破綻
次々ともたらされる報告に賈駆は時に頷き、時に顔をしかめて次々と指示を飛ばす。
今のところ、想定の範囲内だ。
もとより最善の結果なぞ望むべくもない。時間的猶予などなく、根回しなんて何一つできずに蜂起せねばならなかった。ならなかったのだ。
李儒の要求はただ一つ。――何進の誅滅である。
何進、である。あの馬騰と互角の豪傑であり、この董家軍を引き上げてくれた恩人でもある。そしてその武勇は目の当たりにしている。彼を討つなぞ手持ちの札では呂布しかありえない。
最重要のそれは上手くいった。
だが、後は何とも言えない。
その馬騰については、張遼を宛てた。自刎して果てたというが、まあ、はなから抱き込めるとは思っていなかった。せめて虜囚とできればと思っていたのだが。
それでも、これで馬家軍は敵となる。だがそれもまた想定の範囲内。なに、それでも韓遂を動かせばなんとでもなる。馬騰ならばともかく、馬超相手であればどうにでもなるのだ。
朱儁についてもそうだ。軍権を示せば、万が一くらいには恭順するかと思ったのだが。
それもいい。禁軍の司令官が恭順しないのであれば除くのみ。この洛陽で執金吾たる董家軍の次に武力を抱えるは禁軍。その首魁を除けたのはまずまず。
張遼と陳宮は悄然としていたが、賈駆にとっては想定の範囲内。最悪は避けられたとすら思っている。
「なんですって……」
だが、続く報告にはさしもの賈駆も言葉を失う。
曹操の行方が知れないのはまあ仕方ない。宦官より情報が漏れていたのであろう。しかし、皇甫嵩までその足跡を追えないとは、不覚である。
彼奴はやっかいだ。禁軍にも影響力があり、なにより清流派の首魁の一人。どう蠢動するかなぞ考えたくもない。
苦虫を噛み潰していた賈駆に、最大級の凶報がもたらされる。
「袁家当主袁紹の逗留地に於いて、現在交戦中!敵指揮官は雷薄!
奇襲により痛撃を喰らうも、現在優勢に戦局は推移しております!」
くら、と眩暈を覚える。
なぜ、と思う。平和裏に袁紹の身柄の確保を命じたのにどうしてそうなる。
それに雷薄だと?
匈奴大戦を生き残り、一兵卒から将軍までに出世したという立志伝の主人公もかくや、というほどの紀家の宿将が防衛戦に立つとはどういうことだ。
なによりどちらから仕掛けた。袁家に仕掛ける意味を分かっているのか。
「な、なんですって!退きなさい!袁家との交戦は認めないわよ!」
その舌の根も乾かぬうちに派遣した指揮官が袁家の兵卒――あくまで董家軍からしたら一兵卒でしかない――により討たれるという報に呆然とする。
「な、な……!」
転がるように移りゆく戦況に自失する。
そして、貴重な。贅沢なその時間は失われた。
「敵指揮官雷薄討ち取りました!」
誇らしげに報告する士官に罵声を投げるのを辛うじて自重する。
いやあ、難敵でしたなどと得意げに語るその士官の口調に絶望する。これでは、これでは。
いや、自失していてはいけない。今でもできる最善を。
「よ、よくやったわ。天晴れ寡兵にて挑んだ彼の死を汚してはいけない。丁重に扱いなさい!首は塩漬けにしてけして腐らさないように!」
同時に、抵抗した兵卒――それが兵卒でないことには流石に賈駆も思いが至る。主の逃亡を助けるにあたり身を挺して刻を稼ぐなど――についても死体を汚さぬように厳命する。
せめて、せめてそれくらいはしないと交渉の席にもついてはくれないであろう。
袁家は、それくらい情が深いということを賈駆は知っているのだから。
それが幸か不幸かはともかく、である。
「なんでよ。なんでよ。なんでよぉ……」
がくがくと震える身体を抱きしめて、暫し賈駆はうずくまる。
せめてこの震えを配下には見せてはいけない。抱える腕に爪が食い込み数条の紅い筋が流れるのも構わずに。
それでも賈駆は立ち上がる。顔色は白く、唇は朱に染まっても。
それからの報せは、ことごとく凶報であった。皮肉にも賈駆の想定通りに。
曰く、曹操、行方分からず。皇甫嵩、行方分からず。
曹操はまだいい。宦官を手駒とした時からある程度こちらの動きを察されていたはず。あわよくば巻き込もうとしたが果たせず。
まあ、それはいい。
だが、皇甫嵩の不在は痛い。朱儁亡き今、禁軍に号令をかけられるのは彼くらい。せめて誅滅したかったと思う。
取り逃がした魚の大きさに歯噛みする。
「ほ、北面の大門に於いて袁家の一行を捕捉しました!」
だから、賈駆はそれにすがる。
なんとか、袁紹の身さえ確保すれば。あの、あの男に窮状を訴えればなんとかなるのではないかと。
だから今度こそはしくじるわけにはいかない。
「て、丁重に扱いなさい!ボクが行く!」
目の前に垂らされた蜘蛛の糸に飛びつく。
「二郎さえ……袁家さえ抱き込めば大丈夫、なんとでもなる。二郎ならばなんとでもしてくれる。
雷薄の討死についてはどうしようもないから、素直に謝ろう。そこで謀ったら取り返しがつかない。
もう、ボクはどうなってもいいからどうにかして二郎を懐柔しないと……」
馬を急がせながら賈駆はそれでも思考を放棄しない。
そして、彼女を待ち構えるのは、蜂蜜色の髪の、眠たげな少女であった。
紀霊が全幅の信頼を寄せる程立その人である。
「いやあ、これは参ったのですよ~。風はこの荷物を南皮に届けるべし。可及的速やかに、と指示を受けたのですね」
だから、夜半に北面の門扉を突破しようとしたのかと賈駆は程立を睨む。
「おおこわいこわい。いや、いささか誉められない手段であったのは自覚してますよ~。
ですが、この北面についてはそれが常習化していたようだったので、風は風で最善を尽くしたまでなのです~。
いや、これは命乞いをした方がよろしいのですかねえ」
くふふ、とほくそ笑む程立。わざとらしいその笑みはこちらの神経を逆なでるためのものであろう。そんな安い挑発に賈駆は乗らないしそんな暇もない。
「いいから袁紹殿と二郎を出しなさい。貴女じゃ話にならない」
その声に程立はにんまりとほほ笑む。それは微かであるも、わざとらしく、狩人が獲物を罠に嵌めた笑み。
「いやいや、ここにはそんなお偉方はおりませんので、お引き取り願えればと思うのですよ~。
無論、洛外に出るのは明日以降にしますので~。
こんなところで時間を使ってはいけないのではないですか?
老婆心ながら風は心配するのですよ。
ええ、二郎さんと浅からぬ縁のある貴女を風は心配するのですよ」
くふふ、と笑う程立になんと言ってやろうか。いや、そんなことに関わっている余裕すら自分にはない。
この一行の荷物は大きな匣であったり壺であったり。ややもすれば人が隠れるに相応しいもの。
ここで袁家当主たる袁紹。入内を控える袁術。そして彼女らに大きな影響力を持つ紀霊。いずれかを捉えるだけで状況は変わる。変わるのだ。
◆◆◆
――そして程立が率いる一行の、思わせぶりな荷からは誰一人発見できなかったのである。
今回はこれにて。
次章はもちろん反董卓連合!
のはずです。
お盆くらいを見込んでおります。お楽しみに!
感想とかじゃんじゃんお願いします。心のガソリンなのですよ。




