黒幕会議
「しかしまあなんだね。陳留王とは、また張り込んだねえ」
むしゃむしゃと茶菓子を頬張りながら魯粛は程立に問う。
陳留王は権威がありすぎるのではないかと。なんとなれば国政に口を出すことを認めたも同然であるのだ。
「そですか?わりと妥当なところだと思うのですが~」
くふふ、と陽だまりのような笑みを漏らしながら程立は応える。
「劉協どのを陳留王として封じる。
これにより袁家が洛陽に兵を進めても至尊の座に座る彼は命脈を保つことが出来ます。彼が一番懸念していることはまあ、言ってみれば保身に尽きますから~。
これに否やはないでしょねえ」
「そこだよ。紀霊さんにしては甘っちょろいんじゃない?」
どこか不満げに魯粛は程立にぼやく。魯粛としては地味な後方支援に徹しながら期待していたのだ。苛烈なまでの、怨将軍たる紀霊が本気になって動いた時の酷烈さを。
かつて郭図率いる義勇軍を貶め、殲滅せしめたように。洛陽の奥底に潜む汚泥をきっと焼き払うと思っていたのだが。
その一端を担っていたのは魯粛ではあるし、だからこそ洛陽に派遣されていたと思っていたのである。
「とりあえずは慎重にいかないといけないのですよ。洛陽を火の海にするわけにもいきませんしねえ」
やけに主君たるあの青年は洛陽が戦禍に巻き込まれるのを気にしていた。防ごうとしていた。ならばそれに至る可能性を排除するべし。
「ああ、ちらっと聞いたよ。洛陽を焦土として諸侯軍の消耗を図る。更には長安に遷都するって与太話でしょ?
正気の沙汰とは思えないよね」
やれやれとばかりに魯粛はそれを一笑に付す。
「まあ、正気の沙汰かどうかはさておき、なんとも嫌な一手ではありますね。
無論ですが前提として、玉体を手にしていないと意味はないのですが」
それもそうかと魯粛は頷く。故に劉協との交渉はこの上なく重要だったのだろう。そして禁軍を掌握する皇甫嵩とも。
「まあ、よかったんじゃない?
禁軍は諸侯軍の進駐に対して無血開城するんでしょ?」
「ええ。どだい、正面から禁軍単独では袁家軍単独にすら勝ち目はありません。
ですが流石に洛陽を袁家の手で攻め寄せるのはいかにも世間体が悪いですからねえ」
「あれ?あれれ?
勝てばよかろうなのだじゃなかったっけ?」
袁家鉄の掟的なものを思い起こして問いただす魯粛に、程立は苦笑して返答する。
「いえいえ、ここに至って勝つのは当然なのですよ。そして当代の袁家当主からは勝ち方についてもご指定頂いていますしね~」
華麗とか優雅とか雄々しくとか。まあ、勝ち方を気にすることが許されるほど余裕がある、ということでもあろう。
「とすれば、洛陽を灰塵に帰するわけにはいきませんしね」
くふふ、と笑う程立。そこを混乱に叩き落としておきながらどの口が言うのだろうか。脱力しながらも魯粛は更に問う。
「でもさ、皇甫嵩にしても劉協にしても傑物なんでしょ?
まあ、そんなのが本気で抗戦するよりは取り込む方がいいってのも分かるんだけどさ。
実際今の朝廷を牛耳ってる人らでしょ?
普通に考えて獅子身中の虫になんない?」
魯粛の問いにごもっともとばかりに程立は深く頷く。
「いやいや、魯粛さんのおっしゃる通りなのですね。
ですが、それはそれで悪くありません。意外と袁家の戦略には合致しやしませんか?」
程立は思考を広げる。なんとなれば、離れてなお袁家を引っ張るあの青年の軍師は自分であるのだから、との矜持とともに。
はあ?と魯粛は反射的に返すが、刹那考えてぐぬぬ、と唸った。
「なるほどねえ。そういや紀霊さんの戦略というか方針は三竦みだっけか。当初の目論みでは何進、清流派、そして宦官を率いる曹操さん。
それが今回の件で変わったと。何進の位置に劉協殿。
それに対して清流派、曹操さんの立ち位置は変わらずかあ。なるほどね。
ぶれないんだね、紀霊さんの戦略って」
なるほどと魯粛が頷く。揺るがぬその方針。それは簡にして単。故に強固。それが察知されても揺るがぬその重厚さよ。
「まあ、今回の乱で曹操さんの権力基盤になるだろう宦官勢力には掣肘が加わるか。となると、ちょっと三つ巴にするには宦官が弱くない?」
その言ごもっとも。しかし、と程立は苦笑する。
「傍目にはそうなのですがね。如何せん曹操さん、そして側近の力を加味すれば、それでも削り足りないのじゃないかと思ってらっしゃるみたいですよ」
「ふうん。私は曹操さんと会ったことないからよくわかんないんだけど、そりゃ厄介だねえ。
でもさ、ちょっと思ったんだけどね。曹操さんの優秀さを置いといたらさ、普通に考えて清流派と劉協さんに組まれたら結構厄介じゃないの?」
「まあ、そこでこれまでの布石が活きてくるのですよ。
幾度も上洛して漢朝をを思う儘にする機会あれども袁家は北方の護りに専念してきました。もはや中央に対する権勢欲なぞないと認識されています。
つまり」
董卓亡き後の洛陽、ひいては漢朝は文字通り三つ巴に混沌とするであろう。いやさ、なんとなれば曹操がいない今こそが次の漢朝を手にする好機。
漢朝という極上の餌を前に、清流派を率いる皇甫嵩と劉協が手を取りあえるものだろうか。
「二虎、相喰らう、ってこと?」
にまり、とした程立の貌に魯粛は苦笑する。
「そっか、そうだよね。そうなってもいいし、三つ巴になってもいい。前提が違うんだ。もう、違っちゃったんだね。袁術様が入内される宮中をそのままに放置するわけがない。その嚆矢でもある、か」
そう。袁家は確かに武門。だがその、二の姫が入内するにあたり権力闘争に無関心ではいられないであろう。そしてそこには張勲が傍らにいるのだ。
「ああ、なるほどねえ。袁家はこれまで通り我関せずと思わせておいて後宮に鬼札を潜ませる、か。
いやあ、程立さんも悪だねえ」
「いえいえ、それほどでもないのですよ」
袁家の外において張勲という政治的化け物の真価を察していたのは、水面下で暗闘を繰り広げていた何進くらいのものだろう。李儒ですら怪しい。
「まあ、どう転んでもいいようにするのが風達のお仕事ですので~」
その言葉を合図にやれやれとばかりに魯粛は重い腰を上げる。これからはまた、洛陽に集まり配分される物流を混乱させる簡単なお仕事が待っている。
正直気が滅入るその仕事についても、お役御免となるのは近いうちであろうが。
室を辞した魯粛を見送り、程立は顔を引き締める。
「あれで、身内に厳しい方ですからねえ、二郎さんは」
いっそ董卓一派を無罪放免するくらいに公私混同するのならばよかったのだが。
師匠筋の薫陶よろしくむしろ身内には厳しい処断を下すであろう。それはいい。
それはいいのだが。
「あれで、情に脆い方ですからねえ……」
どうせならば情に棹差して流されればいいのにと程立はくしゃり、と顔を顰める。
きっと余計なものを背負ってしまうのだろうなあと思うのである。
「或いはお側に侍っていた方がよかったでしょうか……」
あれで繊細なところもあるのだ。あの青年は苦悩するだろう。
だがまあ、致し方なし。何事も万全で挑めることはないのである。
だから、責は果たした。洛陽進駐に於いて禁軍との武力衝突は避けられた。謀略の種も仕込んでいる。
できることはしたはずだ。役割は果たしたはずだ。
それでも内心穏やかでないというのは。
「これが、心の贅肉というやつなのですかねえ」
やれやれ、と程立は肩をすくめる。どうにも仕える主に入れ込み過ぎているのかな、という自問と共に。




