が進みませんか~」
「起きてたのか、風」
すやすやと俺の横で、先ほどまで寝息を立てていた風がそんなことを言う。
「そですね、起きていたとも言えるし、今でもぐっすりなのかもしれませんね。
ええ、今でも夢心地ということです~」
ふんわりと眠たげに笑い、俺の胸に飛び込んでくる。
受け止めた感触の軽さに、柔らかさに。
「どうした急に」
すぐには応えず、風はぐりぐりと頭を押しつけてくる。
こんなにひっついてくるのは珍しい。というか初めてじゃないかな?
思えば、風から俺の部屋に来るのも珍しいことではあった。
「くふふ、たまにはいいじゃありませんか。
常には抑えていた慕情が溢れてしまったということで、どでしょか~」
くすり、と笑みを浮かべたその顔は蕩けそうに甘く、蠱惑的であった。
「いやそんな慕情とかあったのなら嬉しいけどね?
というかそんなことを口にするのも初めてじゃね?」
辛うじて口に出した内容なぞよくは吟味していない適当なものであるが先方はそうでもないとか正直思考回路がショート寸前というかパンクしそうであるよ誰か助けて。
「くふ、そうでしたっけ?
これはいけませんね。思いを口にしないと伝わらないものもありますからね~。
ええ、そうですね。
そですね~」
ふわり、と立ち上がる。
朝日を受けて、一糸まとわぬその姿。ある種の神々しさすらあり、息を呑んでしまう。
「幾百、幾千、幾億の夜を重ねてなお、やはり二郎さんなのですよ。
ええ、そうです。そうなのですよ。二郎さんの横で見る月はとても輝いてます。
二郎さんとご一緒させていただくお酒はとっても美酒です。
だから、幾度でも選びます。選びます。二郎さんがいるのならば、ね。
それが二郎さんなのです」
いつもの、ある意味胡散臭さのある言葉ではなく、透き通った心を感じた。実際、いつもの風らしくない。
それでも、とても大切なものが含まれている。そしてそれはとても貴重なもの。ありえないもの。
何より、風が涙を。
抱き寄せ、その真珠に口づける。
「いつだって、俺のメイン軍師は風さ」
もっと気の利いたことを言えればよかったのかもしれない。でも、俺の肺腑から出たのはその言葉だった。
一瞬、きょとんとして。
「くふふ、ありがたき幸せ、というやつなのですよ~」
「そうかい、だったら嬉しいね。これからもお見捨てなきように頼むわ」
くすり、と笑みは深まる。
「こちらの台詞です~。
ええ、二郎さんのために頑張っていこうと決意を新たにしております~」
常ならば胡散臭い、あるいは真意が五里霧中な風の言葉だ。
だが今日のそれは、まごころ、のように感じた。
そして唇を合わせた。どちらからと言うと風の方からだったと思う、
実に珍しいことである。




