地味様の憂鬱 鉄面皮との或いは たわむれ
詠と月の処刑は淡々と施行された。
極刑、それはどうしようもない。そして美羽様入内の恩赦で配下についてはその罪を赦されることになっている。
張遼は華琳が引き取ることになっており、恋は、まあ普通に放逐だろう。いかに万夫不当と言えど、召し抱えるリスクを負う者はいないはずだ。
とは言え、皇甫嵩と劉協が揃って横死しているなどとは、流石に想定外である。想定していた人事案がおじゃんだ。いやマジで。
「全く、厄介な」
ぼやく俺を責める者とていない。端的に言ってやさぐれている俺に声をかけるなぞ、ごく一部のみで……。
「やあ、二郎。ああ、機嫌は悪そうだな」
悪いよー。めっちゃ悪いよー。
どこか気遣うような声色で声をかけてきたのは白蓮だ。
「邪魔するぞ、と」
どっこいしょとばかりに不貞腐れる俺の前にある卓に腰掛ける。うむ。太腿からふくらはぎにかけてのラインが絶妙である。
これ、狙ってないんだろうなあ。狙ってたらすごいんだけどなあ。眼福というやつである。
「なあ、ありがとうな」
「ん?」
「いや、な。本当は今じゃない方がいいんだろうな、と思うんだ。だけど、私が、だ。地方軍閥の長でしかなかったこの私が州牧にまでなるのは、二郎のおかげだ。
だから、ありがとうな」
「ま、まあ、あれだ。大変とは思うけどな」
太守からとんとん拍子に州牧だ。どえらいことではある。
そうかな?とばかりに白蓮は俺に言う。
「官僚自体はそのままだからな。実際の運用は問題ないだろう。それに、頼もしい人材もいるしな。いや、韓浩はありがたい」
その声に俺に直訴してきた韓浩の言葉を思い出す。
「公孫賛殿は、地位以上の能力を持っている。彼女を州牧の座に据えるのは妥当」
ただし、と韓浩はぴくりとも表情を動かさずに言った。
「ただ、彼女はその性、誠実にして善良。これは個人としては賞賛すべき資質。ただ、為政者としてはいかがなものかと思う。
故に私が補佐に付く。本格的に。
率直に言えば、彼女の部下になろうと思う」
む、とばかりに首を傾げる俺に韓浩は言い募る。
「先ほども言ったが公孫賛殿はその性、善にして良。だが、裏を返せば脇が甘い。放っておけばいくらでもつけこまれるだろう」
だから、と。確信したかのごとくに吠える。告げた。あくまで静かに。
「袁家、いやさ紀家には世話になった。
だが、公孫賛殿に私が仕えることには袁家にも利があると判断する。
そして、なにより、私があの御仁を支えたいと思っている」
淡々とした韓浩の訴え。それに俺は頷くことしかできなかったのである。
そんなことを思い出して頷く俺に。
「それに、桃香たちも手伝ってくれるしな」
これである。
なん、だと……?
なん、だと……!
◆◆◆
「俺たちは、無力だ……」
これまでになく、真剣な口調で北郷一刀は言う。
「結局、月も、詠も助けられなかった……」
刑死するのを歯噛みしながらただ見守ることしかできなかった。
刑場に乱入して彼女らをかっさらうという案も出たが、軍師陣の激しい反対で諦めざるをえなかった。なんでも、どうやっても実現は不可能とのこと。関羽と張飛の武勇、諸葛亮と鳳統の神算鬼謀を加味しても、無理だ、と。
そう、悔しげに、涙ながらに諫言する軍師たちに返す言葉を持ち合わせてはいなかった。
「痛感したよ。甘かった。俺の甘さがあったから月と詠を救えなかった。
きっとさ、高い理想があるからさ。それをみんな分かってくれると甘えていたんだ」
だけど、と。
「理想だけじゃ駄目なんだなって分かった。
力がないと、駄目なんだ。
でも力だけでも、駄目だ。月や詠みたいに、無実の人を犠牲にするなんて間違ってる!」
うんうんと劉備は熱心に頷く。
そんな劉備に優しげに微笑み、北郷一刀は言葉を繋ぐ。
「権力者が理想なくして力だけ持ってしまったら、こんな悲劇が繰り返される。
そんなのは、駄目だ。絶対に駄目だと思う」
北郷一刀は胸に誓う。こんな悲劇、或いは茶番劇をもう、許さない。ただ、それには力がいる。それも相当の、だ。
「朱里、雛理。どうしたら、届く?あの、魔王って言われる紀霊。彼に伍するだけの力をどうしたら得られる?」
救える命を救わない。そんなことはあってはならない。
だから、最善を望む。今、自分たちには力が足りないのだ。
そう、力が、欲しい――。
◆◆◆
「把握した。主君たる貴女が決断した。否やはない」
淡々と韓浩は応える。
劉備が、その陣営が舞い戻ってきた。
そこに対して韓浩は無感動である。いや、無関心と言ってもいい。
なぜならば、彼らが飛躍するためにはまだまだ何もかもが足りない。それらを補うためには公孫賛を頼るのは必定。
いや、妥当なところだろう。
なんとなれば、伏竜と鳳雛と異名される軍師二人は。あの紀霊をして最大限に警戒するほどの逸材らしい。
なればその二人が所属する陣営が想定内の範囲の行動をとるのはなんとも望ましいことである。その対象である陣営としては悩ましいのではあるが。
だが。
韓浩は、淡々と思う所を述べる。
「劉備なる在野の士が旧友と言う一点で士官を求めてきた。そしてその配下ともどもその能力に対して評価しているのはいい。だが、彼女らは一度公孫を見限ったということを忘れないでほしい。
匈奴と相対して血を流した古参兵、そして幹部将校たちのことも思いやるべき。
無論、この私も新参。故に――」
言い募る韓浩を公孫賛は押しとどめる。
「分かった分かった。桃香たちにはきっちり主従のけじめをつけさせる。それでいいだろ?」
こくり、と頷く韓浩に畳み掛ける。
「それに、だ!韓浩!お前が新参とか、間違っても口に出すなよ!」
裂帛の気合いをもって公孫賛は断じる。その語気はむしろ激昂。
「お前は!既に公孫の一員だ!」
その一言には万感の思いがある。あった。
袁家の軍制改革の一環として、最前線たる公孫には袁家の幹部候補生や、見どころのある兵卒が人事交流という名目で派遣されてきた。
僅かな時間の交流であったのがほとんどだ。それでも、同じ釜の飯を食った仲間という認識は袁家と公孫家に共通していた。なんとなれば、この二家の連携は他家の追随を許さないほどに。
そして韓浩である。
彼女は軍官僚として、お目付け役として袁家から派遣されてきた身だ。それに彼女特有の皆無に等しい社交性もある。
有り体に言って、受け入れがスムーズとは言えなかった。
それを覆したのは一重にその仕事ぶりだ。淡々と、だが、誰よりも公孫の発展のために陰に陽に尽力する姿はまさに無言実行。
ひと月もすれば彼女の仕事ぶりを認めない者はいなくなった。
兵卒と共に泥水をすすり、馬と共に眠り、駆ける。
公孫賛が得た白馬である。
「情けないことを言わせるなよ」
そして、だ。袁家の、紀家の重鎮として復帰するであろうと思われていたのに、だ。
あろうことか公孫に留まるというのだ。それも、帰る場所を捨てて、だ。
これを意気に感じない者はいない。公孫賛を筆頭に、だ。
「だから、笑えよ」
公孫賛は、無表情な韓浩の頬をつねり、口角を持ち上げる。
「ほら、こうやって笑えばお前はとっても美人さんだぞ」
くつくつと笑う公孫賛に韓浩は抗議の声を上げる。
「ひょんなことをひってもよくわからひゃい」
「いいんだよ。なあ、私は、韓浩が公孫の、いやさ私のところに来てくれたことがとっても嬉しい。其れくらいは、伝わってるかな?」
頬を公孫賛に掴まれたままに韓浩は頷く。
「うん。うん。至らない身だが、よろしく、頼むよ。
本当にありがとうな、韓浩。
本当に、大事にするから」
どちらが主君か分からないほどに公孫賛は頭を垂れ、双眸から溢れる涙は止まらない。
これより以後、韓浩はそのけして長くはない人生。
それを公孫賛その人のために捧げるのである。




