馬家二の姫
さて。
俺の前には悄然と項垂れる蒲公英。もたらしたのは翠が出奔したというその報せ。
誰よりも早く伝えたのはほかならぬ蒲公英であったのだ。昼夜兼行の強行軍。幾頭も替え馬を潰したという――馬家の乗馬への扱いを知っているからこそその重大さが分かる――それ。
そのおかげで、恐らく翠が幽州入りするより早くその報は入ったはずだ。
「顔を上げてくれ、蒲公英」
そう言って蒲公英が自ら望んだ枷も外させる。実際見てらんねえよ。
聞けば昼夜兼行する際もずっと自らに課してきていたらしい。おお、もう……。
「二郎様、本当に、ごめんなさい……」
気にするな、と。流石に言うわけにもいかないがどうにも調子が狂う、というか考えがまとまらない。
どう対応していいかも分からずに取りあえず別室に下がってもらい、傍らのメイン軍師に問うてみる。
「この始末、どうしたもんかね」
俺のかなーり曖昧で範囲の大きい問いに、メイン軍師たる風はむぅ、と唸る。
「詳しくは稟ちゃんとも相談しなければなりませんが……。
そですね。ひとまず二郎さんがお気になさっているのは馬岱さん及び馬家の処遇と思いますが?」
そうだな、と頷く。実際どうしたもんかよ。
「そですねー。
ぶっちゃけ二郎さんのお好きにすればいいと思いますよ?
こと、ここに至っては些事と言っても差しつかえありません。
どのようなご処置であっても如何様にもなりますし、二郎さんはそれだけの地位にいらっしゃるのですから」
「んなこと言ったって、さあ」
まさかの、丸投げに丸投げで返されてしまった案件なんだぜ。
いや、言われてみればお説ごもっともなんだけどね。これが権力を手にするということか……。逆に怖いわ。
内心ブルっていた俺を知ってか知らずか言葉を重ねる。
「その上で私見を述べさせていただくなら、馬家の誅滅は悪手かと~」
茫洋とした表情とは裏腹に、語る内容は待ったなしのガチ内容である。
いや、流石メイン軍師である。こういうの本当にありがたい。
「と言うと?」
「ただでさえ不穏な涼州。ここで馬岱さんを処刑しちゃうとですね。ようやっと治まる気配を見せていたのが台無しになるのは目に見えていますから~」
韓遂がよからぬことを企むに決まっていると風はため息を盛大に。ああ、韓遂がいたね。いたよ。
いたよねぇ……。涼州、超やっかい!
「ん……。しかし蒲公英に何て言えばいいもんかね……」
まさか助命してやるから翠と戦えとか……言いたく、ないなあ……。
「もう、やだなー。そんなの、食べちゃえばいいんですよ」
耳元にふぅっと息を吹きかけて七乃が囁いてくる。
って全く気配を感じなかった。流石の穏行の技。あっさりと後ろをとられてしまっていたようだ。
「うお!
……って食べるとか何を言ってんだ?」
「えー?あちらは、もともと二郎さんを憎からず思ってたわけですしぃー。二郎さんも満更じゃなかったですしぃー」
けらけらと七乃は更に言葉を続ける。
「いやあ、愚姉の不始末から一族の安全を守るため、その身を捧げる名家の姫君……。これは人気が出そうですねえ」
「おい」
ちょっと待てなんだそのシナリオ。
「それだと俺がこう、だな。
地位を利用して馬家の姫たる蒲公英を手籠めにした糞野郎になりませんかねえ」
にこりとほほえみ、数秒沈黙。
「まあ、悪名の一つや二つ、今更じゃないですか?ほら二郎さんが女性にだらしないってのは、ほんとだしー。
よっ!この好色一代男!もげたらいいよと思われてしまえー!」
フォローないんかい!
「もげてしまったら困る方が続出してしまうのですが、それもやむなしですね~」
ふ、風よお前もか。
「ま、世間的な体面とかはおいといて、です。中々に妙手ではないかと思うのですよ~。
実際馬岱さんや馬家軍の皆さんが参軍するとしてですよ。
当然風当りはかなーり強いでしょう。
疑念の目を向けられることもあるでしょうし、むしろ何らかの害が与えられる可能性も大いにあります」
ふむ、と考え込む。蒲公英を守るためにも意味があるということか。
「つまり、だ。俺の庇護下にあるいうこと。これを示す。
それには最上、ということか」
「そですよ~。
例え馬岱さんの首級で馬家軍の皆さんを許したとしてです。
当の馬岱さんはともかくとしてですが、馬家軍の将兵の皆さんから感謝されるかというと……。
そうではないでしょね~」
けらけら、と明るく七乃が笑ったと思えば。
「そんな馬家軍の将兵をあの韓遂さんが掌握するとか。
長安陥落くらいまでは覚悟しとかないといけないでしょう
いや、もっと迫られるかな?」
ふむ、と考え込む七乃である。
数瞬の真剣な気配に背筋が寒くなる。その仮定がむしろ来たるべき運命のような。
「しかしなあ、弱みに付け込んでどうこうするってのはちょっと……」
七乃は俺の言葉に失笑。そして後ろから抱きついたままで今度は俺の耳をがじり、と齧って。
ああ、と思いついたように笑う。
「ご自分からは言い出しにくいということですね?ご安心くださいな。
既にお姫様はご納得してますから。今は湯で身を清めているころですかねえ。
――無理を通すのが二郎さんのお仕事。そして道理を整えるのが私たちのお仕事でしょう?
いったい何を躊躇ってるんですか?」
真正面に回り込んだ七乃の笑みが、俺を刺す。
産まれたその時から袁家の闇に染まり、その闇を手繰ってきた彼女の言。
伝わる蒲公英の覚悟。
そして風が俺の背を押す。軽やかに、それでいてどこか真摯に。
「馬岱さんを助けたい。馬家軍も助けたい。更に涼州の安定も失いたくない。
その利があって尚、躊躇う。
そうすると、です。どれだけ自分に魅力がないかと思う人が出てくると思うのですよ」
蒲公英のこと、か……。
まあ、確かに蒲公英には失礼な話だよな……。
「まあまあ、後は当事者同士にお任せするとしましょう」
ぱん、と七乃が一つ手を打ち鳴らすとどこからか女官が出てきてあれよあれよと言う間に俺を誘導していく。お気張りくださいな、なんて声を受けながら通された室。
薄明りくらいの照明が入ったそこには、どこか不安げな目をした蒲公英がいた。
◆◆◆
「あ、二郎様……」
砂塵にまみれ、罪人のような風体だった先ほどとは打って変わって。小奇麗に着飾った姿は正に名家の令嬢に相応しい。
湯を使った後だからだろうか、どこか頬も上気している。
「に、似合わない……かな?
たんぽぽあんまりこういうのよくわかんないから、ね……」
てへへ、と照れるさまが可愛いぞこんちくしょう。
「ま、まあたんぽぽってばお姉さまみたいに手足長くないし、あまり見栄えはしないんだけどねー」
「卑下するこたあないさ。綺麗、だぞ?」
「わわわ、そ、そんなことないって。ここは馬子にも衣装っていう所でしょ?」
かぁ、と更に頬を上気させる蒲公英が可愛い。
「いやいや。こう、だな。
いかにも深窓の令嬢っぽくていいぞ?」
わたわたと狼狽える蒲公英をいじるのはとっても楽しい。
とは言え、だ。きちんとせんといかん。馬家の処遇、避けては通れない。
そんな俺の内心を読んだのか、きゅ、と袖を掴んでくる。
数瞬躊躇うが、言うべきことをまずは言う。伝える。
「馬家はお家断絶。
ただし、馬岱及び馬家軍の戦働き、それ如何による。
現状、馬岱は俺がその身柄を預かり、馬家軍はそれに準ずる」
まあ、翠がやらかしたことは蒲公英とその配下が購えということである。
「ふぇ?そんなんでいいの?
てっきりたんぽぽ、車裂きくらいはあるかなって思ってたんだけど」
まあ、そういう意見も袁家内であったというのは内緒だ。
「蒲公英の身柄は俺が預かる。そう言ったろう?馬家軍にしてもそれに準ずるともさ。
……それはそうと、よく頑張ったな」
じわり、と涙ぐむ蒲公英をやや乱暴に抱きしめる。
「よく、頑張った」
そう言うと、蒲公英はひし、としがみついてくる。
「ごめんなさい」
応えず、腕に力を込める。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ほんと、ごめんなさい。二郎様、ごめんなさい。
叔父様、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「蒲公英は頑張った。俺がそれを知ってる。俺は分かってる」
ぎゅ、と蒲公英が俺の身体を掴む。骨が軋むくらいのそれは蒲公英の生きている証のようで、とっても、嬉しい。
だが、けじめはつけないといかんのだ。いや、不粋だろうが、それをはっきりと言わんといかん。
だけれども、できるならばもっと違う形であればよかった。できればよかった。
「……蒲公英、お前は、俺のものだ」
搾りだした声に蒲公英は応える。
「うん。二郎様。蒲公英は二郎様のもの。それでいいよ?ううん。それがいい。
だって、ずっとそうなりたかったもの。
だから、そうなって、こうなって、それでも嬉しいと思うの」
泣き笑いしている蒲公英。そ、と口づける。
「あ……」
かぁ、と頬を上気させる。そんな蒲公英がどうしようもなく、可愛い。
「お前は、俺のものだ」
こくり、と頷く蒲公英。
それがいじらしくて、可愛らしくて。
月並みな言葉を繰り返す。他に何も言えなくて。
「お前は、俺のものだ」
きゅ、としがみついてくる蒲公英。
荒々しく、或いは優しく。
「もっと、もっと早くこうなってたかった。ずっと、こうなりたかった。
でも、好き。大好き……」
或いは、あったかもしれない。馬騰さんにゴリ押しされてお見合いする俺と蒲公英。そんな未来があったかもしれない。
静かに泣きじゃくる蒲公英。ぎゅ、と抱きしめる。
今だけは。今だけは、辛いことから目を逸らそう。
嗚咽とも、嬌声とも。
暗闇に全ては吸い込まれていった。
 




