連鎖
「……む」
どうやらつけられている。それも少数ではない。
まあ、それはよい。不埒な輩の心底は身体に聞けばよかろう。まあ、これから面会する賈駆には少しばかり退屈させるやもしれんが。
刹那の逡巡すらなく馬騰は歩を人気のない方に進める。なに、戦場から舞い戻ってみれば再び鬱屈する日々だ。いささか溜まった鬱憤を不埒者で晴らしたとて、誰が責めるものか――。
月明かりが青く照らし出す中庭で馬騰は不敵に笑う。なるほど、中々に歯ごたえのありそうな相手だ。
「――こそこそとせずに出てくるがよかろうよ。
それとも、まさかとは思うが。
こと、ここに至って怖じ気づいたかな?」
ニィ、と口を歪めて煽る。誘う。
いつしか辺りを囲む気配は百を越えたろうか。多勢に無勢。だがそれがいい。昂ぶる血潮に自然とまた頬が緩むというものだ。
ざ、と無造作に歩を進めた人物を見て馬騰はその顔を引き締める。
「霞、か……」
愛用の飛龍偃月刀を肩に担ぎ、張遼はいつになく苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。
「馬騰はん。
ほんますんまへんけど。
腰の物を預けてもろて、一緒に来てくれへんやろか」
す、と上げた手を合図にがしゃ、と音を立てて完全武装の兵達が取り囲む。
「ほう、なかなか立派な口を叩くようになったではないか。
いや、ぴいぴい泣いていた小娘が立派になったものだ」
「……馬騰はんはうちらの恩人やさかい、手荒なことはしたない。やから、腰の物を預けたってほしいねん」
「はは、これはしたり。恩人に対する態度ではないな。そちらこそ控えるがよかろう?」
濃密な殺気を爆発的に放って馬騰は場を支配する。
これが馬騰。半生をほぼ単身で涼州の防衛に捧げ、果たしてきた英傑の持つ凄味。
味方であった時には頼もしく感じたそれに、さしもの張遼が一歩後ずさる。
「霞よ。答えよ。いかなる所存か」
むしろその声色は優しく響く。娘を気遣う父親のそれですらある。
「しゃ、しゃあないねん!月が!帰ってけえへんねん!李儒のクソアマが!
やから!うちらは!
あのクソアマが!それでも……!それでも月のためにはしゃあないねん……!」
いっそ泣きそうな顔の張遼に馬騰はフム、と頷く。
「とすれば詠の差配か」
「せ、せや。やからな?不自由はさせまへんから。
やから、うちと一緒に、な?」
むしろ哀願するような張遼に馬騰は苦笑する。
「それはできん。できんのだ」
そう言ってすらり、と腰に差していた剣を抜き放つ。
その言葉には哀しみすら込められていた。
「な、なんでや!うちかて馬騰はんをどうこうしたいわけやない。
むしろ、月を救うために手を貸してほしいんや。
なあ、お願いや……」
張遼のその哀願に悲しげに馬騰は頭を振る。
「霞よ、既に私は一度天に仇なした身よ。
それを何進の……義兄弟の差配によってこうしてここにいる。
だからな」
もう、天に叛くことはできんよ。
「そ、そんなん!」
言い募ろうとする張遼を静かに制する。
「それに、霞がここにいるということは。そういうことだろう?
ああ、こう聞こうか」
――恋はどこにいる?
その問いにびくり、と張遼は身を震わせる。
「少し考えれば分かる。まあ、恋に説得工作なぞできぬであろうからな。
まあ、なんだ。義兄弟というものは、同じ日に死すべきものさ。
分かるかな?まあ、分からんかもしれんな。だが、男とはそういうものだ。
さて、一つ伝言を頼もうか」
再び膨れ上がる馬騰の気迫。今度は張遼も一歩も引かずに渡り合う。
それに微笑を浮かべ、馬騰は剣を振りかぶる。
「霞よ、預けたぞ。我が遺言!
翠よ、万里を駆けよ!
済まんな、霞よ、この身が愛娘の重しになるなぞ、耐え難い!そして!
武人たるもの最期はこうあるべし!」
さらばだ!
その声を最期に馬騰は剣を自らの首に振るい、それを落とす。
「な……。何してはんねん!馬騰はん!大将!あ、あほぉぉ――!」
ごろり、と落ちたそれに張遼は思わず武器を放りだし駆け寄る。
けして、けして彼女が望んだのはこんなことじゃなかったのに。
物言わぬ亡骸を掻き抱いて、張遼は胸も張り裂けよとばかりに慟哭するのであった。
◆◆◆
「ふふふ、すっかり袋の鼠というやつなのですぞ……」
ニヤリ、とほくそ笑んで陳宮は屋敷を見る。
この屋敷の主は朱儁。禁軍を率いる戦狂いその人である。
洛陽における最大戦力は間違いなく禁軍。黄巾に一度は敗れたとはいえ、その武威は無視できるものではない。
だからこそ利用価値がある。
「軍権はこちらにあるのですぞ!朱儁よ!抵抗は無意味。大人しく降るがよかろうなのですぞ!」
いささか以上に誇張しながら陳宮は投降を呼びかける。
朱儁はそれほど権勢に興味はなく、自らの、指揮官たる地位こそが最重要なのであろうというのが賈駆と陳宮の推察であった。
なればこそ失態あり、名誉を損ねてなお地位に拘ったのであろうと。
だが、そこには悲しい齟齬があった。
「は、ははははは!素晴らしい、素晴らしいぞ!」
屋敷を囲む董家軍を目に朱儁は笑う。楽しげに笑う。そして感慨深げに呟く。
「なんだ、あの童女、やればできるのじゃあないか」
にま、と笑い、家人が止めるのも聞かず楼台に身を晒す。
それはもう、にこやかに、楽しげに口を開く。
「ああ、素晴らしい。素晴らしいぞ。こんなにも貴様らに気概があると見抜けなかったのはわが不徳というものよな。
深く詫びよう。そうさな。幾度でも詫びようとも」
ならば、と陳宮が声を放つ前に朱儁は高らかに宣言する。
「そして、だ。それはそれとして、だ。
よろしい、ならば戦争だ。
殺したり、殺されたりしよう。死んだり死なせたりしよう。
戦場楽曲を奏でよう。素晴らしい。
実に素敵だ。全部、台無しだ」
そして屋敷に火の手が上がる。
「折角最後の戦場だ。精々煉獄を楽しむとしよう。いや、無論逃げてもいいのだよ?
その場合は、洛陽そのものを煉獄としてくれようよ。
いやいや、自制しなくていいというのは実に愉快だ。ああ、愉快だとも。
さあ、存分に殺し合おうじゃあないか」
朱儁、凄絶に斬り死に。
部下全てがそれに倣う。
◆◆◆
「季衣、いいわね。
任せたわよ」
「はい華琳様!
お任せください!」
小さな五体に気合いを込めて許?は主の命に頷く。
猛然と駆け出したその様を満足げに見守り、す、と手を挙げる。
「春蘭」
「はい!」
「秋蘭」
「ここに」
「桂花」
「なんなりと」
股肱と頼む臣に艶やかに笑いかける。三者ともにうっとりと敬愛する主の目線を全身で味わう。
「洛陽は血に塗れるわ。いえ、それは幾度も繰り返されたこと。それ自体はよくあることよ。
でも、その事象は漢朝を揺るがすわ。止めることもできたかもしれない。でも私はこれを機に飛躍する道を選ぶ。
不服あるならばこの場で述べなさい」
不遜とも傲岸とも言える口調で曹操は配下を見下ろす。
「華琳様のご決定、ご意志!臣たるこの身、異論なぞございません!」
裂帛の気合いをもって夏候惇が声を振り絞る。何条以って主の決定に異を唱えようか。
その声に夏侯淵も、荀彧もが頷く。
「よろしい。では次なる舞台に身を移しましょう。もう、この洛陽には用はないわ。
そして、次に訪れる時は、凱旋の時でしょうね」
くすり、と笑う曹操。三者がうっとりと眺める。そして、す、と向けられた目線を受けてそれぞれがその場を去る。
そう、いつまでもここでぐずぐずとしてはいられないのだ。それが分からぬ者に曹操の側近は務まらない。
そして、残された曹操は艶やかに笑う。独白する。
「ふふ、ちょっと薬が効きすぎたかしら、ね」
それとなく振りまいた何進と袁家の同盟による脅威。どうにも好評だったようで予想外の勢いで広まった。広まってしまった。まあ、それはいい。
だが、こうもあっさりと軽挙妄動するとは、というのが曹操の感想である。
――今回の暴挙を曹操が事前に察知していたのには無論理由がある。後宮内での暗殺をするとなれば宦官の協力は必須。
なれば宦官勢力を手中に収めつつあった曹操が察知できぬはずはない。
いや。今回に限れば、未だ曹操の息のかからぬ宦官のみを選別した手腕を誉めてもいいだろう。だが、それで隠し通せるなどと思うなぞ、甘く見られたものだ。
いや、そうではない。知られたら知られたでよかったのであろう。
「確かに、何進は目の上の瘤……だったもの」
瘤どころではない。宮中を支配するその政治力には流石の曹操も十年単位での政争、暗闘を覚悟したほどだ。それが除かれるというのであれば否やはない。だが。
「舐められたものね……」
刺客の主力が宦官となれば主犯は誰であれ、曹操の関与は疑われてしかるべき。いや、実行犯と思われても不思議はない。
そしてこの絵図を描いた人物はそうやってこの自分を取り込もうとしたのであろう。
実にいい手である。何進を除き、袁家と自分を抱き込む。
言ってみれば何進その人が占めていた座に董卓を据えるというだけ。これでは董卓の、或いはその後ろにいる人物の思うがまま。そしてそれが曹操には気にくわない。実に気にくわない。
碁石のように、路傍の石のようにひょいと立ち位置を決められるなぞ、看過できるものではない。
そのようなものを甘受するほど曹操は出来た人間ではない。
「ええ、賈駆。貴女は凄いわ。打つその手、機を見るに敏。配下に欲しいくらいよ。でもね」
この私の意思を無視した報いは、大きいわよ。
曹操の一手。それが賈駆の思惑を大きく狂わせていくことになるのである。
 




