わるだくみ
「まあ、蛮喰商会についてはなんとかなったよ」
誉めれ、とばかりに魯粛は薄い胸を張る。それに応えて、おー、と感嘆するのは程立である。
ぱちぱち、と薄い音響。えっへんと反らされる薄い胸部装甲。
「いやいや、鮮やかなお手並み、恐れ入るのですよ~」
くふふ、と軽く笑う程立であるのだが、魯粛の功績には舌を巻く思いである。
なんとなれば、何進亡き後の蛮喰商会をその影響下に収めたのであるからして。
……魯粛はその卓越した弁舌により、かつては一枚岩であった組織を切り崩していった。
曰く、何進はその権勢故に排除された。その旗下ににあった者はどうなるであろうか。
曰く、名門馬家当主。それに禁軍の指揮官たる朱儁すら問答無用である。賤業と言われる――無論魯粛はその重要さを認識しているしそれを相手に伝える――商人なぞ風前の灯である。
曰く、袁家は大幹部たる紀霊を始め商業に対する理解が深い。
ここで重要なのは嘘を混ぜないこと。そして誠心誠意語ることである。
魯粛は誠心誠意、芽生えていた危惧に疑念懸念という肥料を与えていったのだ。
いや、自身のみならず係累にも手が及ぶなぞ、あり得る事柄である。
で、あるから。
なればこそ、有為の人材は一時身を隠すべし。
なに、その生活は母流龍九商会が保証するとも。そしてほとぼりが冷めればその地位は保障するとも。
魯粛にとっては実にやりがいがあり、手ごたえのない簡単なお仕事である。
なにせ、実際に危機感を覚えて身を隠す彼等が帰ってこようがこまいがどうということはないのだ。
別に母流龍九商会は洛陽の市場をこれから押さえようとは思っていないのだからして。
まあ、それはいい。結果として洛陽最大の商業組織は魯粛の手に握られることとなったのである。
そしてその生業は開店休業。それは無理もない。何進の手がけた商組織だ。時の権力者には目を付けられて当然。
わざわざ賈駆に営業自粛の申請をするという念の入り様である。
結果、洛陽の物流は混乱する。困窮する。
これまで、何進という圧倒的な権力者――それも商売のいろはを知り尽くしていた傑物――がいなくなればどうなるか。自由競争と言えば聞こえはいい。
その実態は、混沌の一言。何せ、まっとうな商売なぞしてもいつ取り潰されるか分かったものではない。で、あれば一儲けしてとんずらするのが効率がいい。
かくして物価は順調に跳ね上がり、前線――虎牢関と汜水関である――への補給物資すら滞り、品質は劣化する。
それを問題視した中央からの掣肘が加わるという悪循環である。
魯粛は思う。恐るべきは目の前の程立だと。
自分は確かに洛陽の商流と物流を手にした。だが、それがなんのためであるかという視点に於いては。
「敵わないなあ」
確かに自分は洛陽の商流の最大手を手に収めた。だが、それがどのような意味を持ち、どう影響するかまでは範疇外。
まさか、それが反董卓連合の論拠たる董卓の暴政に繋がるとは。
かつて郭図率いる義勇軍を堕落させた魯粛であるが、規模が違う。いや、敵わない。
「さてさて。細工は流々。後は……二郎さんに期待ですねえ」
悪い顔だなーと魯粛は思う。いや、自分が善良かといわれるとけしてそうではないのだが。
ともかく……と、思いに没頭しようとする思考を妨げられる。
「来客、みたいだね」
そ、と魯粛は室を辞する。
自分との繋がりは余り知られない方がいいであろうからに。
日陰の存在?
とんでもないと人知れず魯粛は笑みを深くする。
こんなに美味しい立ち位置なんてないさ、と。
魯粛はこれで結構今の立場を気に入っているのだ。
◆◆◆
「ふむ、少女よ。久しいな」
纏う空気にどことなく血と闇を漂わせる物騒な男。
張郃が口を開く。本来であればそのような空気を纏うなぞ未熟の極みなのであろう。きっと相当に血を浴び、幾つもの闇を抱えても。いや、それだからこそ闊達に明るく笑うべきなのであろう。
「おやおや、心ここにあらず。といった感じですねえ」
そうとも、自分は姉に及ばないと自覚している。努めて無表情を気取っても、心の揺れを看破されてしまうのだ。
「否定はせんよ。どうにもいかん。自分では、な。
もっと無感動な人間だと思っていたのだよ」
張郃は自嘲する。このように心が乱れるとは、と。
「おおう、これは思いもかけぬお言葉ですねえ。
いやいや、世の中一寸先は闇とはこのことですねえ」
くすくすと笑う程立になんとも言えない顔をし、苦笑する。そう、これは苦笑というものだ。
やれやれ、敵わないな、とばかりに漏らすそれ。それは残滓。
「まあ、些事だ。忘れてくれ」
仕事の話をしよう。
そして反董卓連合の様子を語って聞かせる。
その間程立は瞑目し、傍目には眠っているかのように身じろぎ一つしない。
寝息すら聞こえそうな彼女が目を開く。口を開く。
「把握したのですよ。では二郎さんにお伝えください。
『董相国、亡き者と思うべし』
……いえ、まだ存命でしょうけどねぇ」
変に希望を残せば紀霊は情に流されるやもしれぬ。
眠たげな顔。そこに刹那苦渋。
「まあ、二郎さんの懸念は大体合ってるようですし、ね。
少なくとも賈駆さんですら接触できないようですよ?」
無論賈駆はそのようなことを漏らしはしない。だが程立は言葉の節々、表情の一つ一つを積み上げて結論を導き出していた。
即ち、董卓は何者かに拉致監禁されている、ということ。
であれば董家軍が突如として叛乱を起こしたことも納得がいく。
いや、その結論に至った時は何とも悲惨なことよと程立は心から同情したものである。
そう、同情はしたのだ。
「二郎さんには重ねてお伝えくださいな。
『洛陽は董卓の暴政に荒廃の一途』と」
「承知した。ではそろそろ失礼しよう」
見送ろうとした程立を留めて張郃は聞く。
「そう言えば、ここの周りの狗は始末した方がいいのかね?」
「いえいえ、たまに遠吠えするくらいで実害はありませんのですよ。
ですから、放置の方向でお願いします~」
軽く頷き、音もなくその身を消す。
「やれやれ、ほんとうにご苦労様なことなのですよ。なにせ」
函谷関を越えて大回りで動いているのだから、と程立は苦笑する。
だからこそ馬家軍が函谷関に詰めては不都合であったのだ、などとは冗談にしても言えないことではあるが。
洛陽という一大消費都市への物流の流れをあえて閉ざさなかったのにはわけがあるのだ。そして。
「進むも稟ちゃん、退くも稟ちゃん。いよいよ稟ちゃんの本領発揮なのですよ」
その声は誰に届くこともなく。だが程立はくふ、と笑う。
傍に在らずともできることがあるのだ。あるのである。それでも。
「おうおう、そんなにあの青二才が恋しいかい。
それじゃあまるで恋する乙女みたいじゃねえか」
「おお、宝譿。中々鋭いですねえ。どうやら、風は――」
本気でのめりこんでいるようだと、頭上の人形に語る。或いは自分に語りかける。
「正直、ここまでとは思っていませんでした。
それでも、二郎さんの望んだことについては支えてあげたいなと思うのですよ~」
やれやれ、とばかりに頬を綻ばせて。
「処置なしじゃねえか」
「――全くなのですよ。
これは責任とってもらわないといけませんねえ」
そして。
いつも通りに。
程昱はくふふ、と笑うのであった。




