翠よ、万里を駆けよ
兵は神速を尊ぶ。
だから、さくっと一撃で劉備一味を討つ。その方針にメイン軍師他二名も賛同してくれた。
陳琳に作らせて俺が奏上した出師の表。それを受けて今上陛下も劉備一味に対してすんなり朝敵認定を与えて下さった。ありがとうございます。
ありがとうございます!
後は攻めるだけかと思っていたら、彼奴等の動きは俺の想定を上回っていた。攻撃は最大の防御ということだろうか。やられたね。
こともあろうに麗羽様の専横を非難、俺の所業を糾弾。そして今上陛下は傀儡とまで言い放つそれはまさに宣戦布告。
各州牧に檄文を発し、反袁紹連合をでっちあげる。
更には今上陛下に皇帝の価値なく、袁家の傀儡であると弾劾。天の御使いたる北郷一刀がその手にある伝国の玉璽を劉備に与えて皇帝と為す。
これはあらゆる意味で、やってくれたものだよ。やってくれたなこんちくしょう。
「さてはて、です。
急展開にさしもの風も混乱しちゃうのですよ。
例えば何故国号を蜀としたとかですが、わけがわからないのですー。
漢朝の正当を継ぐつもりがあるのかさえ疑問になってきますよ」
漢朝の正当なあ。そりゃあなあ。あの面子ならば蜀になるだろうよ、とも言えず。
「知るかよ。天の知識なんて曖昧模糊なものを斟酌しているほどこっちもヒマじゃない。さくっと制圧するぜ」
劉備一味。だが、その動きは激しくあった。
「州牧、軍閥に檄文ですか……。断末魔としてもお粗末なものですね」
稟ちゃんさんの言うこと、まことにごもっとも。俺もそう思うよ。
全くもって、色々とおそまつなものだ。
まあ、当初の予定通りさくっと討ち取ればいいであろう。
そんな俺たちの前提をひっくり返す事態が起こったのだ。
涼州牧、馬超。出奔し、蜀に走る。
涼州牧たる翠。馬家という名家。馬騰さんという英傑が築いた漢朝での地位、立ち位置。その選択。
これにより俺たちの描く戦略は大崩れ。
中華全土を見据えるべく。あれやこれや大きく方針転換を余儀なくされるのであった。
◆◆◆
「お姉さま、本気?
たんぽぽとしてはむしろ正気かどうかを確かめておきたいんだけどもね」
いっそ正気を失っていれば馬家全軍でもって制圧するのだが、と馬岱は内心の憤りを吐息にて。
叩きつけられる怒気と言の葉に馬超は視線を外す。いつもにこやかに自分を肯定してくれていた馬岱の怒りに思うところがないわけではないのだ。
彼女とてその意味が分からないわけではない。いや、その理解の度合いについては大いに論議の価値はあるだろうが。
「それでもお姉さまは行くんだね。」
ここで馬超を討伐するという選択肢も確かにあるだろう。
だが、錦馬超なのだ。犠牲がいかほどになるか。
というか、馬家軍総出でも討ち取れるかどうかは疑問符が付く。それほどに馬超の武は頭抜けている。
頼もしかったそれを、重荷に感じることがあろうとは。
だが、それでも。
「もう、しょうがないなあ、お姉さまは」
そして、だから。
馬岱に選択肢はあってなきがごとし。
それを知ってか知らずか、その声は明るく響く。
「すまん!それでも、私は……一刀が言う、皆が笑って暮らせるという世界。それを見てみたい。そう思うんだ」
馬岱は結局、自分はおみそなのだと痛感する。何を言っても届かない。どんなに頑張っても届かない。そんな存在なのだと痛感する。
「叔父様は!叔父様がいたらきっと怒ったよ!」
でも、言う。それでも、言う。
敬愛する馬騰の権威を借りてでも言うのだ。言わなければならないのだ。
「父上は!私に万里を駆けよと遺した!
だから私は、色んなしがらみから離れてみようって思うんだ。もう、決めたんだ」
言うべきことは言ったとばかりに馬超は愛馬に跨り駆けてゆく。
それを見送ることしかできない。
馬岱はそれでも泣かない。泣いてはならない。漏れそうになる嗚咽。漏れてしまうその声。
「もう、やだよう。こんなの、あんまりだよう。
助けてよ。もう、やだ……。やだよう……」
押し殺した彼女の嗚咽を、慟哭を聞く者はいない。そして縋るその声も。
「二郎様……。助けてよう……」
寄る辺ない彼女は縋ろうとする。そして縋るしかないのだ。逆賊となるのだ。馬家は逆賊となるのだ。当主のその行いによってだ。
「もう……やだよぅ……」
それでも。馬家軍に対する責任が馬岱にはある。兵卒に、士官に。苦楽を共にした彼等だ。 助命嘆願は義務ですらあるだろう。だって、かつての叛乱とは違い、彼らに叛意はないのだから。
だからそれでも最善を尽くすのだ。
◆◆◆
「二郎様、ごめんね!お姉さまを止められなかった!」
てへ、ぺろとおどける。
それでも、込めた思いは本当に、本当に、だ。
申し訳ない。申し訳ないのだ。
ぐにゃり、と歪む紀霊のその顔。
彼の背負うものを知らない馬岱ではない。
ごめんなさい!咄嗟にそう叫びそうになる。でもそれはできない。きっとそんなことで馬家は許されない。許してはならない。
それは馬岱にも分かる。馬岱でもわかる。
泣き出しそうな顔を見て、妥当だなあ。いや、軽いかなあと思う。手枷足枷を嵌められ、それでも思う。自分一人の命で馬家軍の兵卒。彼等の命が助かればいいなあ、と。




