無知の知
雅な楽曲が流れる一室に袁術は足を踏み入れる。
どことなく緊張した彼女の背にそ、と張勲が触れる。かすかな所作ではあったが、顔をほころばせて先ほどまでとは打って変わって軽やかに、なおかつ優雅に歩を進める。
それを微笑ましくも満足げに見守る張勲は煌びやかに着飾った袁術にその目線を注ぎ、頬を緩ませているように見える。
いささか過保護気味の腹心と言った風ではあるが勿論実態は違う。室にいる人員の一挙手一投足を捉える。事あらば仕える主を庇えるよう、絶妙の間合いを測る。
彼女が些か軽装気味――無論それは袁家の名に恥じないほどに豪奢な仕立てではあるのだが――なのには主を引き立たせるためだけではない。
いざというときに動けないなどという愚を犯さないためである。
無論この場においては杞憂にも等しいことではあろうが、それでも五感全てを振り絞って糸を張り巡らす。
なんとなればここは戦場にも等しい。普段は天衣無縫たる袁術が些か緊張気味だったのもむべなるかな。待ち構えるは今上帝、劉弁である。
入内するとはいえその時期はまだ未定。で、あるならば一度は顔を合わせておいた方がよかろうと何進、袁家が合意した一席である。
内々の一席でありながら、その事実は各方面に知られているという、なんとも思惑の絡み合ったそれを張勲はむしろ歓迎していた。
入内が内定しているとはいえ、そのまま洛陽を離れれば政略結婚という印象が強くなる。いや、それはそうなのであるが、その風評に本人たちが引きずられてしまうのはよくない。
良好な関係を前もって築いておきたいところである。
無論、今上帝たる劉弁の為人を知る上でもこの機会は逃せない。
袁術に付き従い後宮に入る身としては事前情報として、彼の人格がどのようなものかを知るは必須。
で、あるから五感を振り絞り場を感知しつつも主眼は劉弁の言動である。
……どうにも主よりも緊張しているようである。人が好さそうではあるが、いかにも落ち着きがない。品格がない。知性が感じられない。覇気なぞ存在しない。
途切れる会話。断たれる話題。
あれこれとその陽性な人格を遺憾なく発揮し、愛らしい主があれこれと話を振るのだが。
「ごめん、よく分かんないや」
申し訳なさそうに俯く劉弁。
これで幾度目かと嘆息する取り巻き。その所作の無礼さを誰も咎めないことに張勲はなるほど、と思う。
これだからこそ何進が専横振るっても朝廷は問題なく動くのであろう。それがいいことかどうかはさておいて。
重ねて発される主の問いにまた劉弁は困った顔をする。けして難解な問いではなかったのだが、それでも申し訳なさそうに応える。
「ううん。叔父上なら分かると思うんだけど、僕にはよくわかんないや」
張勲が驚いたことがもう一つある。
そう、一人称が『僕』なのだ。皇帝の一人称は『朕』たるべき。それはこの場が内々であっても、である。
さしもの張勲でさえも数瞬絶句してしまったほどの衝撃。それをさらりとかわした――或いはそれに気づかぬ――主に感銘を受けたものだ。
幾度目か、劉弁は気まずげに笑う。
「ほんと、わからないことばっかりで、さ」
困る。中華を支配する今上帝のそのような言葉に何と返せばいいかなど張勲でも困ってしまう。認めても、認めずとも不敬につながる。
背後で無表情に立っている王允に言質を与えぬかどうかで身動きが取れぬ。
だが、そのような懊悩なにするものぞ。光は満ちるのだ。
「それはいいことなのじゃ!」
その言葉に場が凍る……と言うより止まる。そして弛緩する。
張勲とて周囲に張り巡らした警戒の糸を途切れさせてしまいそうになる。
いや、先ほどまでの警戒を保てていたかというのには議論の余地があるが。
控える女官文官は呆気にとられていて。辛うじて表情を取り繕ったのは王允くらいのもの。
「陛下が分からぬことはきっと妾も分からぬ!じゃから、陛下と妾は一つ賢くなったのじゃ。
分からぬことが一つ分かったということは、二人で二つ賢くなったということなのじゃ。
これまで幾つ陛下に分からぬと言われたか。それだけ妾たちは前に進めているということ。
……妾も太守とは言え、分からぬことばかりだったのじゃ。それを一つ一つ頑張っているところなのじゃ。
十三ある州のさらに細分化された太守においてもそうであったならば、漢朝統べるお立場いかほどか。
この中華に安寧を、と望んでも何をすればいいかも分からぬ未熟者と認めるのは如何にも口惜しい。なれど、陛下と共に歩む覚悟はあるのじゃ!」
鼻息荒くまくしたてる袁術に、みっともなくぽかん、と口を開けて劉弁は絶句する。
四世において要職たる三公歴任した袁家の二の姫。いかほどに扱い辛いかというのは散々に吹き込まれていたことである。
だから、つい、漏らしてしまう言葉も威厳なぞない、素の言葉。
「そうだね。あの、玉璽の重さって凄いよ?持ち上げるのも大変なんだもん」
袁術はにぱ、と大輪の花を咲かせる。
「うむ。わかるぞ、わかるぞよ陛下。実際あのような重いのを百も捺せば書類の内容なぞ、どうでもよくなるというものじゃ」
だから、と袁術は笑うのだ。
「その重みというのはありがたいと思うのじゃ。妾もの、思うのじゃ。少なくともこの重みを担えるのは自らのみじゃと」
たとえ血筋のみの存在価値であろうと、触れることのできるのは自分のみ。そしてその役割に代役はいないのだ。
「そっか。そうか。そうなのか。
そう、思ってもいいんだ。いや、ありがとう」
「こちらこそ、なのじゃ」
笑い合う二人を痛ましげに、微笑ましく、苦々しく。それぞれの思いで見守る意図。
それぞれの思いを汲み取り、絡め取り張勲は笑う。表情には浮かばなかったけれども。
それをきっかけとしてか、それまでよりは会話が弾む。
「そう言えば、袁術殿はお歌がお上手とか――」
「うむ。技量についてはともかく、よく歌っておるのじゃ。七乃、七乃!」
こんなこともあろうかと持ち込んでいた胡弓を一つ弾き張勲は笑う。
宮廷楽士ですら感嘆の息を漏らすであろうほどの技巧。その旋律を、軽やかに袁術の歌声が覆っていく。
劉弁はうっとりとその歌声に耳を傾けるのであった。
「ふぅ……」
袁術は楽曲を歌い終えて一つ息を漏らす。今上帝に聞かせるに相応しかったかどうかは自分では分からない。
が、全力は尽くしたと思う。
最後に歌ったのは『四面楚歌』。高祖たる劉邦の武勲を褒め称える楽曲。
それを軽やかに、それでいて虞美人を美しく表現してなお嫌味にならぬ袁術の歌唱力はいかなるものか。
「ねえ、どうして覇王たる項羽は負けたんだろうね」
いまだ頬を上気させる袁術に、いっそ平淡と言っていいような口ぶりで劉弁は問う。きっとそれは応えなんて求めていなかった。
「そうじゃのう。項羽は優秀じゃった。勇猛じゃった。じゃから、誰もいらなかったんじゃろう。
自分でぜーんぶできるのじゃ。ならば他は足手まといじゃ。
じゃから、一人で全てをしようとして、誰からも必要とされなくなったのじゃ」
その言葉に劉弁は笑う。たはは、と。
「だったら、少なくとも項羽のように四方を囲まれることはないかな。
だって、僕は誰よりも皆に頼っているのだもの。
ああ、そうだ。僕は項羽、覇王に遥かに及ばないけれど、かつての味方に四方を囲まれて君をどうしたらいいかと悩むことはないよ。
それだけはないと言えるよ。きっとね」
「うむ?なに、例え四方囲まれようと袁家はきっと馳せ参じるのじゃ。
それに、今宵は月が美しいと妾は思うのじゃ」
「うん?そうだね。あんなにも輝く月を見上げるのはいつぶりかなあ」
どこか噛み合わない、それでも根源にてお互いを認め合うそれを張勲はにこやかな顔のまま聞く。
……彼女の戦いは始まったばかりなのである。
昔から太陽は男を、月は女を象徴していました。そのため愛し合う男女(特に夫婦や婚約者)の間ではそれを自分たちに見立てた詩や歌や文が散見されます。
その中でも有名なものの一つが袁術が時の皇帝劉弁との婚約後の初顔合わせの折に睦言として交わしたとされる【今宵は月が美しいと、妾は思うのです】です
これは月を自分に見立て【今日のあなたとの出会いを自分はとても嬉しく思う】というのと同時に【このように月が美しく見えるなら明日の太陽(=あなた)も晴れやかにあるでしょう】と劉弁と自分が共にあることを宣誓した言葉でもあるわけです
それに対する劉弁の返しは【そうだね、あんなにも輝く月を見るのはいつ以来だろう】というものでこれは時期として黄巾党の躍動が鎮圧された頃であることから【今までは心を曇らせる事ばかりであったが、久しぶりに安らかに過ごせる】と言うもので、彼の朴念仁ぶりと言うか男女の機微に疎い所が窺えます
しかし同時に彼が婚約者との初顔合わせの場でそのように返したという事に劉弁皇帝の優しい人柄と実直さ……そして不器用さも感じさせるものです
劉弁皇帝は資料によると品性に悖る、赤子のように無知、人を導く覇気が感じられない、母の胎に皇帝としての資質を置き忘れた愚兄、などと揶揄されてますが、未だ成人前のいわばお飾りでしかなかった皇帝としては民を安んじ、民の嘆きに心を痛め、人に頼むことのできた劉弁は治世の世であればあるいは今に残る評価も変わっていたかもしれませんね
本文は某大学にて護・档案氏が教鞭をとった際に脱線した話をまとめ修正しました




