表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
242/350

白き衣は朱に染まって

「総員、傾注!」


 白を基調とした甲冑に身を包んだ雷薄が居並ぶ部下に檄を飛ばす。

 いや、厳密に言えば彼ら彼女らは直属の部下ではない。袁紹、袁術。そして四家の長に仕える近侍たち。

 いずれも素性の正しく、将来を嘱望される幹部候補生たちである。いずれは彼らが袁家を担っていく。そうなってもらわないといけない者たちだ。

 そんな、まさに人財を雷薄は睥睨し、躊躇いなく使い潰すことを選択する。

 多くは言わない。


「まことに済まんが、死守だ!」


 明敏な彼らにはそれだけで十分。これから稼ぐ時間により仕える主たちの命を贖うのだ。贄となるに異存はない。


「いやー、参ったなー。でもまあ、ここが踏ん張りどころってね!」


 へらへらと鉄鞭を手にした青年が口を開く。弁舌の英雄とも言われる彼は正直荒事には向いてはいないが、この際そうも言ってられない。


「はいはい、泣き言は後でたーっぷり聞いてあげるから黙ってようね。おじさんたちの頑張りが袁家の命運を握っているんだからさ」


 鷹の目、と異名をとる少女が混ぜっ返す。


「はうー。かあいいかあいい美羽様のためだもの。頑張っちゃうかな、かな」


 かつての如南攻防戦にて功績を挙げ、袁術の真名さえ許された彼女が笑う。

 彼ら彼女らはけして使い潰していい人材ではない。雷薄は苦虫を噛み潰したような顔で内心詫びる。


 ……雷薄の生まれは貧農の三男坊だ。食うに困って軍に志願したクチだ。腕っぷしには自信があった。が、野盗になるのは嫌だった。彼自身が貧農出身だったから、だ。

 それに、畑を耕すよりは兵隊になった方が女にちやほやされるだろう。そんな思いもあった。

 恵まれた体格と膂力で頭角を現し、あの匈奴戦役でも生き残り、武勲も立てた。気が付けばまさかまさかの大出世である。


 だから、自分に関しては命燃やす時は今と決意している。巻き込む若人らに詫びる言葉を雷薄は持ち合わせてはいない。

 いや、それでも。

 それでも死んでくれと言わなければならないのが指揮官というものなのだろう。

 きっと目の前の彼らはそんな逡巡すら見抜いてなお自分の判断に付き従ってくれるのだろう。

 では自分も、彼らに相応しい立ち振る舞いをせねばならない。


「では、多くは言わん。一秒でもいい。我らが主君を逃がすための捨て石として、死兵となってくれ」


 言い捨てて、門扉に向かう。

 既に此処は戦場。既に包囲されている。まさに、死地であった。


◆◆◆


「貴様ら、ここが四世に渡り三公を排出した名門袁家の当主、袁紹様。

 そして畏れ多くも入内が決まっている袁術様の逗留先と知っての狼藉か!

 ただちに立ち去れい!下郎ども!」


 隠しもしない殺気を込めて雷薄が威圧する。

 場を圧倒するその声量。それは紀霊が高く評価するもの。堂々とした体格から発せられるそれは質量すら感じさせるほどになり、並の胆力では抗うことすらできない。


「その袁紹殿に用がある!袁紹殿はいずこにおわすか!お目通り願いたい!」


 であるから、それでもなお怯まずに述べる彼の胆力は評価されるべきであろう。

 雷薄の威圧に刹那怯むも朗々と用件を述べる。


「既に時間も遅い!明日出直すがよかろう!」


 門前払いである。が、それを予想していたのだろう、気圧されることなく歩を進めてくる。


「ええい、話にならん。ことによれば力ずくでもいいのだぞ――」


 取り囲むは数百。守るは十数名。力押しされたならば鎧袖一触であろう。

さて、どうしたものかと雷薄が考え込もうとした時。


「行きます」


 雷薄の横を通りながら、口も動かさずに伝える。

 それで張家所属と分かる。

 その極秘の話法。それこそは伝え聞く張家の秘伝の一つ。

 それに彼女は如南攻防戦にて袁術から真名を許された英傑の一人である。そうと知って雷薄は覚悟を決める。

 どうせどん詰まりなこの状況。動かすならば彼女のような英傑が相応しい。

 そして火消しならば慣れている。得意というのは語弊があるだろうが。


◆◆◆


「董家軍の将軍様。

 ご進言が。ご進言があるのです」


 気弱げな口調、しとやかな仕草。女官としての気品、そして漂う色気に対した呂家軍の士官は。


「ほほう、どうしたというのかね」


 前に出てしまう。


「ああ、そこにいられましたか。

 耳寄りな情報がございます。お求めになっているものです」


 歩を進める女官がしゅるり、と帯を緩める。

 媚びを売ろうというのであろうか。その身体で何かをあがなおうというのであろうか。

 その期待にごくり、と生唾を飲み込み、更に数歩進み出る。


 ゆるり、とした運足。ゆらりとした脱衣。彼女が場を支配していたからこそ、達した。


「しゃおらぁあああああ!」


 闇に紛れての一撃。衆に混じりて成した会心の一撃。まさか後方から、自軍から成されるとは思ってもみない。

 だからそれはまさに必殺。


 会心の雄叫びを上げるのは、これもまた如南攻防戦の英雄。

 兵士を、領民を鼓舞し士気を高止まりさせた弁舌の英雄。

 そして今ここに、口先だけではないことを証明した。彼の手にした鉄鞭は見事に指揮官の頸椎を砕き、返す一撃で顔面を粉砕する。


「は、ちょろいもんだぜ!」


 残心もそこそこに先の女官に並び立つ。

 両者が纏うのは黒装束。


「あはは、流石だね!

 知ってたけど、ここでそうくるかー。

 私がやっちゃうつもりだったんだけどなあ。

 これは、負けてられないなあ」

 

 すらり、と女官が構えるのは鉈、のようなもの。

 男と背を合わせ、周囲を睥睨する。


「まあ、俺だってたまにはいいとこ見せないと、な」

「そうだね。うん、すっごく格好よかったよ」

「俺に惚れたら火傷するぜ?」

「だったら、それもう手遅れ、かな。今更だし。

 全身火だるまで、どうしようもないかな」


 軽口を叩く二人を取り囲むのか、袁家邸宅に突入するのか。指揮官なき董家軍。

 その揺れを歴戦の雷薄は見逃さない。

 轟く声。

 重低音のそれは場に響き渡る。

 かつて紀霊が、夏候惇にすら匹敵するとまで評したそれは場を支配する。


「総員、突撃ぃ!

 袁家の存亡ここにあり!踏ん張れい!」


 指揮官先頭は紀家軍の伝統とばかりに雷薄は吶喊する。連携なんぞは激戦のうちに生まれるものである。

 そして、力の限り足掻いて見せよう。

 それが今の自分にできる最善であると信じて。

 手にした得物を振りかぶり、矢嵐を受けながら雷薄の口元はニヤリと吊り上っていた。


◆◆◆


「誰かある!」


 応えは、ない。

 初手において敵指揮官を潰し、一時は優勢ではあったが流石に多勢に無勢。

 統制なくとも数の暴力に押されて下がりに下がって背にした扉は屋敷の最奥。

 ここが突破されればここに袁家首脳がいないことが決定的に露見してしまう。そんな最終防衛線にいるのは雷薄ただ一人。

 幾多の勇士既に散った。散ってしまった。


「やらせるものかよ……」


 それでも雷薄は気力を振り絞って迫る敵を睨む。

 白を基調とした甲冑は返り血のみならず自ら流した血で紅く染まっており、修羅もかくや、という姿である。

 幾本も矢が突き刺さり、傷からは血が流れ出て意識が白くなりそうである。

 いや、実際気が付くと膝をつき、倒れ込みそうになる。

 数瞬意識すら手放し、顔を上げるのも億劫だ。


 それを好機と見たか、或いは力尽きたと見たか、敵兵がとどめとばかりに槍を突き立ててくる。

 その激痛すらどうでもよいとばかりに倒れ伏したくなる。

 それでも、それでも。


「やらせはせん!やらせはせんぞ!貴様らごときに、やらせはせん!

 袁家の栄光を!世の平和を!やらせはせん!」


 吠えて手にした得物を振るう。暴風がごときその勢いに押されて包囲の輪は距離を取る。


「ここを通りたくば!俺の屍を越えていけい!」


 仁王立ちする雷薄は凄絶に笑い、威圧する。

 その威を畏れ、矢嵐を以って無力化しようとするも揺るぎもしない。

 むしろ呵々大笑して煽るほど。

 さしもの董家軍も、その武威に三度下がったという。



 絶命してなお威圧する武威は後世語り草になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  一連の被害を考えると、後からどんな泣き言を言ってきたとしても助けることはないし、滅ぼすことを躊躇することもないでしょうな。理由はどうあれ、とった手法が後の選択肢を狭めるのは仕方のないところ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ