細工は隆々
天気晴朗なれど波高し。
時代の波濤は否応なく襲いかかる。敵味方の区別なく。
ついに袁家は兵を発したのである。発した。
麗羽様が率いる旗本一万五千。軍師は稟ちゃんさん。
俺が率いる紀家が一万。
斗詩率いる顔家が一万。
張郃率いる張家が一万。
猪々子が率いる文家が一万。
真桜率いる工兵が五千。
陳蘭が率いる弓兵が五千。
袁家だけで六万五千の大軍である。
その兵站を司るのが張紘だ。食糧だけじゃなく、武器防具、その他雑貨に至るまでについても傘下の母流龍九商会が請け負う。
そこに諸侯の軍勢が加わる。ざっくり把握しているだけで白蓮とこから一万、華琳とこも一万、馬家から一万五千、孫家が五千。
確実に計算できるのは以上の戦力。
他の諸侯の兵には正直期待していない。というか、勝つだけならば袁家の兵力だけでやれるし。やるし。
後はまあ、有象無象が褒賞を求めてやってくるくらいだろうか。義勇兵的な?まあ、数千くらいだろうから大勢に影響はない。はずである。
そこいらへんをも織り込んで張紘は動いているだろうから、多分大丈夫だろう。何せ張紘だぜ。多少の誤差程度くらいはなんとかしてくれるさ。
だからこそ、そこを狙われると困ったことになるんだけどね。俺なら狙うし。
でも、だからこそ張紘の身の安全は赤楽さんの出番だ。あのおっかない美人さんが秘書兼護衛としているから大丈夫。
つまり、何が言いたいかというと、勝ったも同然!ってことだ。
これは勝ったなガハハ!
……。
いや、まあ、なんだ。メイン軍師たる風ちゃんがいないとこの思惑がどうかという答え合わせもできないから、ちょっと心配なのも確かであるのだ。
ほら、稟ちゃんさんとか、忙しいから俺の思惑とかぼんやりとした絵図の相談とかできないじゃない。アホなこと言ったら怒られそうだし。
「全く。思い違いも甚だしいですね。貴方はもう少し自分の立場というものを、重みを認識するべきです」
って。
げえ、稟ちゃんさん!
「ってなんでここにいるのさ。忙しいだろうに」
俺の言葉を聞いた稟ちゃんさんがにじり寄ってくる。with眉間に皺である。ふふ、こわい。
「その認識には正直戸惑うどころか呆れすら感じます。
いいですか。此度の反董卓連合を率いるは袁家。その武の責任者は二郎殿、貴方です。
その貴方がふらついていてどうするのですか!
いいですか。貴方の号令で十万を超す軍勢は動くのです。不甲斐ない様を見せてはいけないというのは先刻ご承知でしょうに。
ご心痛はあってもそれを見せてはいけない。それに――」
遮る。
「すまん。余計なことを言わせた。言いづらいことを言わせた。すまん、そしてありがとう。
んで、俺に対する気遣いは無用。この身は袁家に仕えるが本懐。
つうか、そうだな。
董家幹部を斬る覚悟ならば、既にしているとも」
だからさ、と笑いかける。
「味方の犠牲を少なく、戦後の不安要素をも少なく。
勝ち馬に乗りに来た諸侯の勢力を削りながらも完勝する。
なに、敵も味方も生身さね。斬れば死ぬんだ。
――斬っても死なぬ僵尸に比べれば、さ。
楽なもんじゃないかい?」
踊らされるのはもうこりごりだ。
「そろそろ、清算せんといかん。頼りにしている」
立ちふさがるは月配下の諸将。だが、真に討ち取るべきは背後のくそったれ。
「頼む。俺なんて適当に使い潰してくれていいから、頼むよ。
完全勝利を、頼む。
頼んだ」
「――もとよりそのつもりです。
ええ、二郎殿。貴方のお好みの、つまらぬ戦いを積み上げてみせましょう。
戦う前から勝ちが約束されたようなそれ。ご希望通りにこの中華を塗り上げてみせましょう。
戦わずして勝つのが最上ではない。きっちりと中華に袁家の武威を刻み込むとしましょう」
多分俺は稟ちゃんさんの言ってることの半分くらいしか分かってないのだろうと思う。
だが、それでも譲れないものはあるし、思う所もある。
そうして、挑むのだ。
こんなにも、やりたくない戦を。
◆◆◆
「華琳さん、歓迎いたしますわ」
おーっほっほっほ、と高笑いする袁紹。内心曹操は苦笑するのだ。
変わらないな、と。
そしてそれでこそ、とも思うのだ。それでこそ、一手打った甲斐があったというもの。
そう、自分の一手により彼女は無事洛陽を脱したのだが、それを微塵も気にした様子もない。
この図太さ、あるいは面の皮の厚さは見習うべきであろうか。いや、本人は全く素なのであろうけれども。
それはともかく、真名を交わした親友――これで曹操は袁紹を親友と思っているのである――の出迎えに曹操は気を良くする。
無理もない。袁紹が自ら出迎えたのだ。これは破格の扱いである。
反董卓連合を主催する袁家、その当主自らの出迎えは大いに曹家軍の立場を強めるものなのだ。
宦官の手先、元締め。ややもすると、敵視されても仕方ないのだ。
それを一気に解消してくれたのだ。笑みもこぼれるというものである。
「ええ、麗羽。
わざわざの出迎え、ありがとうね」
あくまで公的な立ち位置ではなく、私的な関係を押し通して曹操は軽やかにほほ笑む。
なに、自分の笑みなぞ安いものだ。目の前の親友と自分の関係を示すことには千金以上の価値がある。
だからこそ曹操は袁紹と親しげに笑い、その関係を見せつけるのだ。
そして実にいい友達を持ったな、と笑みを深くする。
久方ぶりの邂逅に話は弾む。袁紹とて愚物ではない。ましてや袁家を率いるのだ。話題の共通事項は多い。
或いはかつてよりも有益な関係かもしれない。そう思うが、それもどうでもいい話。
そう思う、そう思った。そしてそれがいかに甘い認識だったかと痛感するのだ。
目の前の現実に。
◆◆◆
「――麗羽、これは、なに?」
十数万の軍勢が集まるのだ。大天幕くらいは想像していた。だが、目の前にあるのはそんなものではない。
煉瓦と土塁で固められた防壁。それだけで瞠目してしまうものだが、それどころではない。
「なに、と言われても困りますけども……。
華琳さん、貴女の逗留先でもあるのですわ。不備については随時改善しますとも。
一旦は納得してほしいものですわね。
いえ、むしろご不満なところがあればおっしゃってくださいな」
曹操は暫し自失する。そして、苦笑。
そして、ここで自失した自分を恥じようとも思わない。
なぜならば、目の前にあるのは要塞とは言えないまでも、ちょっとした砦以上のものである。
今現在もその領域を増やすべく人夫が工事を進めるそれに、流石の曹操が絶句するのだ。
「まさか天幕なんかに、このわたくしが逗留するわけにはいかないでしょう?
反董卓連合に与する皆さんが集結するのにも時間がかかりますし。だったらきちんとした宿泊施設は必要ですもの。
流石に兵卒の皆さん全てには行き渡らないですけれどもね」
曹操は内心頭を抱える。前提とする地力の桁が違う。母流龍九商会により糧食の提供を打診された時に感じたそれが確たるものとなっていく。
不用意に借りを作る愚を犯さず、自前で賄ってはいる。おそらくそういう諸侯がほとんどではあろうが、時が過ぎるほどに袁家から提供される糧食に依存せざるをえなくなるだろう。
じっくりと腰を据えてその名が轟く二つの関を攻略するのだろう。ああ、そうだ。董卓軍のみならず諸侯の軍勢、財政をも磨り潰すということか。
やってくれる。
やってくれた。
そしてこの絵図を描いたであろう男の姿を認め、曹操は極上の笑みを漏らす。
そう、やはりあの男は自分の前に跪くべきなのだ。もっと早くに、多少強引にでも本気でそう動くべきであった。
猫科の猛獣の笑みを浮かべ、曹操はにこやかに声をかける。
「――あら二郎、息災そうでなによりだわ」
――反董卓連合、未だ集結には時が要される。それまでの時を、曹操は無駄にするつもりなんてこれっぽっちもなかった。
◆◆◆
「ふう、今のところ兵站は順調、か」
張紘はあちらこちらからもたらされる報告書に目を通し、やれやれとばかりに伸びをする。
「そうだな、街道の整備も順調に進んでいる。時が味方であると確信できるほどに、だ。
これはかなり楽ができそうだな。
そら、だから少しくらいは息抜きしてもいいだろうよ」
白湯ですまんがな、と。赤楽が詫びながら武骨な湯呑を差し出す。
「まあ、そうだな。あまり気を詰めてもいいことないや。
ありがたくいただくとするか」
ずびび、とすすって尚。彼の視線は遠くある。
脳裏には物資の調達と配分の計画。それが浮かんでは消えていっているのであろう。
やれやれ気苦労の絶えないことだな、と赤楽は内心苦笑する。
「しかし、な。
実際十万余の軍勢への手配なんぞできるものか、と思っていたのだがな」
なんとかなるものだな、と赤楽はくつくつと笑う。つられて笑う張紘の笑みはどちらかと言えば苦笑寄りであろう。
それがどうにも可愛らしく思えて、笑みが深まる。
「まあ、なあ。それもきっちりと物資の確保を沮授がしてくれてるからさ。
今まで何進に遠慮して、進めていなかった洛陽への街道整備も進むしな。
それに、だぶついてた物資もはける。
今はそれほどでもないけど、諸侯からの引き合いも増えるだろうしな」
実際、ぼろ儲けしようと思ったらとんでもないことになるだろう。
張紘は肩をすくめる。
「せいぜい高く売りつけてやればいいのさ。あちらだって戦後の利権が目当てで参軍しているんだ」
地力のある者は戦後を見据えて返済を選ぶだろうってさ、と張紘は苦笑する。
参軍した諸侯の財布事情まで見据えて、すり潰す。なんとも悪辣なことだよな、と。
「ふむ、流石と言うべきか、気が早いと言うべきか。既に戦後を見据えているのだな、あの御仁は。
尋常にやれば、だな。
ま、どう考えても負ける要素もないことだしな。
黄巾の乱で蓄えられた諸侯の力を削ぎつつ、勝つ。か。
二兎、追うのは大変だな」
そうだな、と曖昧に笑って張紘は歩き出す。物資の集積場に向かうのだ。現場で何をするわけでもないのだが、総責任者の彼が姿を見せるだけで現場は引き締まるのである。
薄い笑みを浮かべつつ赤楽は付き従う。油断なく周囲に視線を配りながら。
どこに刺客がいるか分からないのだ。自分が董卓軍ならば目の前の青年をまず狙う。それだけで兵站は破綻するのだ。袁紹や紀霊なんていう警備や護衛が厳重な人物よりよほどお手軽かつ重要人物なのだ。
餓えた軍の行く末なぞ哀れなものだ。それを赤楽は痛いほどに理解している。故に気を抜かない。
「ふーむ、劉焉殿は不参加か。まあご息女が人質にとられてるから仕方ないかー。
劉表殿は五百の弓兵のみ、か。やはり積極的には関わらないか。でもその分物資の提供を、ってとこかねえ」
一応皇族に連なる方だし、軍を率いる方にも挨拶しといた方がいいかと張紘は決断する。
「少数精鋭って奴かな。おいらでも聞いたことがある方だ」
率いる将の名を見て張紘が呟く。
興味を引かれて赤楽が問う。
「ほう、どなたが率いてるのか聞いてもいいか?」
「構わねえよ、これからちょっくら挨拶に行くしな」
――黄忠というのが、その将の名であった。




