魔王 凡人 郭嘉
劉備たちを召し抱えた流れを白蓮から聞いて俺は大いに項垂れる。がっくりだぜこんちくしょう。
そうかい、そうだよな。それこそが最善手だよな。やってくれるぜこんちくしょう。そりゃ伏竜鳳雛そろってりゃそれくらいは考えるか。
むしろ、韓浩が白蓮の腹心としているということが救いかな。
「まあ、そんなわけさ。あれで桃香たちは県令だったろう?それを私が引き抜く形になるからさ。そこの調整を頼みたくてな」
この通りだ、と白蓮に頭を下げられると、だ。
「白蓮に筋を通されると、な。
その様子なら他も分かってるんだろ?」
白蓮は苦笑して。
「そうだな。桃香の地位は県令だった。そこに兵権なんてあってなきが如しだ。それでもあいつはやってきた。
どっちにしても領地には戻れない。そうだろう?」
「そうだな。なに、暴虐たる董卓に対して兵を発したならばそれはまあ、なんとかなるさ。
するとも」
実際、他の諸侯も手元の領地の統治を手放して出兵したんだ。
いや、その意味合いはかなり違うけどね。だからこそ、劉備ご一行を領地に戻すわけにはいかない。
「それは助かる。じゃあ、私が招請したってことでお願いしていいかな?」
苦笑。こんなに苦い苦笑もなかろうさ。それでも白蓮のお願いとあらば、だ。
白蓮の招請する奴らの経歴に傷はつけられないよな。
まあ、人材の質という意味では超一流だしね。よかろうもん。
「はいな。白蓮の配下。そこいらへんの経歴に瑕瑾すら残さんさ」
まあ、ありがとうと満面の笑みを見れただけでよしとしよう。
後は韓浩に任せよう。
あいつなら、万事うまくやるさ。きっとね。
……俺のその読みは半分当たり、半分外れることとなる。
◆◆◆
郭嘉はその報告を目にして僅かに顔を顰める。定期的に集める市中の噂を、だ。
「魔王、ですか」
禁裏を血に染め、政敵の悉くを葬り去ったが故にそう呼称されているとのことだ。あくまで一部ではあるようだが。
郭嘉はため息を漏らす。そんなものかと。
そしてどうしたものかと頭を巡らす。けして好ましい風評ではないのは確かなのだが。
そう思いながらその風評の対象である青年にちらりと視線を。
「――困ったものですね」
その呟きは果たして彼の耳に入ったであろうか。
常ならばお気楽な表情である彼は、いつになく憔悴しているように見える。これは好ましいことではない。
執務室には彼と彼女のみ。これが彼女の親友たちならば軽口をたたくなり、すっとぼけた発言で場を潤すのだろう。だが、生憎郭嘉にそのような話術はない。面白味もない。
それは彼女が一番自覚していることである。つまり。
――人としての魅力に乏しい。
これに尽きるであろう。口を開けば仕事のこと、或いは小言。分かっている、分かってはいるのだ。
あれこれと話題だって準備はしている。話題の飯屋だったり、流行りの服だったり。
まあ、その大半は阿蘇阿蘇から得た知識ではあるのだが。それでも彼が責任編集しているそれは格好の話題となるはずである。
それなのに、彼を前にするとそんな事前準備は吹き飛んでしまうのだ。
だから、今も気の利いたこと一つ言えない。彼の親友――言わずと知れた張紘――からあれこれと助言すら貰っているというのに。
結局、こうなる。
「如何に未明に髑髏の兵を率いて洛陽を駆けて禁裏を血に染めたとはいえ、好ましくはない噂です。
ええ、実際もって好ましくはない」
分かっている。分かってはいるのだ。他に遣り様はなかったと。だが、それでも、他に遣り用はなかったのかと郭嘉は思うのだ。
だって貴方はこんなにも憔悴しているではないか。
だから、言い募る。
「二郎殿、もとよりです。貴方はその虚名を活かすためにあれやこれやされていたのでしょう。
それを、一夜にして台無しにするとはいかがなものでしょうか」
違う、そうじゃない。そういうことを言いたいのではないのだ。
そんな、そんな風に彼を糾弾したいのじゃない。そうじゃないのだ。
「大丈夫だ、問題ない。英雄たる怨将軍の役割たる英雄の座。
それは既に星が引き継いでいる。引き継いでくれる。
あの恋と伍したんだ。
だから、さ。怨将軍は廃業ってことさ」
もともと、でっちあげたもんだからな。
そう笑う彼の笑みはどこか透きとおっていて。郭嘉は胸が締め付けられるのを自覚する。
でも。だって、それでは。魔王なんて言われては貴方は。
「いいのさ。俺のことは、ね。いいんだよ。何と言われても、さ。所詮風評なんてそんなもんだしな。知らん奴らに何を言われても構わんさ。
俺というものを知ってくれている人がいるから、さ」
その笑みは傍目にも痛々しくて、見ていられない。
そして、思う。
立場があるからだろう。そう、一度も彼は董卓や賈駆の処遇――死刑――に言及していない。
きっと。
悼んで、いるのだろう。彼女らを。そして。
傷んで、いるのだろう。彼の、心は。
なんとなれば、身内には甘い彼だ。彼女らを逆賊として処罰することに対してどれだけ慙愧の念があることか。
「だから、俺のことはどうでもいんだよ、ほんと。
風評なんて、もっとどうでもいいさ」
その言葉と表情に郭嘉は、激昂する。そして溢れる言の葉。
「どうして、ですか」
「え?」
「そんなに、そんな貴方がどうしてそこまで傷つかなければならないのですか」
貴方は、こんなにも頑張っていて、そんなにも傷ついて。そんなのはあんまりだと郭嘉は理不尽に憤る。
「二郎殿はもっと、もっと……」
お気楽に笑っているべきなのだ。適当な戯言を口にして窘められていればいいのだ。
そう、だから、こんなのはおかしい。こんなのは認めない。
欠けたものは、補えばいい。
「私では、不足ですか?」
いや、不足だろう。愛想なんぞないこの身だ。でも、それでも。見ていられない。こんな彼は見ていられないのだ。だから。
「え?」
口付けした。
戸惑う彼の表情が、何故だか嬉しい。
「貴方の空隙を、埋めたい。そう、思いました」
きっと、これは恋なんてものではない。
きっと、それは愛なんてものでもない。
同情とか打算とか……きっとそんな薄汚れたものだ。
「私では、不足ですか?」
上手く、笑えているであろうか。郭嘉はそんなことを思う。
でも、だからこそ、精一杯にほほ笑む。
だから、怒号とも、嗚咽とも言い難く響く呻き。それと共に押し倒された時には安堵を覚えたのだ。
とうに諦めていた、女としての悦び。
――郭嘉という人物が史書に記述が増えるのは、反董卓連合以後である。
「進むも郭嘉、退くも郭嘉」
変幻自在の用兵。
戦争芸術を仕立て上げる彼女は、後世において戦争の天才として語られることになる。
そのことを知る者は、未だいない。




