清流に垂れる一滴の毒
明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします。
「てなわけで、まあ、袁家は何進大将軍様と組むことになったんだよね」
ずびび、と音を立てて茶をすする。あ、これマジで美味い。実に見事なお点前。やりますねえ。
対面の美少女はこめかみに手を当てて何やら苦悩しているようである。いかんね、あまり難しい顔をしていると皺がよるぞ。
「なんと言っていいやら分かんないわ……。
っていうか、そんなことをボクに話していいの?」
じろ、とこちらを見やるのは詠ちゃんである。意外とまだ洛陽にいたからデートに誘ったった。意外と応じてくれた。嬉しい。
だからキャッキャうふふとイチャイチャしていたのですよ。
でもまあ、自然今の政局に話題が移って、ほいほいと情報を引き出された気もする俺です。だが俺は謝らない。
「詠ちゃんならいいさ。
なに、馬騰さんと何進大将軍様は義兄弟。そしてそこに袁家が加勢するというのは悪くない情報だろう?
それより、まだ洛陽にいたんだ。てっきりもう安定に帰還したと思ってたってばよ」
盛大な感じで、今上陛下の即位の儀は滞りなく終了した。
だからまあ、領地の安定に帰還していると思っていたのだよ。
見知ったところでは、白蓮も襄平に帰還している。基本、根拠地を留守にしていいことはないのだよ。
劉備ご一行様も領地に向かったと聞いている。ちなみに華琳は朝廷内部に浸透工作を始めているみたいだ。きゃーこわーい。
いやマジで怖いわ。何するんやろ。
「うん、馬騰さんがね。『お前たちは漢朝を支えるべき器だ。しばらく中央にいて経験を積むがよかろう』って。
だから、ボクたちはまだ洛陽にいるの。ありがたいことではあるんだけどね」
はにかみながら詠ちゃんは舞台裏を明かしてくれる。
なるほど、馬騰さんは董家に相当期待しているんだな。まあ、確かに人材の粒はものすごく揃ってるからなあ。
「そっか。期待されてるんだな」
「ま、まあね。勿論期待には応えるし、その上で恩も返すわよ。
不穏な涼州を抑えきって、漢朝だって支えてやるわ。
州牧となる翠は頼りないしね。なに、月とボクがいるから安心しなさいな」
不敵に笑う詠ちゃんはガチでかわいい!だから正義!
うん、現実逃避ですな。ごめんなさい。
「協殿下の器量は確かよ。
その上あの英邁に皇甫嵩が与するのだもの。それは警戒が必要よ。当然じゃない。
でもね、何進と袁家が組めば怖いモノなしでしょうよ。
そうね、まあ。何進と袁家が組むなら話は別ね。お話にならないもの。
うん、そうね。
清流派と宦官、束ねても及ぶはずないわ」
まあ、華琳に皇甫嵩マジご愁傷様って奴だ!うけけ。
「まあ、協殿下と月は親しいからね。仲介の類ができればいいのだけれども。
……思えばそれも枷となりなねないわね。むう、これは皇甫嵩にやられたかな。
でも、先んじて二郎にこの情報を貰ったからには……」
ぶつぶつと思索にふける詠ちゃんに苦笑する。
そして戦慄する。思いの外、俺たち袁家は権力闘争に巻き込まれていたのだと。
いや、七乃とか風が聞いたらば、ものっそい馬鹿にされそうだけども。今更、ってね。
とりあえず猪々子とかまだ南皮に派遣せんでよかったわ。
まだまだ色々打ち合わせないといかんかもしらん。
「まあ、二郎の話がほんとなら、ちょっと清流派からは距離を置かないといけないわね。
ほんと、ありがと」
詠ちゃんって、月が絡むと素直になるね。素直に笑顔を向けてくれるね。それとも逆か?
べ、べつにそんな時しか笑顔を向けてくれないのが寂しいなとか思ってないんだからね!
「しっかしまあ、難儀なことね。
そりゃあ、月は漢朝を支えるに相応しいけれども、余り世俗の汚辱に触れさせたくないわね」
詠ちゃんのその言葉には尊いものが込められていて、それを茶化す気にはならなかった。
「……ま、困ったことがあったら相談してくれ。なんとかするさ。するとも」
苦笑する詠ちゃんの表情はいつになく柔らかくて、抱きしめたくなる。
抱きしめた。
「やあね、もう。
二郎に相談したら大げさになりそうだもの。
……そんな顔しないの!」
弾ける笑顔。
それを守りたいと言ったならば、盛大に馬鹿にされるんだろうなあと思いながら、場を場を去ろうとする詠ちゃんに手を伸ばす。
去り際に重ねた唇の感触。抱きしめた柔らかい身体。
それはするりと手元から逃げ出してしまう。抱きかかえた腰。
ぺち、と頬に手形。
「もう……馬鹿……。知らない!」
身を翻して距離を取り、去り際に一度、振り返る。
「ばーか!」
それだけ言い残して走り去る。
残された俺は間抜け面を晒すのみだ。
いや、まあ、それでいいのかな。いいのだろう。多分。
無理やり自分を納得させるのであった。
◆◆◆
袁家二の姫、入内。
それは瞬く間に周知となった。まさか、との声もあったが、正式にそれが発表されると洛陽はお祭り騒ぎとなった。
慶事である。
黄巾の乱で離れつつあった民心はたちどころに漢朝を寿ぐ。
恩赦が発せられ、黄巾に与した者も苦役に就けば許されることとなり、多くの黄巾に参加した叛徒は漢朝に帰順する。
彼らとて、指導者なき今。官軍とことを構えて勝てる、などという幻想を抱くほど現実が見えないわけではない。実際、憑き物が落ちたかのように多くの黄巾残党は投降した。
彼らの多くは鉱山などの厳しい苦役を課せられることになるのだが、問答無用で刑死に比べれば温情と言っていいだろう。
◆◆◆
流石の手腕だな、と曹操は思う。
袁術入内という一手。それは曹操からしても唸るしかないほどの一手。
中央から距離を取ろうとする袁家。それを他勢力に与させず、取り込む。それにより北方の守りは安泰。そしてその兵力は比類ない。
曹家軍とて精鋭だが、流石に馬家、袁家、孫家を同時に相手にして勝てると思うほど自惚れてもいない。そんなものは痴人の妄想にもなりはしない。
だから。
「全く、まさか名門たる袁家が肉屋の倅ごときの軍門に降るとは!
彼奴らには誇りというものがないようですな!」
「然り、然りよ!あのような下賤におもねるなぞ、汚らわしい!武家の名門が聞いて呆れるわ!」
何が誇りか。埃の間違いじゃないのかと内心嘲笑を浮かべながら曹操は杯を傾ける。
折角の美酒の味が損なわれてしまうな、と。
まあ、それは予想されていたことだ。構わない。それでも清流派のこの席に顔を出したのは、訳がある。
勿論無意味に気炎を上げる塵芥どものためではない。
皇弟たる劉協。そしてこの清流派を立ち上げ束ねる皇甫嵩。彼らを見極めるためである。
内心の思いたるやどれほどのものだろう。何進の専横阻もうと、忌み嫌う宦官勢力と渡りをつけてまで立ち上げた清流派。
だのに、結果を見れば、不穏分子がまとめて炙り出されたようなものである。いや、これには曹操も声を上げて笑ってしまったのだ。
不穏分子を皇甫嵩にまとめさせ、暴走を防ぐための清流派と思っていたら、どうだ。
まとめて叩き潰されるためにのこのこと光の当たる舞台に出てきてしまったようなものではないか。
まあ、宦官勢力を未だ掌握できていない自分が心配することでもないのだが。
なんにせよ、収穫はあった。
確かに劉協は秀才だろう。皇帝の座に相応しい器でもあろう。華もある。愚鈍そうな――不敬極まるな、と内心苦笑しながら、そう思う――今上陛下とは段違いだ。
そして場を手際よくまとめる皇甫嵩。あれも傑物。流石に宮中には人材がいるものだ。
だが、驚いたのはこの場に董卓がいることだ。
馬騰に引き立てられた彼女がなぜ、と思う。しかも劉協と親しく言葉を交わすではないか。それとなく会話を聞けばなかなかに明敏。
ふむ。なかなか面白そうではある。
このまま何進の独り勝ちでも面白くない。ならば、精々場をかき乱すべきか。
そう結論づけると、にこやかな笑みを張り付けて歩を進める。
ここは戦場。一挙手一投足が大きな意味を持つ。
そう言う意味ではあの旧友は大したものだと思う。背後にある袁家という大きなものを加味しても、気づけば華やかに場を支配しているのだから。
そしてその傍らの青年。
暢気に飲み食いしているようで如才ない。ごく自然に場を盛り上げ、自らは裏方にいつのまにか回っている。その気遣いが嫌味にならない程度に。
口惜しいが、なかなかにこういった場にて自分を補佐する人材はまだいない。
夏候惇はその陽性で人を惹きつけるが、暴走のきらいがある。
まあ、しばらくは自分が奔走するしかないか。
そんな懊悩を欠片も見せずに獲物に牙を剥く。
「ご歓談中失礼しますわ。
こんな噂をご存知かしら」
自分が動くことによる影響、浴びる注目を全て認識して。曹操は微笑む。
他愛なし、と。
そしてその笑みを見つめる蜘蛛。その視線には気付くことはなかったのである。
 




