会議で踊る
「いやしかし、よおもまあ集まったもんやなあ。黄巾やあるまいし、あの数。
ありえへんやろ……」
寒風吹きすさぶ汜水関の城壁。その上。やがて訪れるであろう阿鼻叫喚の舞台。その上にて張遼は、呆れた、とばかりに笑う。笑うしかない。
主将たる彼女の、いっそ軽率とすら言ってもいいこの動きに諫言する者はいない。彼女の身になにかあれば一気に守兵の士気は地に墜ちてしまうのだが。
だが。いや、だからこそ張遼は最前線となるそこに陣取り、酒を呷ってさえみせるのだ。
不安げな兵卒を目の端に納めながらにんまりと笑う。
「まあ、十万が二十万でもどうってこたあらへんわ。
恋が、せやな。五回も出撃したら壊滅する計算やからな」
空元気も元気のうち、とばかりにからからと笑う。
その張遼の声に勇気づけられたのか兵卒たちからも笑いが漏れる。
……無論張遼とて自分の言を信じてはいない。いかに呂布が万夫不当といえど、あの――単騎で三万の黄巾を撃退した――時とは事情が異なる。
敵兵は黄巾とは比べ物にならない精兵であるし、英傑と言っていい武将が幾人もいる。
それに、今の呂布は万全とは言えない。
いや、やる気は十分ではあるのだ。だが。
「おなか、へった……」
今日も今日とて無意識であろうに呟く呂布の姿が思い出される。ぐったりとその身を横たえて動こうとしない。
心配そうに周囲で陳宮があれこれと世話を焼くのであるがそれに対する反応も極めて薄い。
「詠はよくやってんねんやろうけどなあ……」
張遼は内心嘆息する。
必要なだけの食糧は届いているのだ。帳簿上は。
しかし、それは例えば砂混じりの粗悪品だったり、半ば腐りかけのものが混入されていたりするのだ。
厳密な数字は張遼も把握できていないが、体感で二割くらいは目減りしているのではないか。
飢える兵を見て人一倍――どころではない――健啖家である呂布であるが、その心根は優しいのだ。常の食事量を考えれば信じがたいほどに小食になっていた。
中々に明るい見通しのない現状に流石の張遼も気が滅入る毎日である。
だが、現状悪くはない。それでも悪くはないのだ。
――反董卓連合はその大軍で囲みながらも不気味に沈黙を保っている。この状況はけして悪いものではない。
そう思って張遼は苦笑する。
なんのことはない。今自分は時間稼ぎの為だけに兵を、将を死なせようとしているのだと。
この期に及んでもはや董卓の栄達、董家軍の勝利などという甘い見通しを描いてはいない。
自分に、自分たちにできるのは精々時間稼ぎ。
あの、心優しい少女が救い出される時間を稼ぐのだ。
きっと、きっと賈駆ならば董卓を救い出すはずだ。
……生きていさえすればそれでいい、と張遼は思う。
そうだ、死んでしまったらばそれでおしまいなのだ。
ずき、と胸が痛む。
目の前で散った、益荒男の最期が脳裏によぎる。
そんなつもりはなかった。なかったのだ。
できれば董卓を救出するために力を、知恵を貸してほしかったのだ。
だが、それは叶わず。それでも踏み出した道を進むしかないのだ。
「後戻りはできんし……。
やるだけのことはやるしかないわな」
皆が笑って暮らせる世の中。そんなのはやはり夢物語なのかなあ、などという思考を軽く頭を振って追い払う。
そのような絵空事――語る彼らは本気だったみたいだが――に心躍らしていたのが馬鹿みたいだ。
いや、今でも呂布は「ご主人様」に執心のようだが。彼らも反董卓連合にいるというのに。
全く頭が痛い限りだと張遼は内心頭を抱える。こんなのは本来賈駆の役割のはずなのだが。
「まあ、ええわ。なるようになるやろ」
いっそ清々しいくらいに投げやりに張遼は呟き、実際的な防衛について思いを巡らせる。
張遼直卒五千、呂布直卒五千。そして汜水関と虎牢関に詰める守備兵が五万。
けして勝ち目がない数字ではない。
――だから、不可解なほどに動かぬ反董卓連合の動きはこの上なくありがたいのである。
◆◆◆
さて、船頭多くして船山に登るという言葉がある。けだし金言だと思う。
頭がいい奴らを集めたらそれで上手くいくかというとそうではない。目の前の状況を見て俺はその金言を思い出していた。
「だいたい、無駄に胸ばっかり大きくして!
頭にいく栄養がそこにいってるからそんなにお気楽な調子なんでしょうよ!」
「あら~。これはこれで大変なんですよ?肩とかこっちゃいますしぃ。
でもでも、殿方には喜んでいただけますけどねぇ」
ね、とばかりにこちらにふわりとした笑みを投げかけてくれる穏に、俺の気持ちはどんよりと曇る。頼むから巻き込まんでくれよな。
「あのだな。別に仲よくせんでもいいから、せめて前向きな話をだな……」
「大体なんでアンタがこの場にいるのよ!残念な頭の中身のアンタがここにいても一つも役に立たないでしょうに!
全く!作戦案を練ると聞いてやってきたら何よ。いちいち人の言うことに難癖つけてばっかりで!」
いやそれはお前の態度の方が問題だろうがと言いたいのをぐっとこらえる。ついでに出撃寸前だった溜息をなんとかこらえる。
解せぬ、なんで俺がこんな苦労をしているのだ。
いや、美少女に囲まれているという状況はある意味天国なはずなのだがね。
無言で天を仰いだ俺に、これまた稟ちゃんさんが視線で仕事しろと促してくる。厳しい。
――会議室には反董卓連合の中でこれは、と俺が思う人材を集めている。
稟ちゃんさん、ネコミミ、穏という綺羅星のような軍師陣。そして工兵を率いる真桜といった面子だ。
いざ汜水関を攻めるにあたっての作戦案を練ろうと思ったのだが、こんなにも足並みがそろわないとは思わなかった。これじゃ俺、この場から逃げたくなっちまうよ……。つか、逃げたい。
あ、なんで伏竜とか鳳雛がいないかは察してくれ。
「もうちょっと前向きに行こうぜ。あの、難攻不落の汜水関。そして虎牢関をどうやって抜くか。
君らのお知恵を拝借したいんだってばよ。
攻城兵器を運用する真桜もいることだし、結構現実的な検討ができるんじゃないかなあと思うんだが」
「アンタ、馬鹿?作戦なんて立てようもないでしょ?ほんと馬鹿なの?
これだけの攻城兵器があって、作戦なんてあってないようなものよ!
アンタとこの大将が言ったようにね、真正面からぶつかるしかないでしょ!
それに私たちに攻城兵器の運用なんて経験あるわけないんだから、そこでなんか絡繰りをいじってるそばかすの無駄乳娘が仕切ればいいじゃない!」
お、おう。
「あらあら~。ご自分に攻城兵器の運用経験がないからって取り乱すことはないですよ~。
そんなのある方がおかしいのですから~」
くすり、と穏が場を治めようとするがどう見ても火に油である。そんなに相性悪いのか君ら。意外だ。
「二郎はん、帰ってええか?うち、ここにいてもしゃあない気がしてきたわ」
げっそりとした表情で真桜が耳打ちしてくる。いや、お前はいないとまずいだろう。俺に攻城兵器の運用なんて分かるはずねえし。
「全く。黙って見ていれば好き勝手なことばかり。見苦しいことこの上ないですね」
これまで沈黙を保っていた稟ちゃんさんが口を開いたらますます場が荒れそうな言葉が紡ぎだされたでござる。
もうどうにでもなーれー。
キッ、と明らかに攻撃対象を変えたであろうネコミミが口を開こうとするのを見てなんとなくげんなりする。
「二郎殿。そもそも貴方の投げっぱなしな態度がよろしくない」
おおっと!ネコミミが口を開くよりも先に、稟ちゃんさんに糾弾されたでござる。って俺?
「いいですか。貴方はこの反董卓連合を仕切らねばならない立場なのです。
いえ。だからこそ汜水関を攻めるにあたってこの場にいる人材を選別されたのでしょう。
ですが、われ関せずというのはいかがなものかと思います。それぞれ背負っているものがあるのですから」
この場で風下になんて、到底受け入れられないのですよ。そう言外に言われ、てはっとする。
そっかー。そうだよなあ。皆背負ってるもんがあるんだよなあ。
「お分かりになられましたか」
あいよ。俺が仕切らんといかんってこったな。
気合いを入れ直して姿勢を正した俺に、稟ちゃんさんからお題を頂きました。
「では、二郎殿。貴方ならどう汜水関を攻めますか」
えー。
どう、汜水関を攻めるかって言われてもなあ。
そんな妙案とかあるわけもなく。
「別に二郎殿の案を実行するわけではありません。ごく当たり前のやり方で結構です。それを私たちが修正する。或いは代案を出せばいいのです」
なるほどね。具体案の叩き台をまずは造ろうってことか。
まあ、先ほどまでの罵り合いに比べたらいかにも生産的で結構なことである。
じゃあまあ、思う所を述べましょうかね。
「まあ、あれだな。純粋な力押し。これしかないだろね。折角攻城兵器を色々持ってきて、真桜が慣らし運転までしてくれてるんだ。使わない手はない。
城門を破る衝車、城壁に乗り込む櫓車。それに霹靂車を組み合わせてなんとかするしかないだろう
あとは董家軍の騎兵に蹂躙されるだろうから守備兵をたっぷりと付けよう!」
正直攻城兵器への攻撃が一番気がかりなんだよねえ、とか思ってたら真桜が思いもよらぬことを言ってくる。
「二郎はん、言っとくけど霹靂車な。門扉には使えへんで」
「え、なんで」
衝車より威力があるというイメージなんだけど。
「投じた岩が邪魔で衝車が使えへんくなる」
「あ……なるほど……」
なんだ、射程的な意味で一番数を揃えてきたのに無駄骨なのかな。流石に城壁を砕くのはしんどそうだしなあ。ほら、犠牲出ないからね。遠距離から一方的に殴るって、素敵やん?
などと思っていたのだが、ネコミミの冷たい視線が結構こたえたので話をずらそう。
「ち、近くに川とかあったら水攻めとかするんだけどなー」
「アンタ馬鹿ぁ?川どころか木一本たりとも生えてないわよ!」
はい。そうです。攻城兵器の材料となるのを嫌ったのであろう。周りは岩山で本当に木一本たりとも植生していない。おさすがでございます。
「周りにあるのは……土攻めとか意味わからんしなあ」
はい、ネコミミから更に蔑んだ目つきいただきました!ほんと嬉しくない!
「え~と、でも、それってありじゃないですか~?」
穏が何か言ってるのに縋ろう。とりあえず沈黙されたら心がストレスでマッハだ。
「ですから、敢えて汜水関の門扉に霹靂車で攻撃するんですよ~」
「いやだってそうしたら衝車どころか俺たちだって突入できないじゃん」
にこり、と穏が身を寄せてくる。うん。柔らかい!でかい!いい匂い!優勝!
「それが狙いですね~。だってだって。董家軍の本領は騎兵でしょう?
こちらが門扉を使えないということはあちらも。
まさか騎兵が汜水関に引き籠って勝てると思うほど相手も無能ではないでしょうし」
な、なるほど。相手の最大の長所を封じるってことか。
「それ、ええと思うで。二郎はん。ほんでな、さっき言ってた土攻め、アリやと思うわ。
うん。ええ感じにいけると思うで」
真桜も賛同してくれる。ってか土攻めって何さ。いや、俺が口にしたことなんだけんども。
そうしてあれやこれやと数刻かけて打ち合わせは進んで。
「では。ご苦労様でした。どうやら汜水関を落とす方策が見えてきましたね。
それでは明日戦場で」
稟ちゃんさんの静謐な声でこの場はお開きになったのである。
後は明日、攻めかかるだけってね。
準備は万端、というやつだ。あとは仕掛けをご覧じろ。




