劉皇叔
「おや珍しい。これは明日からの天は、慈雨間違いなしですね~」
三公の筆頭たる司徒。その執務室は俺の戦場。そこに踏み入った俺にかけられたのは、腹心たるメイン軍師の無慈悲な言葉だった。やったぜ。なしとげたぜ。
「ああ、最近埃っぽいし、そろそろ一雨ほしいとこだかんな」
軽口で答えて、どしりと司徒の席に座る。むむむ、しっくりこない。
何とも言えない、すわりの悪さを置いておいて報告書に目を通したりしなかったり。
生暖かい風の視線なんてまるで気にならない。そして暫しの沈黙。
多分これ以上どちらも黙ってたら、どちらかが口を開くのであろうなあという微妙な間。その時。
「あー、疲れた。まったくやってらんないわね。って二郎じゃない珍しい」
やれやれ、といった風に登場したのは劉璋ちゃんである。
時は暫し遡る。
◆◆◆
――劉璋ちゃんが俺に面会を求めてきたときには柄にもなく緊張したものだ。なんとなれば彼女のご母堂を――皇族にもかかわらず――強制的に隠居させたのだからして。
てっきりそれに対する文句というか弾劾の言葉を頂くのだろうと思っていたのだが。
もたらされたのは意外な言葉であった。
「へ?仕事がしたい?」
「そう。だから適当な役職を見繕ってほしいの」
「そりゃ構わんが……」
丁度人事案をあれこれ考えてたところだからタイミングもジャスト極まるものではあったのだけんども。
「まあね。お母様の処遇については思う所がないわけでもないわよ。
でもまあ、仕方ないわ。
私だって馬鹿じゃないのよ?お母様がどんな動きをしていたかくらいは理解しているわ」
もにょもにょと言葉を濁して、その沙汰については納得してくれていたみたいだった。よかった。
いや、実際あれで韓遂まで呼応されてたら、結構面倒くさいことになってたからね。
涼州はともかく益州まで出兵とかやってられんしなー。
まあ、それはともかく、だ。
「皇族でございとふんぞり返っとくのは?」
実際、宮中に健在な皇族って今上陛下を除けば劉璋ちゃんくらいなのだ。
いくらでもちやほやされる夢の生活も可能なのだからして。
お気楽な俺の言葉に軽く苦笑。
「流石にそれは、ね。そこまで図々しくないわよ。
弁君……今上陛下に半ば弓引いたような立場だもの。
だったらきっちりと汚名は返上しないとね」
なんとも真面目なことである。劉璋ちゃん自身は軟禁されとっただけというのに……。
「まあ、それはいいとして何で俺のとこに?」
「そ。それは……」
口ごもる劉璋ちゃん。どことなく頬が赤らんでいるようにも見える。
ああ、なるほどな。今上陛下への直訴は立場上いかにもまずい。だからと言って事実上の最高権力者たる麗羽様ともコネがないし……。
三公で言えば白蓮は地方の軍閥出身だし華琳はまあ、宦官の系譜さ。なるほど選択の余地はなかったりする。まあ、きな臭い動きも七乃からは聞いているんだがね。
「清流派を率いるみたいな話も聞いたんだけど」
旗印を喪った清流派。その首魁に据えようという動きは割と活発で。立場としてはありえるなーと。それらをぶっちゃけトークで聞いてみたんだが。
「あのね。訳も分からずに派閥の領袖になったとして、よ?私は一体何ができると言うのよ。
結局お神輿になって利用されて、それだけでしょう?
だからね。私はね。実務に携わりたいの。
皇族でございとふんぞりかえりたくないのよ。
私がちやほやされるというのはつまり、漢朝が健在だからでしょう?その根幹を駄目にしたくない。いいえ、別に清流派にそれほど含むところがあるわけじゃないのよ。
でもね。きっと私は何も知らない。だから派閥の領袖に相応しい判断なんてできはしない。ただの傀儡になるしかないの。
私は、皇族よ。皇族なの。でも、董卓や宦官の暴走を止めることはできなかった。
皇族というのが尊重されるのは、それだけ重い責を担っているからでしょう?」
そう言ってくしゃり、と顔を歪めた。
「私はね。嫌なの。
もう、自分が足手まといだなんて、嫌なの。
だから、二郎にお願いするの。二郎なら、その、ね。信じられる、から――」
なんとも嬉しい評価である。
とはいえ、だ。劉璋ちゃんというのは実に劇物。扱いには苦慮するというか、だな。
「ん――。俺の部下的な地位でも文句は言わない?
正直、劉璋ちゃんが自覚しているよりも君の血筋、立場というのは厄介でね」
俺ごときの下風に立てるかと断られるかもしれないと思っていたのだ。
「ええ、構わないわよ」
即答である。
苦渋の決断どころか、どこか嬉しそうな表情。解せぬ。
そんなこんなで劉璋ちゃんは中書令として、司徒府の内に入ったのである。ちなみに中書令は地位としては三公に次ぐくらいには重責である。ここテストに出ますからね。
んでもって立場はまあ、分かりやすく言うと政調会長的な?
色々と、どこにでも首をつっこめるという汎用性の高い役職である。
そして、紆余曲折が割とあって、無事現在に至るわけなんだが。各方面には感謝の一言である。
そうしたら、ぶっちゃけ司徒府において一番働いているのが劉璋ちゃんという嬉しい誤算。
その権限と血筋と俺のバックボーンを活かして、ずんずんとなんにでも首を突っ込み、納得いかんことには、無垢なる怒りをぶつける。
んで、官僚とかのその場しのぎの言い訳は過去の記録を確認したり、蔡邑さん――現在は太師として今上陛下と美羽様、あとたまにシャオと流琉を教育している――に裏を取ったり、八面六臂の大活躍である。すげえ。
蔡邑さんも、あれで何進の下で実務をこなしていたからなあ。古典とか前例への理解では他の追随を許さないし。
ちなみに、思い立ったが吉日とばかりにとっこーする劉璋ちゃん。宮中において他に劉姓がいないということで破格の扱いを受けている。
非公式な場では、今上帝からは「叔母上」と呼ばれ、「弁君」と返すくらいである。多分、劉姓であるという以上に、だ。
簡にして単な気性も今上陛下からしたら気安く、心強いからこその扱いなのだろう。
そして、それが故に宮中でも特異な立場を築きつつあるのだ劉璋ちゃんは。具体的に言うと、「劉皇叔」という尊称が定着しつつある。
うん、なんだそれ。マジかよと思ったものだが。いやまあ、今上帝に叔母上扱いされてたらむべなるかな。
ともあれ、それにより宮中のパワーバランスがよくわからんことになってたりするんだよね。俺→劉璋ちゃん→陛下→俺以下ループみたいな。
だがこれは俺にとっても好都合である。権力のよくわからんスパイラル。それはいい。そこに麗羽様や美羽様が巻き込まれないのだからして。
まあ、実際漢朝に巣食う守旧派が標的にするのは俺しかいなくなる。いや、よかったよー。いくら七乃が頑張っているとはいえ、だ。陰謀の直接的な標的から麗羽様と美羽様は除外したかったからなー。
とかなんとか過去に思いを馳せてメイン軍師たる風と劉璋ちゃんの冷たい視線をやり過ごそうとする俺である。うん、おしごとしてないのは自覚しているのだよ。
ちら、と視線をやると劉璋ちゃんが苦笑している。あ、目が合った。
「やあねえ。今更二郎があちこちふらついてることを、どうこう言わないわよ」
「へ?」
なんとも意外なお言葉である。
「だって、そうやって二郎がふらふらしてるからこそ、私はここにいられるんだから、ね?」
「お、おう……」
そういや、そうだっけか。
「それを言われると風も弱いですね~。まさに二郎さんに拾われた身ですからね~」
まあ、劉璋ちゃんほどに極限状態――まさかの皇族行き倒れ疑惑――よりはマシだったけどな。
「え、そうなの?」
そこに食いつくのですか劉皇叔さま。
「はい~。賊に襲われてあわや!という時に颯爽と登場したのが二郎さんなのですよ~。風の心はその時に奪われてしまったと言っても過言ではありませんね~」
おい、おい。
「そうなの?そうよね。二郎って、そういうとこ、あるわよね。
ほんと、いつもはこんなにのんびりとしてるのに、いざっていう時は頼もしいっていうか……」
なんか、とっても居づらいので、とっととこの場からはおさらばだぜ!
世はすべてこともなし。
そんなこんなで年も暮れていったのである。




