発覚
「凄いな……」
積み上げられた食糧の山に北郷一刀は感嘆の息を漏らす。見渡す限り物資の山、である。しかもこれは多数ある物資貯蔵庫の一つでしかないのだ。
「はい。百万の兵を百年養うだけの食糧があります」
襄平だけで、である。
「あるところにはある、か……」
嘆息する。一体、義勇軍当時の切迫した食糧事情とはなんだったのだろうか、と思う。
「食糧だけではありません。武器、防具、それに金銭……。
膨大な量が確認されています」
ぺらり、と資料をめくりながら諸葛亮は応える。
「袁家の財、恐るべしというか、もうなにがなんだか分からないな」
たはは、と北郷一刀は苦笑する。規模が膨大過ぎて実感がわかないというのが実際のところである。
そんな北郷一刀に諸葛亮は苦笑する。
「ええ、ですが。幽州のみでこれなのです。積み上げた袁家の財貨。敵に回すとなると……」
内心で諸葛亮は舌打ちする。まさかこれほどの蓄財があるとは思っていなかった。
流石常備軍を数万単位で運用できるはずだ。
いや、にしてもこれは想定外にもほどがある。
これほどの蓄財を、戦乱を経て可能にした袁家。その脅威に諸葛亮は内心舌打ちを重ねる。
「そっか、そうだな。ちょっと浮かれてた。ごめんな、朱里。引き締めてくれてありがとな」
「はわわ……」
先ほどまでの懊悩もどこへやら。諸葛亮は頬が上気するのを自覚する。
そして撫でられたところからじわり、と幸せな熱が広がっていくのも。恍惚感で思考が麻痺していくのをぷるぷる、と頭を振って防ぐ。
「お昼からの会議ですが、事前にご主人様にはご報告いたします」
劉備はともかく、実質的な組織のトップである北郷一刀が色々な報告に一喜一憂するのは好ましくない。
泰然と、悠然と、どっしりと構えていてくれないと困るのである。
「お、なんかあったのか?」
「はい。まずはよい報せからです。ご主人様の呼びかけに翠さんが応じてくれました。
州牧の地位を投げ打って此方に合流してくれるとのことです」
「翠が、か!いや、持つべきものは、だな!」
北郷一刀の声に諸葛亮は深く頷く。馬超が出奔したというのは実に大きい。
州牧という漢朝で十三席しかないその席を蹴ってまで動いたのだ。これにより蜀はその影響力を内外に示すことができた。馬超の動きなくしては多方面への呼びかけも所詮は絵空事であったのだ。
それが、だ。涼州の韓遂、益州の劉焉と劉表。荊州の孫家に洛陽の曹家。
さらには黒山賊や東方の諸侯。それらへの働きかけにも俄然信憑性が生まれるのだ。
いかに諸葛亮と鳳統の神算鬼謀あろうとも圧倒的な大軍を前にしては勝機も薄くなるというものである。
贅沢を言えば、涼州まるまる手にしたかったものだが。
「更に行方不明だった恋さんも此方に向かっているそうです」
万夫不当。単騎で三万の軍を撃退したという呂布の武、そして騎兵を手足のように操る将才 ――実際に指揮を執っているのは陳宮なのだが――。
飛将軍の武名は中華最大なのである。
「恋か!いや、久しぶりだなあ。ねねやセキトも元気だといいなあ」
なにせ呂布だ。北郷一刀は満足げな笑みを深める。そう、呂布なのだからして。
「……黒山賊とは相互不可侵、限定的な戦力の貸与、情報交換で合意できそうです」
兵力的には最大の勢力が黒山賊である。五万とも、十万とも言うその兵力。
そして、そもそも黒山賊と紀霊は不倶戴天の仇敵である。漢朝で紀霊の影響力が大きくなる一方の現状が好ましくないのは分かっていた。まあ、妥当な線であろうと諸葛亮は思う。
ここまでの情勢、非常に順調である。そう、順調なのだ。
だが、一手足りない。あと一手足りないのだ。
諸葛亮からしたら、あと僅か一手足りない。
例えば、孫家の当主が孫策であればこれを好機として大いに盤上をかき乱すことができただろう。
例えば、曹操が州牧や太守として地方に在ったならばこの状況を利用してのし上がることを使嗾すらできただろう。
そして、例えば劉焉が益州の州牧であれば、荊州や漢中を分捕りに出たであろう。その、一手さえあれば、と内心歯噛みする。
「そか、結構順調だな。これも朱里や雛里が頑張ってくれたからだな。ありがとうな」
「はわわ……」
きゅ、と抱きしめられて諸葛亮は恍惚とする。このまま耽溺したいが、報告はまだ終わってはいない。
「ご、ご主人様、いけません……。まだご報告がおわってましぇん……」
「朱里はかわいいなあ。そんなに肩肘はらなくてもいいんだぞ?」
「わ、わたしたち蜀は朝敵として討伐されるとのことでしゅ……」
それに再び諸葛亮はうっとりとしそうになる。そんな己に喝を入れながら続けて報告する。
「朝敵?今更って感じだけどなあ……」
それがどうしたと言わんばかりの北郷一刀の剛毅な声。
それに再び諸葛亮はうっとりとしそうな自ら。それに喝を入れながら続けて報告する。
「と、討伐軍が組織されます。総大将は紀霊」
その名前にぴくり、と北郷一刀は反応する。
「あいつ、か」
厳しい表情もご主人さまは素敵だなあ、などと思いながら諸葛亮は報告を続ける。
「はわわ……。はい。大きく五つの軍団にて編成され、その将を五虎将と称しています。
紀霊本人は征夷大将軍として討伐軍の全権を握っているとのことです。
北伐として陳琳が出師の表なんてもので上奏したそうです……が?」
どうされました?との言葉すら吐けない。
どんな時も悠然としていた自らの主が、その顔色を蒼白にしているのだ。
「朱里、朱里よ。お前、それ。
それ、マジか?」
「え?は、はい。確かな情報です。五虎将は紀霊、顔良、文醜。それに星さんと白蓮さんとのことですが……」
「なんだよ、それ!くっそ!畜生!そんなの、ありかよ!」
激昂する北郷一刀に、諸葛亮は何と言葉をかけたものかと戸惑う。
諸葛亮の知恵をもってしても、彼が何故これほどまでに荒れているのかが分からないのだからして。
「朱里……!」
「はい!」
搾りだしたような主の声に諸葛亮は応える。
「朱里。朱里は諸葛孔明、だよな……」
「はい。そうです……?」
戸惑ったような諸葛亮と目も合わせず、北郷一刀は声を絞り出す。
「紀霊――魔王。奴は俺と同じかもしれない。――いや、きっとそうなんだろう。
くそ!なんで気づかなかった!阿蘇阿蘇!母流龍九商会!ヒントはあったじゃないか!
あったんだよ朱里!」
苦悩に吠える北郷一刀に諸葛亮は数瞬戸惑い、まぶたを閉じる。
そして数秒後、刮目し微笑する。
「なるほど。分かりました。今、理解しました。全てを。
紀霊。それこそが発端にして元凶。
言わばこの世の歪み……。つまり、ご主人様の敵……」
くすくす、と諸葛亮は笑う。それまでの憂いを帯びた笑みではなく、満面の笑み。晴れ晴れとした笑み。
「朱里?」
その変貌に戸惑う声に諸葛亮は応える。
笑みを浮かべたままに。
「ご主人様。ご安心を。一切、お任せくださいな」
くすり、と諸葛亮は笑う。笑みを深める。深く、深く。より深く。
そして浮上し、破顔する。
「見ぃつけた……」
その言葉は闇に散じて、誰の耳にも届くことはなかった。




