その男、叛につき
「ゆうべはお楽しみでしたね」
「うっさいわ」
ぽこり、と風のどたまに鉄槌を振り下ろす。
「おお、痛い痛い。
風は主の暴虐に全身全霊で抗議する所存なのですよー」
わーわーと騒ぎ立てる――楽しそうに――風である。
色々と言いたいことはあるのだが、何を言おうかなあと思っていたら稟ちゃんさんが引き取ってくれた。
「風、いい加減にしなさい。ふざけている場合ではないでしょうに」
「おお、怖い怖い。まあ、それでは現状を整理しましょかね。
蜀と名乗る不逞の輩。コナをかけた勢力は多々ありますが脅威になりそうなのはそこまで多くありません。
これは二郎さんが反董卓連合の後、諸侯軍の補給の梯子を外したおかげですね。
まあ、それでも無視できない勢力はまだこの中華に残っております」
まあ、そうよね。黄巾の乱で認められた諸侯の私兵。それをゴリゴリと削る作業の途中ではあったのだよ。参勤交代とかやったろうかとか思っていたくらいに。
「脅威となりそうな勢力。蜀と連動しそうな順に行きましょう。
韓遂、劉焉含む益州、曹家、黒山賊、孫家。あとは……有象無象の諸侯ですかね」
「西方はガタガタだな……。東方の諸侯にも睨みをきかさんといかんし、手駒が足りんな」
やはりここは当初の予定通り……。
「ここは孫家を使おう。流石に手が回らん」
メガネを光らせて表情の読めない稟ちゃんさんが問うてくる。
「よろしいのですか?袁家単体で蜀を撃滅するという当初の方針を放棄することになりますが」
「構わん。お題目に拘っている場合じゃない。なに、俺の面子が潰れるくらいどうということもない。使えるモノは全部使う。全部、な」
出し惜しみなんてしている場合じゃあないのだ。彼奴らには、思い知らせてやる。誰に喧嘩を売ったのかをな。
「手始めに、一番物騒な奴から手を付けよう。韓遂を召喚しろ」
「大人しく来ない場合はどうしますか?」
稟ちゃんさんの問いに俺は清々しく応える。
「長安失陥くらいは覚悟しとくか」
韓遂が本気で来たらそんくらいは覚悟せんといかん。長安を空にして焦土戦術とか色々と考えたりするが、現実的じゃないしなあ。まずは蜀を討つことに集中せんと……。
「そんな二郎さんにお客さんが来てますよ?」
どこからともなく現れた七乃がそんなことを言う。
「追い返せ、今は来客の相手をしている場合じゃない」
「あららー、名前くらいは聞いた方がいいんじゃないですか?」
まあ、七乃も今がどういう状態かって分かってるもんな。取り次ぎに来たってことはそれなりの存在か。
……華琳じゃありませんように。
「韓遂さんが涼州よりおいでですー」
なん……、だと……。
◆◆◆
「遠路はるばるご苦労さん。丁度俺もあんたに会いたいと思ってたところさ」
韓遂は目の前の男を改めて見る。
――今上帝は政務にまるで興味を示さず後宮に籠りっきりである。
自然、政治の全権は袁紹が握ることになる。そしてその袁紹が絶大な信頼を寄せているのが目の前の青年、紀霊である。彼が実質今の漢王朝を牛耳っていると言っていい。
無論それに対する反発も大きいのではあるが、表だって反抗する者はいない。
袁紹という後ろ盾、司徒という地位もそうなのだが。何より苛烈な宦官への粛清、弾圧――逃亡した宦官への捜査、取調べと言う名の拷問――の記憶はまだ新しい。
宮中を血に染めて全く揺るがぬその姿。一部で魔王呼ばわりされるだけのことはあるのである。
「涼州の一大事ゆえ。単身発った蒲公英の身も気になりますし、な……」
当然韓遂は馬岱の身の処し方については想定内。
いや、手の者を使い使嗾さえしたのだ。まあ、馬岱が容れられても容れられなくとも韓遂にとっては同じことではあったのだが。
紀霊が容れればよし、排除してもよし。
どちらにしても涼州の実効的支配権は韓遂の手に転がり込むのだ。後はどれだけ高値で売りつけるか、だ。
「……」
紀霊はばりばり、と頭をかき、はあ、とこれ見よがしにため息を吐き、懐から取り出した物を韓遂に投げつける。
すわ、暗器の類か、と身構えるも、緩やかな放物線を描くそれをぱし、と受け取る。
「これは……!」
流石の韓遂が言葉を喪う。
「おお、流石に見誤らんか。そうだ。見慣れている品だな。そう、涼州牧の印綬さ。
それが欲しくて洛陽まで来たんだろう?くれてやるよ」
す、と表情を消して韓遂は問う。
「随分とあっさりしていますな?」
苦笑一つ。いや、それは笑みだったのだろうか。
「馬家はお家断絶まっしぐらさ。だったら涼州をまとめられるのは貴様しかいないだろうが。
涼州は匈奴の盾となる重要な地域。荒らすわけにはいかん」
目を合わせることもなく、淡々とした言葉に激情が漏れる。
「……この私を駒扱いするか。舐めるなよ、小僧!」
裂帛の気合いに紀霊の横に控えていた護衛――典韋と楽進――が臨戦態勢をとる。その殺気は研ぎ澄まされ、物質化されたかのように韓遂を貫く。
が、幾多の修羅場をくぐった彼がそれごときで怯むはずもない。無手であっても、だ。
「生の殺気を剥き出しにするなど、お里が、知れる……。
主の都合を洞察できないとはな」
傲岸不遜に吐き捨てる。その言に護衛の二人がたじろぐ。
武勇はともかく政治的なやりとりは彼女らには埒外。自分たちの行動で主に迷惑をかけたのか、と。
「二人とも、落ち着いてねー。
それと引き続き警戒よろしく」
紀霊の言葉に護衛の二人はさきほどまで放っていた殺気を霧消させ、彫像と化す。
「――。
一頭の虎と、一万匹のネズミ。殺しつくすのって、どっちが楽かな?」
ニヤリ、と笑う紀霊の凄味。言葉の寓意。
韓遂が内心で驚愕する。この私が気圧されるだと!
「虎が一頭とは限りますまい。涼州騎兵は一騎当千。いかがされる?」
その声に紀霊は苦笑する。
「だったら根切りしかないだろうさ。
涼州騎兵、その性質。ひたすらに叛であれば世の害悪。涼州を焦土とするさ。
韓遂よ。俺が農業に詳しいというのは衆知の事実。これまで中華を肥沃な大地としてきた。だったら……焦土にすることもできる、と。思わないか……?」
「な!」
「まあ、そうはならんと思っているよ。馬騰さんはそんな人じゃあなかった。
漢朝に叛いたのも一族郎党を道連れにしてでも諫言をするためだった。
少なくとも俺はそう思っているよ。ああ、惜しい人物を亡くした。心からそう、思うよ……」
重苦しい沈黙が落ちる。その沈黙を打ち破ったのは韓遂であった。
「……これは紀霊殿は冗談がお得意の様子。涼州騎兵は漢朝の忠実な臣ですとも。蒲公英は身一つでその忠誠を誓いましたがな。
ああ、蜀なぞという不埒な賊軍。度し難いというもの。涼州騎兵の最精鋭五百、ご用意いたしました。蒲公英はあれでその軍才はなかなかのもの。
お役立ちになるかと……」
事実上韓遂が紀霊の軍門に降った瞬間である。
「ん、その忠勤。陛下にも伝えておく。ご苦労!」
言い捨てて去る紀霊の背を見ながら韓遂は思う。
流石に、義兄がベタ褒めするだけのことはあったな、と。
そして韓遂は涼州の牧にほどなくして任命されることになる。
馬超の出奔。更に馬岱の紀霊への従属。ともすれば崩壊しそうな涼州を支えたのは間違いなく韓遂であった。




