地味様の憂鬱:或いは絆の物語
「申し訳ない」
関羽は悄然として、頭を垂れる。実際期待外れもいいところである。それは彼女が一番認識している。だから、誰も彼女を責めない。
「いや、愛紗はひとつも悪くないさ。こちらの言い分を聞かない相手が悪いんだ」
「そうだよー。愛紗ちゃんはなにも気にすることはないよ」
口々に関羽を慰めるその言葉がかえって苛むのだ。
結果が全て。それは過ぎし日に先達に受けた薫陶。あの、涼州の快男児が関羽に示したもの。
そして、手札を切ることすら叶わなかったのだ。その、忸怩たる思い。様々な要因が関羽を苛む。
――そう、玉璽と七星刀である。今、手札として活かさなければどうするのだ、と。
言葉にできない。だが、差し迫った焦燥さえ感じるのだ。取り返しがつかないのではないか、と感じるくらいに。
◆◆◆
「しかし、宦官だけじゃなくて皇甫嵩や劉協までも、かあ。
徹底しているなあ」
北郷一刀は思う。その道は血を流し過ぎているのではないか、と。
そして、血と恐怖で漢朝を掌握する存在の異名を呟く。
「魔王、か……」
きっと、向かい合うことになるであろう。そう、思う。
絶対に、相容れないであろう。そして、決意を新たにする。
「魔王、ね」
頑張らないと、と気を引き締める。いかに手元に張飛や関羽といった豪傑。そして諸葛亮や鳳統という軍師がいても、だ。
「皆が笑って暮らせる世の中の為に、だな」
◆◆◆
「あっけないもの、だな」
公孫賛は誰にともなく呟く。
今頃は董卓、賈駆、王允の処刑が淡々と執行されているはずだ。
裏事情を知る身としては思う所がないではないのだが、致し方ない。致し方ないというのが本音だ。頭を一つ振って気合いを入れる。
ヨシ、と声も高らか。配下と手を打ち鳴らし合うことで気合いが更に高まる。
戦後処理が終われば新体制の発表だ。なんでも皇甫嵩や劉協といった、新体制でも中枢に据えられたはずの人材が喪われているそうな。
青写真が無に帰し、組閣は難航しているらしい。
とはいえ、公孫賛はそれどころではない。なんとなれば、組閣に先んじて幽州の州牧として任命されることが通知されたのだ。
抜擢と言っていいだろう。地方の一軍閥でしかなかった公孫が太守になっただけでもとんでもないことではあるのだ。それが州牧だ。
中華で十三しかないその席に座り、責を果たすかと思うと乾いた笑いしか出ない。
いや、だからといってそれを返上なぞするつもりはない。今まで尽くしてくれていた部下たちには大いに報いてやらなければ。
そう決意する公孫賛ではあるがその顔色は冴えない。なんとなれば、彼女を補佐する韓浩から面談の申し込みがあったのである。
「話がある」ときたのだ。
◆◆◆
「お忙しいところ、お時間頂き感謝する」
いつもながらに淡々とした韓浩の口調に公孫賛は苦笑する。
いや、変わらないなあ、と。
「いや、他ならぬ韓浩なら、さ。いつだって時間くらい割く」
例えそれがどのような用件であっても、だ。
きっと袁家への帰参の件だろう。
内心で公孫賛は人生最大級のため息を吐く。
いや、と思い直す。もともとキリのいいとこまでと言って貸し出されてきたのだ。いよいよ、これからこの世の春を謳歌するであろう袁家に復帰するのはごく自然なことだ。
むしろ、韓浩のような人材が一軍閥の長であった自分に貸し出されていたのがおかしいのだ。
なんとなれば、韓浩は袁家における武家筆頭の紀家軍の幹部候補生……どころかれっきとした幹部である。それも上位の。
文武に秀でる彼女は紀家軍の、今となっては古参だ。
雷薄が横死した現在、客観的に見てその席次は非常に高い。具体的に言うとあの趙雲すら凌ぐ。
もっと具体的に言うと、紀霊の横で補佐をするのが自然なのだ。ぶっちゃけ袁家の武家筆頭である紀家軍の次席――紀霊の右腕――が妥当な席次であるのだ。
実際、韓浩というのは破格の人材である。そう、公孫賛は思う。
平時、戦時共に痒いところに手が届く補佐ぶり。それにどれだけ助けられたか。
戦場で根拠地について憂いがないという状況。そして、戦場で副将と参謀を兼ねる彼女がいるという状況。
そのどちらも公孫賛は未知のものであった。韓浩がいたからこそ、だと公孫賛は思う。彼女がいたからこそ呂布の率いる軍にあのように一方的に押し込めたのであろうと。
そのような彼女を、だ。
ほいほいと貸し出すことのできる袁家という集団の奥深さに公孫賛は苦笑する。まあ、それはいい。
愛想がなくて、歯に衣着せない彼女。それはかけがえのない存在ではあったのだが。それも借り物。そして、きっと彼女は袁家にあっても……否、あってこそ栄達していくのであろう。
それは最初から分かっていたことだ。分かっていたはずだ。
だから、気持ちよく送り出そうと決めていた。精一杯の感謝の念と共に。
◆◆◆
「ほんと、韓浩には世話になった。うん。本当に世話になった。州牧なんて地位に私が就くのも、だ。
割と全部が韓浩のおかげだと思ってる。ほんとに、感謝してる。
だから……」
言葉を続けようとするが、どうにも続かない。そんな公孫賛に、韓浩は不思議そうに首を傾げる。
異議を投げかける。
「ちょっと待ってほしい。何か齟齬があるように思える」
言わせるなよ、とばかりに眉間に皺をよせる公孫賛の抗議なぞ、どこ吹く風とばかりに韓浩は応える。
「私が今日、お目通りを願ったのはそう。貴女にそのような表情をさせないためと言ってもいい。
多分、だが」
へ?と戸惑う公孫賛。
韓浩は優しく笑いかける。いや、それは錯覚であったのかもしれない。相変わらずの鉄面皮は健在だからして。
だが、彼女の紡ぐ言葉は公孫賛の耳朶を打ち、心を震わせる。
それは誓いの言葉。覚悟の言葉。
「これよりわが身は、我が忠誠は御身のために。
そう。非力非才の身であるが、この忠誠を御身に尽くす。
この剣を受け取って欲しい。もしそれが御身の望まぬものならばこの胸を貫くべし」
片膝をついて韓浩は腰の剣の切っ先を自分の胸に突き付ける。
剣の誓い。
武人にとって神聖なそれである。それに気づいて公孫賛は震える。
何にであろうか。嬉しさ?戦慄?望外のこの状況に理解が追い付かない。
まさかに、夢ではなかろうなとばかりに軽く頬をつねる。痛い。痛い?痛いとも。
「わ、私なんかに、いいのか?」
お前はもっと、もっと大きく羽ばたけるだろう、と。
「繰り返す。我が忠誠は御身に。
もしそれが御身の望まぬものならば、この胸を貫くべし」
そ、それはまずくないか?
そう、口に出そうとする公孫賛の目の前の韓浩は、いつも通り静かに。
「既に袁家も了承済み」
最大にして唯一の懸念。それが消え、改めて韓浩を見据える。その眼差しはいつものごとく無表情。それが、何故だか嬉しかった。
そして韓浩の持つ剣を受け取る。
「州牧の地位よりも、韓浩を得たことの方が嬉しい」
後世に伝わる公孫賛の台詞である。
幽州ジミーズ、韓浩をレンタルから完全移籍で獲得!にてこの章完結でございます。
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