舌戦
幽州への使者として選ばれたのは陳琳である。先の軍師陣の反応を見ても分かるように、常識的に考えるならば、使者として派するにはいささか以上に問題のある人物である。
いや、その能力には問題はない。疑念はない。頭脳明晰であり、幼くしてより名文家として知られている。容姿も眉目秀麗にて佳人と言っていいであろう。
怜悧たる印象を与えるその容貌は控え目に言っても七難を隠すほどのもの。
それでも、いやその容姿があるからより一層彼女のその特異性が活きるのかもしれない。吐く言葉は常に正論極まるもの。
だが。いや、だからこそ反感を買う。
本来であれば紀霊の守り役は陳蘭ではなく彼女であったはずなのだから。いささか守り役というには、主に頭脳面で難のある陳蘭が選ばれたのはその辺りに理由がある。
狷介、というのではない。傲岸でも不遜でもない。ただただ、その言動が人を苛立たせる。
行いそのものは品行方正にして清廉潔白。そんな彼女は今人生絶頂期にいたのかもしれない。
九卿たる大身に抜擢されたのはある意味妥当。そして、漢朝の威光を背負って使者となる。
控え目に言って険悪なその場。無論陳琳が恐れ入る訳がない。その必要もない。
◆◆◆
「フン、どこの馬の骨とも知れぬ輩が州牧気取りとは片腹痛いな!」
その言葉。その場にいた劉備配下が色めき立つ。
そして、諸葛亮が並べ立てる韓浩の職務怠慢、いくつもの罪状を陳琳はまともに聞く気はない。そしてその必要はないと切り捨てる。
「フン、韓浩のような愚直愚図の蒙昧。あんな愚鈍にそのような器用な真似ができるものか。いや、できはしないのは明白さ。
大方貴様らに嵌められたのであろうよ。
奴らしくなんとも愚昧なことだ」
韓浩とは知らぬ仲ではない。知らぬ仲ではないのだ。
いかにも不器用な生き様は傍から見ていて不愉快極まるものであったと陳琳はしみじみ思う。
本当に、僚友として見てはいられなかった。あのような不器用な生き方、到底看過できるものではなかった。
まあ、よかれと思って助言したが、一顧だにしなかったのは彼女の問題であったのだろう。
「ああ、本当に不愉快極まる。あのような愚物、放っておいてもロクな末路ではなかったろうに。そして貴様らの愚かさには呆れかえるよ。
あれをわざわざ謀殺なんぞしたのだからな、手間暇が無駄ということは確定的に明らかというものだ」
その言葉に、諸葛亮は声を大にして異議を唱える。
その声に陳琳は苦笑する。嘲笑し、激昂すらする。そして目線を上に上げる。
更に感情を言葉に載せて紡ぐのだ。詩人のように。
「おお。このような、本当にお子様が代表して口を開くのか。開くのだな。
哀れなことだ。水鏡女学院の俊英。知っているぞ?確か伏竜鳳雛の片方でも得られたら天下を狙えるのであったか。
笑止千万とはこのことよな。双方手にした結果がこれとは。この程度とはな。
ああ、劉備。貴様は誤った。配下を誤った。本当に誤った。
貴様のような鈍牛には韓浩のような、そこらへんに転がっているような凡才が相応しかったのだ。
そうとも。あいつはそうだったよ。貴様らみたいな低脳にも親切だったろうよ。
つくづく思うとも。
貴様らは、身の程を知ればよかったのだ」
視線は広く、言の葉は烈火。結果として盤面全てに業火を招くのが陳琳である。当然それは周囲に延焼を。
そして。その身に怒りを込めて関羽が口を開く。
「そこまでです!
流石に無礼が過ぎるでしょう!」
燃え上がるような気迫である。それは効果覿面。
「ひっ」
その場に陳琳はへたりこむ。武人の殺意、それも極上。その威に晒されてへたりこむ。
それでも抗う。抗おうとする。
「こ、こんなこと許されると思うのか!貴様ら!」
「理不尽極まる。それは貴女でしょう?こちらが誠心誠意尽くして揃えた資料に目も通さずに!」
ふざけるな!ふざけるな。ふざけるな!
その声に、武威に。それでも、涙目になりながらも陳琳は叫ぶ。抜けた腰、震える膝など知ったことかと。思いを新たに、ふざけるなと喉を枯らす。
「匈奴!黒山賊!それに逆賊董卓軍だ!死線をくぐったあいつはそれこそ出世栄達思いのままだったのに!だからあいつは馬鹿なのだ!馬鹿そのものだった!だからこそ!
貴様ら、許さん!五体投地とは言わんでもそれらしい態度あれば手心加えてやったというのに!
言い渡す!劉備!北郷一刀!死を以って償え!今ここでその身を散らすならば係累には容赦してやろうともよ!
貴様らの首は柱に吊されるのがお似合いだ!」
無論、その言い様を許す劉備陣営ではない。殺気沸き立つその場。覚悟なぞ決めるはずもなく、這う這うの体でその場を離れようとした陳琳を救ったのは爆音と轟音であった。
「火事だー!」
溢れる煙幕、震動。重なる火災。戸籍すら多くは喪い、行政記録は消失してしまっていた。そして気づけば、陳琳をはじめとした使節団は忽然とその姿を消していたのである。




