万夫不当VS一騎当千
ようやっとの出番である。趙雲は軽やかに舞台に躍り出る。
不敵で無敵。そう嘯く常と変らずに、笑みを浮かべ愛槍龍牙をしごきあげる。
だが内心穏やかではいられない。
何となれば主と定める青年、そしてその傍らにある二人は袁家の宿将たる人物。なぜ自分がその場にいないかと内心、臍を噛む思いなのだ。
いや、理解はしているのだ。してしまっている。
過日見た飛将軍の武威。それは趙雲をして手の届かない所に感じられるほどに遠いものであった。最強を見せたかったという主の言を受けて尚、その隔絶した差に絶望さえ覚えたほどだ。だが。
お前ならば至ることが出来ると、閨で囁かれた時に趙雲は決意した。そして理解した。
自分の主は本気であの飛将軍、人中の呂布に克つことを求めているのだと。自分ならばできると本気で思っているのだと。
それを理解して後、趙雲は愛してやまなかった酒すら断ったのである。
なにかと多忙な紀霊や顔良、文醜とは中々手合せできなかったが、典韋や楽進、陳蘭と暇さえあれば武を競った。
仮想敵はあくまで呂布。
ついには眠っているときにさえ呂布と打ち合うほどに武を追求する。
だが、それでも。それでも呂布には及ばない。あの日、あの時に見た呂布に及ばないのだ。
だから、だから主はこのように策を重ねたのだと趙雲は理解している。無論、不本意ではある。このように策を重ね、消耗を強いて得た勝利に意味はあるのか、と。
「勝てない戦はしない。だから袁家は最強なのです。
星、いいですか。そもそも貴方の武人としての誇りというものに私は何の価値も認めていません。
尊重くらいはしますがね。勝てないまでも負けないための策すら忌避しようというそれは百害あって一利なし。傍迷惑この上ないですね」
郭嘉は忌憚なく語ったものだ。自分に伝わると信じてだろう。そして自分がどのような思考回路で策を積み重ねるかを示して。
だが、と言葉を重ねる。そのような武人の誇りと言う奴すら自分は考慮して策を重ねていると。
「まあ、正々堂々と遣りあって袁家の武家三将と星、貴女が揃って討死しても構いません。
それでも袁家は勝ちます。そのように策を重ねています。風と私がそうしているのです。ですから、貴女はお好きにしなさい。ええ、ご随意に」
甘えるな。
親友からのその言外の叱咤を趙雲は正しく受け止める。そして思い知るのだ。寄せられる期待の重さを。
紀霊自ら、他の二将まで動員して呂布の消耗を図るなぞ。いや、紀霊は笑っていたが。
「なに、恋の消耗を図るのはいい。だが、俺と斗詩と猪々子でかかるんだ。倒してしまっても構わんのだろう?」
冗談めかして笑ったあの声。
希代の演出家が拵えてくれた舞台なのだ。なにせ、黄巾の乱を率いたという三姉妹の舞台だって紀霊が助言を与えてからその飛躍が始まったと程立は漏らしていた。
だったら。
だったら、期待に応えねばならない。そして今の自分は程立、郭嘉の策を重ねて。
そして趙雲の目から見ても、紀霊たち三人の連携は完璧であった。なのに呂布を討ち取るに至らない。だからこそ無様は晒せない。
最高の舞台をあつらえてくれたのだ。ならばそこにおいて蝶のように舞おう。そして蜂のように刺そう。
「常山の昇り竜にて紀家一の将、趙子龍。推して参る!」
そして、挑む。最強に。口元には優雅で、雄々しい笑みを。そして華麗な勝利こそが袁家にはきっと相応しい。
◆◆◆
先手を取ったのは趙雲である。猛る呂布が動くのを制するが如く槍を突き出す。舌打ちと共に呂布はそれを紙一重で躱す。
「はいはいはいはいー!」
連撃。けしてそれは神速ではないし洗練もされていない。
だが呂布は、それを躱すのに精一杯で反撃もできない。いや、それを趙雲が許さないのだ。
闘いは傍目には一方的にすら映るほどに趙雲が圧倒している、ように見える。
それまでの、紀霊との戦いとは打って変わって防戦一方、それも心底嫌そうな表情の呂布が呟く。
「お前、気持ち悪い」
にやり、と趙雲は笑う。
ああ、そうであろう、そうであろうとばかりに。
呂布の武。それは天性のもの。野生の獣が獲物を襲うときに無駄な所作がないように、呂布の動きには全く無駄がない。
ただ振るう一撃が、最適にして最強。生まれ持った強靭な肉体と獣の本能こそが呂布を最強たらしめているのである。
それに対し、呂布を襲う趙雲の一撃はそこまで鋭くもなく、重くもない。だというのに防戦一方。じりじりと下がり、いらいらとした様子の呂布を翻弄するが如くまた槍を振るう。
◆◆◆
「なあ、アニキ。なんで呂布はやられっぱなしなんだ?
取り立てて速くもないし重くもなさそうな攻撃なのにさー」
怪訝そうに猪々子が俺に問いかけてくる。いや、答えてやりたいんだが今は呼吸をするのが精一杯。いやこれ何本肋骨持ってかれたのやら。蹴り一つでご覧の有様だよ!
代わって応えてくれたのは俺が背を預けている斗詩だ。声と共に柔らかいものが震える感覚が多少なりとも痛みを和らげてくれる。気がする。いえい。
「文ちゃん、駄目だよ。二郎さんは負傷されてるんだから」
「あ、そっかごめんね、アニキ」
ひらひらと手の平を振って気にするなと伝える。
「あれはね、恐らくだけど。後の先。
星さんは呂布が槍を振るうその予備動作を感じ取って先んじているんだと思う。
私だって理論は知ってたけど、まさか完成させていたなんて……」
後より出でて先に穿つ。まさにカウンターの極みである。そりゃあさぞかし恋はやりにくかろう。自分が攻撃しようと思ったら敵の攻撃が迫っているのだから。
いや、そっから躱したり打ち返したりする恋の化け物っぷりもすごいんだが。
ただまあ、基本的に本能で動いている恋に対しては鬼札だろう。つか、人の技が恋に対して有効なのだと思うと胸に熱いものがこみ上げるよ。
「なるほどなー。以前アニキが言ってた奴かあ。でもまあ、押してはいるけど星も見た目以上に消耗してそうだなあ」
猪々子の言う通りである。いかに後の先で主導権を握っているとはいえあの恋の相手を一人でこなしているのだ。心身ともに消耗は激しいはずだ。しかも決め手に欠けているときたもんだ。
いや、そんな中きっちりと主導権を握り続ける星はすごいわ。
「うん、そうだね。このままじゃ、ちょっと厳しいかも……」
悔しそうに斗詩が呟く。だが、現状俺らにできるのは見守ることくらいだ。
さて、どうしたものかと思っていると、けたたましい銅鑼の音が響く。どうやらここではないどこかで戦局が動いたようである。
 




