陥落
「おお、効く効く……」
脇腹に当てられた掌からじんわりと熱が伝わってくる。少しずつだが確実に痛みが引いていき、呼吸のたびに激痛が走っていたのがどんどん楽になっていく。極楽極楽生き返るぅ。
「そうか、それはよかった。しかし、無茶をする。下手をしていたら死んでいてもおかしくなかったぞ?」
そう言って文字通り手当てをしてくれているのは華佗である。
普通骨折とか月単位で治癒に時間が必要だと思うんだが、もう少しすれば痛みも完全に消えそうである。曰く、【気】のちょっとした応用、だそうである。【気】、半端ないって。そんなんできひんやん普通。
知ってたつもりだったが、実際自分の身で体験すると違うね。すごE。
これは習得に頑張ってもらわんといかんなと冗談混じりに言ったら、凪はえらく深刻な表情で頷いていた。いや、そんなに真に受けられても逆に申し訳ないんだが……。
閑話休題。
……鳴り響いた銅鑼はどうやら退却の合図だったようで、恋も一瞬の隙を突いて戦場から離脱していた。恋に全力で逃げられると、流石の星でも追撃を諦めないといかんくらいであった。見事な逃げ足である。是非とも見習いたいものだ。
どうやら真正面でがっぷり四つに組んでいた曹家と孫家の軍が相手を潰走させたらしい。あれ、相当に数的不利だったはずなのだが。戦線を維持してくれたらいいか、くらいの割り振りだったのにね。詳細聞けば聞くほど華琳と穏がしゅごい。
もっと言うとシャオが頑張ったのがもっとしゅごいそうなんだが、意味が分からない。流石孫家の血筋ということだろうか。末恐ろしいことこの上ないやね。こわE。
馬家と公孫家は散々に追撃したらしい。流石に白蓮は引き際を心得ていたみたいだが、翠はもう、執念深く深追いしてしたたかに逆撃を喰らったそうな。まあ、想定内ではある。稟ちゃんさんの想定だけどな!
それはさておき、ちょっと心配なのは真桜である。えらい剣幕で俺のとこに来て、顔を見るなり「あほ!」ときたもんだ。それ以来不眠不休で工兵を指揮し自らも攻城兵器の再組立てと調整に奔走しているらしい。いかんよ、きちんと休まんと。と苦言を口にしようとしたんだが。
「……いえ、好きなようにやらせてあげてください。私も真桜の気持ちは分かります」
ここで稟ちゃんさんのインターセプトである。
ほむ?そんなもんかね。
と、首を傾げていたら一通り治療が終わったらしい。
「二、三日もすれば違和感もなくなると思う。思うが、余り無茶はするなよ」
そう言って立ち去る姿はマジイケメンである。野郎、凪に気の応用を教えるのはいいが粉かけたら許さんからな。
そういや、あいつ女の噂聞かないな。どうなってんだろう。
などと小物丸出しの益体もないことを考えていたら音もなく近寄った七乃が耳打ちしてくる。
「そうか、真桜にゃ悪いが攻城兵器の出番はなくなりそうだな」
降伏の使者として張遼自らが訪れたとのことである。
まあ、籠られてもこっちゃ力押しで完勝しちゃうからなあ。妥当な判断だろうて。
◆◆◆
「なんや、恋の本気の一撃喰ろうたて聞いたから死んだかと思たらえらい元気そうやないか」
「ご挨拶だな。まあ、こう見えて不死身なもんでね。あれしきの怪我、どうということはないのさ」
「ふうん。別に強がりってわけやなさそやな。ま、ええわ。
うちは七面倒くさい口上とかは苦手やさかい、単刀直入に用件を言うで」
まあ、用件自体は予想通りである。無条件降伏と言う奴だ。
「勝ち目があらへんからなあ。これ以上ついてきてくれた兵達を犠牲にするわけにもいかんわ。一か八かの博打にも負けてもうたしなあ」
せやから、と苦い笑みを浮かべながら言葉を繋ぐ。
「これ以上の抵抗は無意味やろ。月と賈駆っちにもまあ、義理は果たしたわ」
いっそさばさばと、張遼は呟く。そこには深い苦悩の跡が見て取れ、揶揄なぞできようはずもない。
「やからまあ、あんじょう頼むわ」
「おうよ。悪いようにはせん。知らん仲じゃないしな」
「ん、おおきに……」
用は済んだとばかりに去ろうとする俺に、らしくなく弱々しい声が届く。
「なあ、月と賈駆っち。なんとかならんか?」
きっとそれをずっと聞きたかったんだろう。そのために彼女らは必死になっていたんだろうし。だが、その問いに対する答えは決まっている。既に決まっているのだ。
「ならんな」
「……そ、か」
最早、是非もなし。
ただし、このろくでもない事態を引き起こした奴についてはきっちり落とし前をつけてやる。
らしくなく、悄然とした張遼を室に置いたまま室を辞する。そして俺はぎり、と歯を食いしばる。
虎牢関を落としたことに昂揚なんぞ欠片も感じない。最高にくそったれな気分である。
後は、洛陽をどうするかだけだな。
こっからはマジで慎重にいかんと、なあ。
◆◆◆
さて、虎牢関を落としたら次は洛陽なのだが、一旦ここで足踏みである。なんせ董家軍の主力が降伏したんだから、これ以上干戈を交える必要はない。まさかに洛陽に攻め寄せるわけにもいかんからに。
虎牢関を落として一番助かったのは、洛陽とのやり取りにかかる時間が大幅に短縮されたことだ。メイン軍師たる風とのやり取りがスムーズになったのは本当に大きい。これには稟ちゃんさんもにっこりである。
ちなみに使者には毎回張郃を派遣している。人材の無駄遣いと言うなかれ。ここのやり取りは本当に重要だから、万が一にも使者が途中でぶっ殺されたり買収されたりするわけにはいかんのである。
これが他の場合であれば何人も色んなルートで書状を送ったりするんだが、張郃ならば問題はない。だって多分素で俺より強いしね。それに無論諜報畑だから色んな、俺の知らない機微にも通じているだろうし。うむ、餅は餅屋、である。
「随分と張郃君を買ってらっしゃるんですねえ」
「うお!」
気配もなくいきなり耳元でふう、と息を吹きかけつつ囁いてきたのは七乃だ。前張家の当主であり、今も穏然と影響力を持っている。
と思う。
その隠密スキルは大したもんで、ここまで密着されるまでほんと察知できなかった。ガチで。
いや、俺の気配察知スキルが低いという説もあるけどね。
「脅かすなよ。寿命が縮んだかと思ったっての」
「おやおや。おやおやおや?
寿命が縮んだのはこっちですよ?まさかほんとにあの、人中の呂布と遣り合うとは思ってませんでしたからね。
いいですか?二郎さんは、二郎さんが思っている以上に重要人物なんですよ?死なれたら色々と困るんです」
にこにこしながらしなだれかかってその身体の柔らかさを伝えつつ耳をがじり、と齧るという高等テクニックを駆使しながらそんなことを言う。いやほんと、ごめんて。
「いやいや、俺もこんなところで死ぬつもりは全くなかったし。あれはあれで蓋然性があったし」
「ふうん?本気でそういうこと言ってるあたり救われませんねえ。美羽さまなんて、ほん
と、どれだけ枕を涙で濡らされたか。それだけでも万死に値しますよ?」
マジか。これは後でご機嫌伺いに行かんといかんなあ。嫌味混じりでもそういうことをきちんと伝えてくれる七乃にはマジ感謝である。流石袁家の諜報を一手に握っていただけのことはある。そういう機微は超一流だね。
いや、そういうのをきっちりしとかんと意外と組織の円滑な運用って難しいのよね。中元歳暮、年末年始の挨拶マジ重要ってなもんである。
とは言え、聞いてくれよ。
「だってさあ、恋を軍で迎え撃ったら見失って本陣への侵入を許したかもしれないじゃん。
それに、あの子万単位で兵の相手できちゃうからな。常備軍たる袁家の兵卒をそんなとこで使い捨てにはできんて」
徴兵したら揃うってわけじゃあない。時間も金もかけてるのだよ、袁家の兵には。何せ常備軍なんだから。
「六万の兵卒を使い捨てにしてもよかったと思いますけどね。個人的には。
ま、そこは二郎さんと私の認識の差でしょうね」
「まあ、最悪俺が討死してても袁家勝利は揺るがなかったろうしな。稟ちゃんさんも保証してくれたぞ?」
「ほう。あの女狐がそんなこと言って二郎さんをけしかけたのですか。これはいいこと聞いちゃいましたねー」
「え?俺余計なこと言った?」
「いいええ。そんなことはないですよ?ただ、ですねえ。二郎さんの価値について見解の相違があるというだけです。そうです。
この戦いだけであればいいでしょうが、二郎さんがいなくなっちゃったら、結構めんどくさいことになるんですよ?」
ああ、そっか。紀家の跡継ぎとかいないしな。そういや文も顔もか。いや、軽挙妄動しちゃったかもわからんね。
「……分かってなさそうですねえ、その顔だと。ま、いいです。所詮些事ですから、貴重なお時間ですものね。失礼しちゃいました!」
いやいやいや。
「いや、ちょうどいい。呼ぼうと思ってたんだ」
「おや?珍しいですねえ。ああ、戦の後は激しいですもんね。
じゃあ、ちょっと失礼して……」
おもむろに服を脱ぎだそうとするのを慌てて止める。
「違う、違うから!いや、別にそれが嬉しくないってわけじゃあないけど、そうじゃなくて!そうじゃなくってだな!本当に相談したかったんだってばよ!」
こっから先について、な。
一応稟ちゃんさんには確認したし、これから風からの添削も来るとは思うが。やはり謀略と言えば七乃である。にこにことしたままの七乃に、俺が思う所を語ったわけである。




