毒婦
「随分とご機嫌のようだな、李儒よ」
「あら、分かる?
望外の収穫だわ。やっぱり私自ら来てよかったわ」
「そうなのか?折角けしかけた黒山賊は全滅しただろうに」
「うふ、本当によく踊ってくれたわ。ええ、素晴らしいわ」
その言いぐさに華雄は舌打ちを漏らす。どうにもこいつとは相いれない、いけ好かないのだ。いや、それを言うならばそのような人物を護衛せねばならない我が身はどうだと問うことになるのだが。
「うふ、貴女にも分かるように説明してあげるわ。
今回私がここまで来たのは袁家の力を削ぐため。それはいい?」
「ああ、それは散々聞かされたからな。
過ぎた力を蓄えたんだろう?袁家は。
だが、今回はお前が・・・あんなことしてまで黒山賊を動かしたのにたった10人くらいの兵の犠牲しか出せてないだろう」
華雄の問いに李儒はくすくす、と心底おかしげに笑う。
「それでいいのよ。数はどうあれ、黒山賊が袁家に害を加えた、というのが重要なの。
これまで黒山賊と袁家は別に敵対していなかったわ。当然よね。必要もなく喧嘩を売るなんて、獣だってしないわ」
ふむ、と頷く。だが華雄は更に問う。所詮黒山賊の一部が暴走しただけだろう、と。言外には李儒の示唆によってであろうという揶揄を込めて。
その声に李儒はくすくす、と深い笑みをこぼす。
「袁家はそうは思わないわよ。領内を荒らされて面子も潰れたもの。
そう思えないわよ。だから、黒山賊もこれよりは袁家と本格的に敵対しないといけないでしょうね。
だから、最低限の成果は最初から約束されてたようなものなのよ。
でも、今回はもっともっと色々火種を撒けたわ」
む?と華雄が問う。
「と、言うと?」
「そうねえ。正直、紀霊みたいな大物が釣れるとは思わなかったもの。
適当に小競り合いするだけでもよかったのよ。
でも、そうはならなかったわ。幸いにも、ね」
「そういえばそうだな。確か、警備の兵とはかち合わないように貴様が調整してたのだったか」
「ええ、袁家内部から情報が来るとは思ってなかったもの。それを活かさないと、ね。
袁逢を旗頭に袁家は一枚岩と言われてるけど、そうでもない。それが分かったのが一つ。
そして、袁逢を疎んじる勢力は外患を招くほどに焦っている。しかもそれなりに力を持っている。
これは貴重な情報ね」
ち、と華雄はいらだたしげに舌打ちを漏らす。
「ふん、唾棄すべき奴らだな」
「ええ、貴女はそう言うでしょうね。だって紀霊が出てくる時期まで知らせてくれるんですもの。
死地にご招待できてよかったわ。そのために色々仕込んだんですもの」
「ふむ。まあ、ずっと逃げ回っていたから本陣の警戒が緩んだというのは分かるが」
つい、李儒の話に引き込まれていて、華雄は内心舌打ちを重ねる。言葉を交わすほどに耳が、心が汚されていくようで。
「あら、意外ね、貴女がそこに気づくなんて。そうよ。だって後続の兵を待たれたらどうにもならないもの。
そのために絶えず動き回り、逃げ続ける。だから攻めてくるなんて思いもせず、全力で索敵したものね。
普通に考えたら、いい判断だと思うのだけれどもね」
「ふむ・・・。なるほど、村長に黒山賊の数を半分に言わせたのもそのためか」
「ええ、そうよ。相手が同数と知れば流石に兵力分散なんてしないでしょうからね。
でも、50の賊なら最精鋭の梁剛隊なら30でも正面からぶつかっても勝てる。
実際そうなったでしょうしね」
勝ち誇ったような李儒がどうにも腹立たしいのだが、言っていることは確かなのだ。実際に彼女の思うままに盤面は展開していった。
「ふむ、なるほどな。だが、村で援軍を待ったら?
それにたまたま今回は野営地の近くに伏せられたが、他のところに陣を構えたらあそこまで襲撃が上手くいかなかったろう」
「それをさせないために村を焼き払ったのよ。そしてあの村から北上すると野営地に相応しい場所はあそこだけ。
そのためにあの村を襲うのを最後にしたのよ」
悪辣な!その内心を漏らさないほどに華雄は器用ではない。
「なんとも性悪なことだな!だがお前の性格からして、人質を返すどころか金を握らせるとは思わなかったんだが」
華雄の糾弾に李儒はくすり、と応える。
「うふ、よく見てるわね。それにも意味があるわ。
袁家はきっとあの村に援助をするわ。でもね、援助が届く前に村はあのお金で復興するわね。
当然、疑問に思うわね。すると分かるでしょう。徹底的に略奪、破壊された村がどうして自力で再建できるか」
そうしたら、賊徒と結んでいたという結論が出るでしょう?助けに行った領民に裏切られたということになるでしょう?それは、とてもとても素敵なこと。そうして、それを知って袁家は民にその恩恵をもたらすのかしら?
「貴様、何を言っている?」
李儒の毒言。触れるものを毒するその言は華雄にはある意味通じない。だが、何かしらの悪意があることは察知する。その本能で。
「うふ。でも、最大の収穫は紀霊の武を見れたことかしらね。
てっきり紀家の御曹司としての上げ底の評価だと思っていたのだけれども」
あの激情を、悲痛な慟哭をこいつに語らせるとこうにも醜悪に響くのか、と華雄は頭を振る。
「紀家に名高い三尖刀。それを振るう紀霊の武威は相当なもののようだ。それで?」
個人的には手合せしたい。そう思わせるだけの武勇を紀霊は持ち合わせている。だが、前後の事情を知っていると話は別である。
華雄の問いに李儒はくすり、と唇をゆがめる。
「ええ、そうね。名門袁家に息づく猛将。極めて厄介であると言えるわよね」
袁家は力をつけすぎたのだ、と笑う李儒を華雄は嘆息交じりに見やる。重ねて思う。どうして自分がこのような奴の護衛をせねばならないと。
ぽつり、と大地を穿つ雨粒はきっと涙雨なのだろう。華雄は李儒を置き捨て、馬に飛び乗る。後ろで抗議の声が聞こえるが知ったことか。
黒幕気取りの李儒が華雄にはとても疎ましく思えたのである。
「毒婦、め・・・」
その呟きを、遠くで響く慟哭を雨音は消し去っていく・・・。




