口実
「へえ、じゃあ翠は無事涼州の州牧様になれるのか」
「ああ、おかげさまでな。ようやく父上の跡を継げる。そう、ようやく、だ」
よかったなと北郷一刀は馬超を祝福する。いや、実に妥当な人事ではある。だが、なにせ涼州には韓遂という梟雄が居座っており、安定とは程遠い。
「大変そうだなあ」
北郷一刀としてはそう言わざるを得ない。
そしてその声にその場の全員が苦い笑いを漏らす。
「一刀だって大変だろう?幽州は涼州と同じく漢の北壁。
匈奴の相手は大変だぞ?」
しみじみと語る馬超。言動が危うくても、歴戦の猛将である。その武威、武勲はこの場の誰よりも大きい。
「ああ、そう言えば公孫賛殿の配下となるのだったわね。重責、大変ね。
でも義勇軍からしたら大出世じゃない。ここはおめでとうと言わせてもらうわね」
にこり、とほほ笑むのは黄忠。皇族筋の劉表に仕え、今回の反董卓連合においては兵数よりも兵站で貢献をしている。
彼女の主たる劉表は僻地とも言える益州――劉焉が聞けば柳眉を逆立てるであろうが――に赴任することになっている。
「紫苑も大変だなあ。娘さんもまだ幼いのに益州とは」
益州は半ば未開の地。匈奴とは異なるが南蛮勢力が跋扈し治安も落ち着かず、未だ知られない疫病も数多くあるというのが、この時代の認識である。
「そうなのよねえ。正直迷っているわ。ごめんなさいね、桔梗の前で」
「なに、子を思う親の心。気にすることはなかろうて。実際、過ごしやすいとは言い難いからな」
肩をすくめる厳顔である。
実際、過ごしやすいかと言われれば、だ。それに成都へ向かう道ですら未整備だ。
それはまあ、天然の要害たる益州の地の利を劉焉が十全に活かすために街道整備に慎重だからだったという面もある。だが、実際道を切り開くのも容易にはいかないくらいの地理条件なのではある。
「だったら、さ。うちにこないか?
いや、翠は流石に駄目だろうけどさ。紫苑と桔梗が来てくれたら、俺も心強いし」
実際、黄忠と厳顔という人材は得難い。軍務、政務に通じており、未だ若い自分たちにとって有益この上ない。
未熟ゆえの先達との軋轢を防いでくれるだろう。そんな諸葛亮の言葉を思い出しながら。
いつになく真剣な彼の目線に、柄にもなく頬が上気するのを自覚しながら黄忠は考える。悪くはない、と。
「そうねえ……。考えてもいいかしら、ね」
「本当か!紫苑が来てくれるなら千人力だ。桔梗はどうだ?」
「そうさのう……。実に魅力的な誘いではあるが、乗る訳にもいかん」
「なんでさ!」
その勢いに厳顔は苦笑する。全く、可愛いではないか。心が揺れるではないか……。
「わしは劉焉様の臣よ。じゃから行けんよ、行くわけにはいかん。
劉焉様を隠居に追いやった袁家のそのまた配下には行けん。それではあまりにも劉焉様がみじめというものじゃろう……」
だから自分も隠居する、と厳顔は笑う。
「親はなくとも子は育つ、とまでは言わんがな。
劉璋殿が益州の牧となる日を待つとするさ。いや、待つだけじゃがの」
呵呵大笑して厳顔は北郷一刀に向き合う。
「なに、そのような顔をするでない。お主の誘いは嬉しかったぞ?
じゃがまあ、通すべき筋があるというだけじゃ。お主の言っておったこと、忘れているわけではない。
皆が笑って過ごせる世を。実に素晴らしいとは思うぞ?」
「だったら、さ」
「まあ、一刀もそこまでにしようよ。
私だって一刀の、桃香の築く世は見てみたいさ。でも、それなりにしがらみってのもあるのさ」
苦笑がちに馬超が割って入る。半ば自分が加われぬ詫びをこそ滲ませて。
「まあ、気が向いてほしいもんだ。
いつだって歓迎するよ」
その言葉に三者三様の表情を浮かべる。
くすり、と艶然たる黄忠。
むむむ、と苦悩する厳顔。
たはは、と苦笑する馬超。
――後日、黄忠は劉備一行に加わることとなる。
◆◆◆
呆然。茫然。その表情を浮かべる呂布に北郷一刀はかける言葉を見出すことは出来ない。
できるのはただ寄り添うことだけ。
「みんな……」
平坦な口調。それでもそこに込められた悲哀。それに気づかぬほど鈍感ではない。
「恋……」
ここはかつて呂布が屋敷としていた敷地。そこには古今東西の百獣が肩を寄せ合っていたのだが。
「みんな、どこ……」
辛うじて残っていたのは、ぴすぴすと鼻を鳴らしてぺろぺろと呂布の手を舐めるセキトのみであったのだ。
もとより、どこかしこから拾ってきた禽獣猛獣鳥獣家禽を養ってきたのは一重に呂布ただ一人の愛情であり、それが途絶えたからには。
「どこ……、みんな……」
呂布の悲嘆はどこにも届かない。嘆き、悲哀。それらの慟哭はただ虚空に吸い込まれていく。
「恋、ごめんな」
だが、傍らにある北郷一刀は詫びる。心から、詫びる。
「恋の家族、助けられなかった」
ふるふる、と呂布は首を横に振る。
「ご主人様のせいじゃ、ない……」
「それでも、救えなかった。救えたかもしれなかったのに、なにもできなかった!」
激昂する北郷一刀。その思いは呂布の心にしっかりと届いていた。
「ありがとう。あの子たちがどうなったかは恋には分からない。でも、ありがとう。
きっとあの子たちのことなんて、誰も気にしなかったんだと思う。だから、ありがとう」
そして、その激情を呂布は好ましく思う。
「恋!そんな顔をするなよ。俺のとこに来いよ、セキトと一緒にさ!」
自分が、大好きな人に必要とされるということは、こんなにも嬉しいことなのかと呂布は思う。
いや、きっとそれは感傷。自分はあんなにも大好きな人たちと一緒に歩んでいたのではないか。
「だめ。ご主人様とは一緒にいけない……」
呂布は悲しげに、それでもきっぱりと。
「なんでだよ!」
「二郎に、言われた……。恋が誰かに頼ったら、それが迷惑になるって……。
二郎は詠と一緒で、いつも正しい……。だから、ご主人様に迷惑がかかる」
北郷一刀の怒り、それを嬉しく思うこと。それとは別に、呂布は悟るのだ。自分が彼の配下になれば、とても困ったことになるだろう、と。
「だから、行けない。恋はちんきゅーと、セキトと。それで、いい」
呂布に残された家族はそれだけ、たったのそれだけなのだと北郷一刀も悟る。
「でも、それでもさ。恋は大事な人だもの。困ったら、いつでも頼ってくれ」
「うん……」
そうして、その約束が大きな影響を持つことを、この時点では誰も知らない。
◆◆◆
さて、無事に年が明けた。
年越しには麺類だろうと凪にリクエスト出したり(あっさり希望が通った)、鐘を108回鳴らすとかいう意味不明なイベントにも皆快く付き合ってくれました。煩悩退散!
んで、年始の挨拶を今上陛下と美羽様にしたんだけどね。流石に三公の挨拶の時はしゃっきりされてたんだけど、さ。陛下。いい感じに舟をこいでらっしゃったなあ……。
うむ、その図太さたるや。……まあいいや。
俺が向かったのは新年会的などんちゃん騒ぎだからして。
いやあ、呑んだ呑んだ。お仕事もしたぜ?
一応三公の身で、こんな宴席に出てるのは俺だけだからして。表敬訪問というか、ご挨拶とかは何人相手したかとかはまるで覚えていない。多分横にいた風が把握してるだろう。それはともかく。
「あー、美味しい……」
凪の作ってくれた粥が実に美味しいのである。白粥なんだが、塩加減とかが絶妙なのです。
ずび、とその粥をすする。うーむ、この幸せ。とか思っていたら。
「何だ、二郎よ。随分疲れてるみたいじゃないか」
そう言って笑うのは華佗である。
「うっせえ。これでも気疲れとかすることもあるんだよ。この一杯のために生きてるって感じでこう、な」
頭脳とかまるで働いていない俺の台詞だから、説得力とか仕事していないというのは認識している。その場のノリで適当な言であるのだよ。まあ、そんなこと先刻ご承知だろうけどね。
「まあ、それについては何も言わんさ。実際世話になってるしな。ただまあ、これを飲んでみてくれ」
華佗が俺の盃に酒を注ぐ。
「そりゃ華佗の酒は飲まんわけにはいかんけどさあ、って苦っ!」
苦いだけではない。香りもなんかこう、漢方というか、不可思議な感じで。
「悪鬼を屠り、魂を蘇生させる。そういう酒なのだが……」
「不味い!もう一杯!」
屠蘇散というやつだな。新年だからって阿呆みたいに呑むのを防ぐにはいいだろうな。
「量を飲むものではないとしても、これは強烈だな」
正直口の中がこう、苦味とかでうにゃー、となる。
「へー、二郎がそんな顔するんだ。シャオも試してみようかなー」
うずくまる俺の背に抱きついて、そんなことを言う。というか、いたんかい。
いいぜ、これが美味しいと思うのならば、まずはそのふざけた幻想がぶち壊されるぞ。多分。
そして予想通りの反応である。
「なにこれ信じらんない。これって人が飲むものじゃないよー」
「えー?そうですか?私は結構いけると思うんですけれども」
ってマジかよ流琉。
「流琉ってこういうのもいけるんだ。でもこれが美味しいとか思わないでね。こんな味付けの料理とかシャオは食べたくないし」
「いえ、流石にこれが一般受けしないというのは分かりますけど、そこまでかなあ」
どうやら本当に人によるらしい。本業料理人の流琉であるから、聞き入るしかないんだよね。
「ま、二郎が口移ししてくれるなら甘露になると思うんだけどなー」
ちらり、とこちらに寄越す視線には年不相応な艶が含まれており。
「そういうの、人前で言うなって」
「ごめーん。最近ご無沙汰だったからね。うん。二人っきりの閨でお願いするねー」
ぽかり、と拳がシャオの脳天に振るわれる。
「そこまでです。美羽様との話題にするのはよくっても、二郎様がお困りです」
「やだー、流琉ってばひどーい」
きゃいのきゃいのと、なんだかんだ言って仲がよさそうでなによりである。
◆◆◆
「百薬の長。それでも飲み過ぎれば百害あって一利なし。そういうことだろ?」
ここまで香りがきつければ、新たに飲もうとは思えないからして。
「ふむ。実際、な。煎じた生薬というのは疲れた身体にはいいものではあるのだぞ」
「それは分かる。五斗米道の秘中の秘。それが惜しげもなく注がれてる。それくらいは分かるさ」
しらんけど。
「なに、そこまでたいしたことじゃない。一度漢中に戻らねばならんしな。
ここまで世話になった礼と思ってくれ」
「まあ、凪や星にも気ってやつの指導もしてくれてたみたいだしな。
ほんとに、ありがとな」
「いや、拙いながらも伝えることは伝えた。後は彼女らの意思だろうさ」
「それなら安心できるな。俺と違って才能と向上心に溢れてるからな」
実際、努力し続けることも才能のうちだとおもうのだよなー、とか思うのである。
「おや、主よ。才能の一言で片づけてほしくないのだがな」
おっとここで星のエントリーだ!ここまで大人しくしていたのに。
いや別に星の努力を見てないわけではないけどね。
どこか拗ねたような星が可愛くて尻を一揉みしてやる。うむ。
こら、と睨まれてもなあ。可愛いだけだぞ。
「いちゃつくのもそれくらいにしてくれよな。それ以上やるならおいらは帰るぞ」
「やだなあ、張紘。そりゃもう、ごめんなさいだよ。なあ、星?」
「無論だとも。
最近構ってくれなかった主にじゃれついていただけで、他意はない。うむ」
「それはともかく。趙雲さんよ、あんたの叙事詩。どうしたいかって希望はあるのかい?」
張紘の問いかけにニヤリ、と星は極上の笑みを漏らす。うむ。安心できん。
意外と星ってば、はっちゃけるからなあ。
「ふむ。腹案はある」
すちゃり、と懐から取り出したのは、蝶の仮面?
「これこのように、だ。仮面を纏ったならば。
法で裁けぬ巨悪。それを糾すは正体不明の華蝶仮面。
華麗、その一言がその存在を象徴するのだ――」
「却下」
びしり、とポーズを決めた星に無慈悲な俺の声が響くのだよ。
「なんと――!」
なんと?!じゃないっつの。
「あのなあ、法で裁けぬとか言うなよ、お前さん、執金吾だろうが。自分の職責を貶めてどうするんだってばよ」
「むむむ」
「なにがむむむだ。
却下だ却下。法で裁けぬ悪とかはもちっと治安が上向いてからだな。今はまだ漢朝の法治を讃えねばならんさ」
それでも、星は不満げである。
理屈は分かってるはずなのだ。なのだが。
「こんなに、恰好いいのに……」
「怒るぞ!」
何か知らんけど蝶々的なマスクは没収である。はい、没収!
涙目で星はあれこれと訴えかけてきたけど知らん。
「無体な……」
はいはい、きっちり仕事してからそういうことは言いましょうねと。
しかし思うんだけどさ、この、蝶をかたどった仮面を装備してその素性が誤魔化せるとか本気で思ってたのかねえ。いや、まさかな。まさかに。
俺は手元でその、蝶をかたどった仮面を弄びながら大きくため息を吐いた。
あれ、俺って結構真面目にお仕事しているんだろうか。
くそ!なんて時代だ!
のんびりスローライフが最終目的だと心に誓う俺なのであった。




