華雄、何遂高を失うもなお武の頂を臨み、程仲徳、洛陽を枯渇させ董仲穎を奸賊に貶める。
「二郎!久しぶりだ!」
稟ちゃんと今後の方針を打ち合わせたり、さっき食べた飯は流琉の差し入れだからものっそい美味しかったねと語ったりやら、うだうだ話していた俺に声をかけてきたのは……。
「おお、華佗じゃん。お久しぶり、だ!」
がしがしと小突きあって久闊を除する。
「にしても、来てくれたのか!」
遠方より、朋が来たのだ。そりゃ嬉しいよ。
論語にも書いてある(ガチ)!
「ああ、当然だろう!
張魯様もいらっしゃるぞ!」
マジか。マジでか。
「まあ、戦力としては考えないでくれ。百名程度だし、自分も含めて戦いはできんだろうからな。
その分、腕利きを選りすぐってきた。生きているならばどんな負傷でも死なせはしないさ」
なるほど衛生兵というわけか。助かる。これは実に助かる。
「にしても、よくぞ、だ。はるばる漢中から来てくれたな。劉焉が不穏な動きをしているんだろ?」
本拠地を空けるなんて。
組織の特性を考えたら百人もの医師――当然、五斗米道の幹部であろう――が来てくれたことにも違和感がががが。
「そこからは、僭越ながら私がお答えしましょうか」
どう答えたものか、という華佗を見かねたのか稟ちゃんが口を挟んでくる。
「張魯殿には私から書状を差し上げました。漢中は劉焉に狙われている、と。
五斗米道単体でそれを防ぐのは不可能。なれば此度、旗色を鮮明にすべし。
さすれば、袁家に与するのであれば。たとえ漢中を空けても劉焉は攻め入ることをしないであろう、と」
劉焉が漢中に攻め入るのを口実にして、後日誅滅するというのは貴方の趣味ではないでしょう?
そう述べる稟ちゃんに俺は馬鹿みたいに頷くことしかできない。
これは出来る女ですよ。
「まあ、これで漢中に食指を伸ばすような俗物ならば楽なのですが、そうもいきません。
――二郎殿にご相談せず、裁可もいただかなかったことについては如何様にも」
ツン、としたままで稟ちゃんは悪びれた風もなく此方を見る。
ちらり、華佗を見ると苦笑している。
「なに、どうせ漢中を守るにしても劉焉が本気になればどうにもならないさ。だからまあ、郭嘉殿の申し出は渡りに船ではあった。
このどさくさに紛れて劉焉が進駐してくるという可能性は大いにあったからな」
「最悪でも張魯殿の身柄あれば、です。漢中を劉焉に奪われたとしても再侵攻後の統治は容易です。
それとも、漢中を直接統治する方がよろしかったか?」
文句あっかと言わんばかりの稟ちゃんに再度苦笑する。
「ないない。面倒なのは勘弁だ。漢中は交通の要所。攻めるに易く、守るに難い。まあ、そうだな。
旨みはあるんだが、あれだ」
言わば鶏肋のようなものさ。ケンタッキーでいったらキールみたいなものである。いや、好みにもよるんだろうけどね。
「鶏肋とは、上手いことを言いますね。旨みはあれど労多し。
まあ、それを華佗殿の目の前で言う二郎殿の神経に唖然としそうなのですが」
「なに、ぶっちゃけたとこを聞いといてもらわないとな。ほんと。
まあ、華佗よ。そんなわけで袁家は漢中の太守たる張魯殿を全面的に支援するぜ」
華佗はやれやれとばかりに苦笑する。大きく肩をすくめて、顔を上げ破顔する。
「なんともまだるっこしいことだな!
だが、ありがたく甘えさせてもらおう。そして、傷病人は任せてくれ!」
いつも通りの暑苦しい笑顔で華佗は全面的な協力を約束してくれる。ことによれば追加して漢中から衛生兵を派遣してくれるらしい。
これはありがたい。いや、工兵隊でどうせ事故があるだろうし、戦闘が始まったら死傷者続出だろうし。
俺は華佗としばし笑い合い、稟ちゃんの目線に促されてその場を後にする。
「稟ちゃんさん、ありがとな」
「――漢朝全土を管理するのは袁家の役割でしょう。今はそうでなくとも必ずそうなります。
ですから、当然のこと。
いえ、差し出がましいことをしたかと思っていました」
いや、その気遣いは無用。
「好きなようにやってくれ。責任は俺が被るから、さ」
ビシ、と決めたつもりだけど、稟ちゃんさんからは。
「似合いませんよ。深刻ぶるのは」
と散々な俺でした。
解せぬ。
◆◆◆
額を伝う汗を拭い、華雄は水差しから直接水をごくり、と喉に流し込む。
冷たい奔流が喉を伝っていく。湯気すら立つほどに上気したその身体を冷やしていく。
まあ、こんなものかと華雄は日課の鍛錬を終えて湯殿へ向かう。
何進が禁裏へ参内する途中で暗殺されるという非常事態からどれほどの時が経ったか。
その報せを受けてより彼女は何進の屋敷に軟禁されていた。
いや、屋敷内であれば特に動きも制限されず、愛用の斧――金剛瀑布――すら取り上げられないことに解せぬ思いはあるのだが。
内実を見れば単純なもので、何進の護衛である華雄の処遇まで一々検討する余裕なぞなく、適当に、或いは雑にただ拘束しているだけなのだが。
――その報せを受けて華雄は混乱した。耳を疑った。あの男が討ち取られるなぞ、と。
同時に納得もしていた。敵の多い男だった。世の中を敵と味方に分ければ敵が九分に味方が一分。そんな男だった。
そして討ち取った者が呂布――かの万夫不当である――と聞いて、その対決を見てみたかったなあ、などと思う自分はきっと薄情なのであろう。
守るべき対象が。情を交わした男が、道半ばにして逝ったというのにそんなことを思う自分はきっときっと薄情なのだろう。
悔しいとすればこの身が、武が何進に及ぶ前に手の届かぬところに逝ってしまったということか。
そして、手の届かぬ何進を討ち取った呂布はどれだけの武なのだろうか。
聞く噂は錯綜している。不意を打ったとも、真正面から打倒したとも。どうせならば白黒はっきりしてほしいものだ。
思えば単純なものだった。何進が存命の頃は。
目指す武の象徴として何進に立ち向かうだけでよかった。
その何進が討ち取られたならば、自分は一体何を目指せばいいのか。
分かるはずもない。
だから、華雄はあくまで何進の背を負う。幾度も、幾千度も自分を屈服させたあの男を思い、挑む。
目を開けずとも身体は、心はあの男の動きを容易に再現する。
それに合わせ、ひたすらに対決する。未だ幻影の何進にすら及ばぬ自分はきっと呂布にはまだまだ及ばない。
まずは何進に勝ち、そして呂布に挑む。
ごく自然に華雄は自分に対する最適解と思われるそれを為す。為そうとする。
見果てぬ武の先。天下無双を思い、ひたすらに鍛錬をする。為すべきことのない、また、出来なかった今。食事も、睡眠も、全てを自らの鍛錬に充てて華雄はひたすらに牙を研ぐ。
その牙の主を喪ったままに、磨く。それが弔いであるかのごとく。
強く、強く。ただそれを思う。それだけをひたすらに。
◆◆◆
「さてさて、お呼びとのことですが~」
午睡したくなるような陽だまりの口調で程立はふわり、と笑いかける。
それを迎える少女はこれもまた美少女。ただ、眉間に刻まれたものがなければいいのに、と。どこぞの凡人ならば間違いなく思ったであろう。そう程立は思う。
彼女が政務に励むその机上には幾多の書類が積み重なっており、彼女――言うまでもなく、賈駆である。現董卓政権を一身に支えている人物だ――は険のある表情で程立を睥睨する。
「言うまでもないでしょう。さっさと世を乱すような行いはやめなさい」
冷然と発せられた言葉に程立は苦笑する。いや、どうにも。
単刀直入とはこのことか。だが。
「いや~。風にはなにをおっしゃっているかまるで分からないのですね~。
軟禁状態のこの身。何を為すことができるやら、ご教授願いたいのですよ~」
心底困った風に程立は笑う。くすくすと笑う。
その笑みに賈駆は激昂する。
「いい加減にしてよね!あんたらが物資の流通を妨げているってのは分かってるのよ!
あんたら、何進より性質が悪い!」
――控え目に言って洛陽の物流は混乱している。いや、滞っていると言ってもいい。それはこれまでの供給網が機能していないからだ。
これにはわけがある。
洛陽の物流はかの何進の勢力下の商会が権勢を極めていた。心ある士大夫からは、みっともなく、利を卑しく喰う。蛮喰商会と呼称される存在。
だが彼らの差配により、複雑怪奇な物流は運用されていたのである。が、それは破壊された。自然、代替の商流ができそうなものだが、それを賈駆は許さない。
管理できない物流の危険性を知っているからこそそれは許せない。
相対する程立は、目の前で柳眉を逆立てる少女を哀れにすら思うのだ。
既に彼女は、董家は詰んでいる。いや、市中の物流を滞らせているのは自分ではあるのだが。
そう考えると、目の前の少女が先ほど放った言葉は実に正しいのであろうな、と思う。思うだけだが。
「いやいや、魯粛さんを見くびっていましたかねえ」
賈駆が退出するのを見て。くふふ、と程立は笑う。
どんな手妻を使ったのか、確かに洛陽をかつて支配していた商流は手元にある。それを為した魯粛には程立も背筋に冷たい物を感じる。なるほど、主が目をかけるほどのことはある。
まあ、それはともかく。
「いやあ、明日のお米も肉も手に入らない。これが暴政でなくてなんでしょね~」
くふふ、と笑う。艶やかに、哂う。
紀霊の悪評の八割は彼女の献策であるとまでに後世揶揄される彼女の本領はこれからであった。




