黒き燕は欲張らない
「圧倒的ではないか、我が軍は!」
目の前の軍勢の威容を目にした俺のセリフです。まあ、人生で一度は言ってみたいセリフだよね。やったぜ。成し遂げたぜ。
いや、正確には攻城兵器群を見てのセリフなんだけどね。
とんてんかんてん、と槌音が響く現場にお邪魔している俺こと二郎と、リポーター……はしてくれなさそうだけど、美人さんな稟ちゃんさんです。はいどーもこんにちわー。
「何を言っているのですか。兵器だけで勝てるなら苦労はしません。
……まあ、圧巻というのは認めましょう。これだけの数の攻城兵器、流石に目の当たりにすると迫力が違いますね」
おお、稟ちゃんさんでもそうなのか。
ってそうよね。普通攻城兵器なんて見る機会ないもんね。
つか、なんでこんなにたくさんあるのさ。つまり哲学だね(違います)。
衝車、櫓、霹靂車。それらが所狭しと並び、現在も組み立て作業が続いている。
「数だけやないで!うちが徹底的に改良を加えたからなあ。当社比三割増しくらいの威力は見込んでるで!」
マジか。よくわからんけど凄そうだ。
いや、マジならすげえし。この時代、盛ったもの勝ちではあるとしてもね。多少はね。
「まあ、数が数やからな。
もうちょっとばかし待ってほしいねんな。
あ、聞いてぇな。それでも組み立て速度はどんどん向上しとるんやで!
こっちでは組み立てるだけで済むさかいな、みな、きばっとるんよ」
ほむほむ。なるほどと聞けばこうだ。
要は南皮にストックされていた攻城兵器の部品を輸送し、こっちでは組み立てるだけという某一夜城的な工程により驚きのスピード。
むしろフォード的な効率化かもしれない。
だってこんなこと言うのだもの。
「通常の三倍の早さで仕上げてやるさかい、ほめたってな!」
……真っ赤に塗った方がいいのかなあ、攻城兵器。染料あったかなあ。いや、張紘に言ったら用意してくれそうなんだけどもね。
「それは重畳。で、当初予定通りの戦力にするにはどれくらいかかりそうです?」
俺の謎な感慨など知ったことかとばかりに実務の打ち合わせに入る稟ちゃんさん。これは勝ち申した。奥義、丸投げの術発動!俺が何も言わなくてもあれこれが進んでいく。実にすばらしい。ガハハ。
「せやなあ。組み立てるだけなら一週間くらいかなあ。慣らし運転もしたいから、万全を期するならもう一週間は欲しいとこやね」
流石技術者。きっちりしてる。作戦上必要な日程を無視しているのがヨシ!
これが逆だとえらいことになるからね。
「まあ、突撃してる途中で崩れたりしたら目も当てられんからなあ。
しかし、流石だな真桜。攻城兵器なんて中華広しと言えども、運用したことのある奴は少ないからな。頼りになるよ」
真桜は、むふんと鼻息をもらして、だ。その豊満な胸部装甲をこれ見よがしに突き出してドヤ顔で言う。いやあ、震度6くらいはあるんじゃないっすかね。
※個人の感想です。
「当然!当然や!
うちが一番、あの子らを上手く扱えるんや!」
「頼りにしてるよ。兵器の運用については、お任せするともさ」
ご満悦で現場に向かう真桜を見送る俺に、稟ちゃんさんが声をかけてくる。
「攻城兵器の整備で半月ですか。流石に十余万の兵を養っては袁家と言えども、負担は大きくありませんか?」
ご懸念ごもっとも。でもね。
「なに、どうということはない。ここ数年は豊作続きだったしな。それに、だ。
百万の兵を十年食わせるだけの備蓄をしてきたんだ。十年以上かけてな。
孫子曰く、食糧は現地調達に限るらしいけどさ。
そんな蝗みたいなことせんでもいいのさ」
ちょっと誇張はあるにしてもこんくらいの負担では小揺るぎもせんよ。つか、食糧の物価下落を防ぐために相当買い上げしてたからなー。
在庫一掃……とまではいかずとも、なんとかしたかったところだから渡りに船ではあるのだ。
「そうでしたね。糧食の提供。それにより諸侯への影響力を強めるという当初案ではありましたが、それをよしとしない方々もいるのでは?」
「まあ、そうよね。
それはそれでいいさ。領地からここまで運搬する費用も馬鹿にならんのにね。それは勝手にやらせるさ」
プライドって大切だからね!人はパンのみで生きていけないとかなんとか。
まあ、目端の利く者は上手いことやっている。やろうとしている。つまり、母流龍九商会から食糧を買い付ける、あるいは借り受けるのだ。
母流龍九商会を挟むことで一応袁家からの借りではなくなるという、多少苦しいがそれでも辛うじて体面を傷つけないやり方。
利子?格安ですが何か?
セットで真桜謹製の最新鋭の武器防具はいかがっすかー、ってもんである。
まあ、慌てる何とかはもらいが少ないってね!
じっくり腰を据えて万全を期するぜい。
勿論手持無沙汰な諸侯には簡単なアルバイトも斡旋してある。補給部隊の護衛という簡単なお仕事。
その任務に就いている間は食糧については無償提供するという条件故に結構人気なのだ。
「なるほど。そうであれば納得いきます。そして、であるからこそ、ですか」
「そうだ。そうなのさ。だから今更、軍閥なんぞ発生させねえよ」
「結構。董家軍と諸侯軍。二正面作戦。見事遂げて魅せましょうとも」
ありがたや、ありがたやと稟ちゃんさんを拝むと、なんとも言えない表情を頂きました。
えへへ。しゅきしゅきだいしゅきぃ。
◆◆◆
「よりどりみどり……」
馬上の麗人が艶然と微笑む。その笑みは肉食獣の獰猛さそのものを具現化したようなものである。
笑いとは本来攻撃的な所作であり、目の前の獲物に牙を立てる前の予備動作である。
そして目の前には無防備と言っていい輜重部隊。襲ってくれと言わんばかりの獲物である。
護衛の兵もついてはいるが弛緩しきっているようにしか見えず、屠殺を待つ家畜にしか見えない。
反董卓連合。その兵站の多くは南皮からの物資に頼っている。現在も南皮から洛陽に向けての街道は日に日に延びており、時が経つにつれ効率がよくなっている。
だが、無論それだけではない。周辺からも食糧や日常雑貨は買い付けている。むしろ周辺の村落が売りつけていると言ってもいい。
それによりだぶついている物資が消費され景気を刺激していくのだ。
目の前の隊列はその一つ。比較的大規模ではあるが、今も伸張を続ける赤い街道からは外れている。
馬上の麗人――張燕――は満足気に頷く。
彼女がここにいるのは二つの理由による。
一つは洛陽におわす、やんごとなき方よりの命――ということになっているもの――が内々に届けられたこと。曰く、逆賊を討てと。
そしてもう一つは、手元に補給部隊の運行予定が届いていたことによる。
中華でも屈指の政治能力と実務能力を併せ持つ人物――張紘――が立てたそれは、精緻かつ弾力的なものである。
計画そのものに揺れ幅が設定されており、それでいて反董卓連合全ての口を賄うだけの壮大な計画なのだ。これを目にした時、流石の張燕も唸ったものだ。すさまじい、と。
なぜそんな重要なものが彼女の手元にあるのか。袁家と不倶戴天の黒山賊の首魁たる張燕の手元にあるのか。
「まったく、食えないねえ……」
誰ともなく呟き、さ、と手を揚げる。
「旗を揚げな!」
ばさ、と黒一色の旗が掲げられる。
抵抗すれば死を。その旗にはそんな意味が込められている。
黒山賊の名の所以ともなった黒旗、それが翻る。
「野郎ども、稼ぎ時だよ!」
ジャーン!ジャーン!と銅鑼が鳴らされ、それを合図に五月雨のように統率なぞなく襲いかかるのだ。
それを張燕は悠然と見下ろす。柔らかい脇腹をたちまちに食い破る手勢に満足げに笑い、とどめとなる一撃を最精鋭の手勢を率いて。
「はははははっ……。さあさあ、慌てておくれ。あたしゃ気が短いんだ。
すぐ楽にしてあげるからねえ」
千々に乱れた敵味方の間を縦横無尽に駆け、その勝利を決定的なものとするのに半刻とはかからなかった。
◆◆◆
――袁家が率いる兵は弱卒であるというのが諸侯の共通認識である。
なんとなれば匈奴に南皮の城壁を侵され、それ以後まともな戦もしていない。
此度の出兵にしても、董家軍と矛を交えずに砦の整備を優先しているのだ。
そして決定的なのは黒山賊。そう、賊ごときを相手取って誅滅できないのだ。
諸侯の指揮官は裏面で嘲笑う。賊ごときになにを手間取るのかと。三公を排出したと嘯く名門が聞いて呆れる。
その嘲笑を後押しするのは黄巾賊の弱兵ぶりであった。
だから、兵站を襲う賊の存在はもっけの幸い。降って湧いた幸運である。
元々兵站の守護に当たる諸侯は矜持が高く、実利に聡い。
だからこそ袁家の出した条件に飛びついたのだ。
曰く、兵站の警備は非常に重要であるからして、その食事の一切はその補給部隊から無償で拠出させる、と。
当座の食糧を母流龍九商会に借り換えることを拒んだ諸侯は奮ってこの任に当たった。
それも無理からぬこと。後方に於いて安穏と補給部隊に随行するだけでいいのだ。
それに携わらぬ前線の諸侯、或いはそれすら判断できぬ者に冷笑すら内心浴びせていたのだ。
そして、だからこそ。
「お、落ち着け!落ち着いて迎撃しろ!ええい!落ち着かんか!」
声を発する指揮官自体が狼狽しているのだ。
突如として降って湧いたこの災厄。黒山賊に対して護衛なぞ名目以上のなにほどでもない。
勢いに勝る黒山賊の一撃を辛うじて防ぎ切ったかと思えば、眼前には第二波が。
「多少は出来るようだが……。それが不幸さね!」
閃光が走り、どさり、と首が落ちる。
たちまちに潰走が始まる。
「野郎ども、かっぱぎな!」
ただ一撃で戦いの趨勢を決定づけた張燕は返り血を拭うこともせずに矢継ぎ早に指示を飛ばす。
降伏か死か。
死を選べばよし。降伏すれば身ぐるみ剥がすだけで済ます。それが黒山賊。それが黒旗の意味。
知らぬとは言わせない。
「全く、忙しいったら!」
ともすれば笑みが漏れそうになる戦果ではあるが、その物資や資金を輸送するように命じて、次の襲撃に軍を急がせる。
全く、人使いが荒いにもほどがあると張燕は内心毒づく。
「何だい、あれくらい突破できないのかい。歯がゆいねえ」
そしてその稼働戦力をぎりぎりまで酷使して反董卓連合の後方攪乱に努めるのである。
ただ、補給部隊の護衛に当たった諸侯がそれなりにまんべんなく襲われていたのに対し、不思議に義勇軍はその被害に襲われることはなかった。
◆◆◆
「むむ、我らよりも兵站を担当する兵卒の方が立派な装備をしているとは……」
「はは、愛紗。気にすることはないさ。襤褸を纏っても心は錦!それに愛紗と鈴々がいるんだ。問題ないさ」
「そうなのだ!鈴々がいるからお兄ちゃんはのんびりしていたらいいのだ!突撃!粉砕!勝利なのだ!」
まあ、いいかと関羽は思う。
実際凡百の賊が出ても自分と張飛の二名で当たるだけでカタはつく。
その認識はこの上なく正しい。例え数千の賊が襲いかかっても彼女ら二人で返り討ちにできよう。
それを知ってか知らずか張燕は薄く、笑う。
「まあね、わざわざ虎穴に入ることもないだろうよ。別にあたしらは虎児なんて欲しくもないしね」
もたらされたのは兵站の運行予定だけではない。おせっかいと言っていい伝言も付随してあったのである。
曰く。
「劉には手出し無用」
とだけ。
そこまで言われて何かするほど張燕は好奇心があるほうではない。
なに、猫が死ぬのであればいいが。
「全く、食えないねえ」
劉家。それが果たして洛陽におわすやんごとない筋なのか、劉備なのか。
触れるなというのは優遇しろと言うのか、それとも触れないことで疑念を撒き散らすのか。
「ま、知ったこっちゃないさね」
せしめた物資の質と量に満足げに張燕は笑い指示を飛ばす。
いや、これはあの時の謝礼の一環なのだろうと笑う。
そして身の振り方について、思案にふけるのだった。




