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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決着の章
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月下の導きは絆の名の下に

「なんだと!」


 馬騰がその報せを聞いた時には箸を取り落したと言う。それだけで逸話になる案件。

 だがそれも無理からぬこと。皇甫嵩からの急使からもたらされたのは信じがたい報せであった。


 ――朱儁、董卓。黄巾により敗走。


「馬鹿な!ありえん!」


 馬騰は彼らの武勇を知っている。あの朱儁が禁軍最精鋭を率いるのだ。

 そして董家軍には神速の張遼が、鬼謀賈駆が。

 なにより万夫不当。武においては自分を軽く凌ぐであろう呂布もいるのだ。

 それが敗走などと、皇甫嵩よりの報せでなければ偽報であると断じていただろう。

 だが、時に戦場にはありえないことがありえるというのも百戦錬磨の馬騰は知っている。僅かな自失の後に馬家軍全軍に出撃準備を命じる。

 官軍の中でも有数の実力者が一敗地にまみれているのだ。戦線は混乱を極めているはずだ。実際皇甫嵩もそれを懸念し、後詰……というより矢面に立てと命じてきている。


「言われるまでもない!」


 何より、官軍が敗れるなぞあってはならぬのだ。このままでは漢朝の権威は地に墜ちてしまうであろう。


「蒲公英!先行しろ!敵はどうやら、かなりやるようだ。鼻先をちょいと撫でる程度でいい。くれぐれも深追いは禁物。よいな!」


「はーい。じゃあ、五百ほど抜いてきますねー。

 いってきまーす」


 気楽な口ぶりで馬岱はその場を後にする。態度も腰も軽いが、これで馬家の重鎮。馬騰の信頼は篤い。


「父上!あたしは?」


 真剣な面持ちの娘に内心満足げに頷く。最近緩んでいたかと思ったが杞憂のようだ。その気迫、いつでも総大将を任せられそうである。


「うむ。翠は私の傍らに。どうやら容易ではない敵のようだ」


 経験を積ませる意味もあり、普段馬騰は娘の動きを事細かに指示することはない。先陣馬超。その破格の突破力により乱れた敵陣を馬騰と馬岱が殲滅するのが常である。

 ……勿論、突破力という意味では先の戦いのように三位一体にて突撃するのが最も威力はあるのではあるが。

 ともあれ、敬愛する父の側にいられるのが嬉しいのであろう。馬超は喜色満面でいたのだが、ふ、とその顔に蔭りを。


「む、翠よ。どうした。心配事か?」


 裏表のない娘がちら、とこちらの表情を窺うにあたり馬騰は声をかける。どうした、らしくないぞと。


「う、うん。父上、あの。

 ……かず、劉備たち、どうしようかな、って。どうしたらいいかなって思って……」


 ふむ、と馬騰はどうしたものかと検討する。嬉しさと共に。どうやら娘も少しは戦場に赴くにあたって視野が広くなってきてはいるようである。そういう意味では劉備一行に感謝すべきか。

 だが、馬家軍の戦速に追随できるはずもない。ならば。


「そうだな。現在ある糧食は彼女らに任せよう。そして、それを食いつぶすまでは独自の行動を認めるとしようか」


 なに、それなりに腕は立つ。おさおさ黄巾ごときにひけはとらぬであろう。


 いわば足手まといと断じて切り捨てることを即断する。

 これにより劉家軍は望外に行動の自由を得ることになる。

 まさに水を得た魚。劉備の名が史書に現れるのはこの時以降。

 諸葛亮、鳳統という希代の頭脳と関羽、張飛という破格の武勇が世に知れ渡るのはこれからなのである。


◆◆◆


 ここは如南。最前線。そしてその政務室である。

 うんしょ、とばかりに太守の印を所定の位置にぺたり、とする袁術。それを補佐するのは雷薄と張郃の二人。

 勿論実際には多数の官僚が控えて実務に当たっているのだが、この場で袁術に直接話しかけられるほどの地位にあるのはこの二人のみである。

 袁術が目前の書類の内容をきちんと理解しているかというともちろんそんなことはない。盲判もいいとこである。とはいえ、袁家配下の官僚、そして雷薄と張?がきちんと確認しているので問題はない。ということになっている。

 本来政務よりも、もっと基礎的な勉学が妥当である時期ではあるが、その立場がそれを許さない

 いや、袁術本人が言い出したことでもあったのだ。曰く、太守となった以上はせめて自らの責任で印くらいは、と。

なかなかの重量感がある印綬――実際相当重い――を書類に押し付けるだけでも幼い身には結構重労働で、その日の政務が終わると決まってぐったりとしている。

 そしてその日決済をした案件の中から特に重要であると思われる案件について説明レクチャーが行われるのである。結構過酷ハードな毎日ではあるのだが、袁術本人は充実していると思っているようである。


「どうしたよ、不景気な顔して」


 この日は昼前にはさしあたっての政務は終わってしまい、午後は自由時間、ということになった。

 たまには骨休めもよかろうと雷薄が決めれば異を唱える者もいない。

 たまには町に繰り出して一緒に飯でもどうだと張郃を誘う。ちなみに袁術は午後全てをお昼寝に充てるとのことだ。


「いえ、大したことではないのですが」


 実に気遣いが細やかなのだ、この雷薄という男は。

 いかつい容貌と違って。


 呷った酒の影響もあったのだろう。つい、抱える懊悩を口にしてしまう。自分という欠陥品のことを。

 何をしても楽しいと感じない、生きる目的もない、と。同じく欠陥品であるはずの姉はあんなにも楽しそうに生きているのに。


「そりゃ、おめえ……」


 雷薄が言葉に詰まるのを見て若干の自嘲を込めて苦笑する。


「いや、余計なことを言ってしまったようです。忘れてください」


 ぼりぼり、と困ったように頬を掻く雷薄は不意に声を発する。


「おい、表へ出ろ」

「は?」

「表へ出ろ」

「ですが、まだ食事――」

「いいから表へ出ろ」


 店主に会計は自分につけとけと声をかけ、さっさと雷薄は歩き出す。わけも分からずに張郃が後に続く。四半刻ほど歩いて着いたのは練兵場。おもむろに雷薄が衣服を乱雑に脱ぎ捨て、上半身を晒す。

 見事に鍛えられた、実戦向きの肉体には幾つも傷跡が走っており彼が歴戦の勇士であることを窺わせる。


「どうした、お前も脱がんか」


 そう言いながらごりごり、と手にした棍で円を描く。その中心に仁王立ちし、招き入れる。


「この円から出るか、膝より上が地に着いたら負けだ」


 いいな、とばかりに身構える。流石の迫力である。ふむ、とばかりに張郃はあっさりと思考を放棄する。鍛錬と思えばどうということもない。雷薄ほどの猛者と遣り合えるというのはいい経験になるであろう。


「では、折角ですからお言葉に甘えて胸を借りるとしましょう。無論、全力でいかせてもらいますが」


 夏の日差しが二人を照らす。ニヤリ、とした雷薄が裂帛の気合いと共にぶつかってくるのをがしり、と受け止める。

 みしり、と骨が軋む音が聞こえた気がした。


◆◆◆


 ばしゃり、と頭から水が浴びせられて張郃は自らが意識を手放していたのだと知覚する。なんとも無様な有様だ。

 中天にあった日輪は地平に沈もうとし、大地を朱く染め上げている。

 ぜえぜえと酸素を取り込む張郃をニヤリと見下ろす雷薄も呼吸は荒く、見ればあちこちから出血もしているようだ。

 結局半日近く雷薄の気まぐれに付き合ったことになる。当初は戸惑ったものの、持ち前の膂力と戦闘技術を活かして雷薄を圧倒するようになるまでさほど時間はかからなかった。

 これほどまでに消耗しているのは、させられたのは、闖入者があったからだ。それも多数の、である。

 練兵場で本来の修練をしていた紀家軍の兵卒たちが二人の姿を認めて参加してきたからである。

 無論、兵卒ごときに敗れる張郃ではない。が、数が違った。一体のべ何人の相手をしたことか。千は軽く超えているだろう。さしもの張郃も、ついには意識を手放すこととなったのである。

 雷薄は、生真面目に兵卒の挑戦を受ける姿に大笑していたのではあるが。


「まあ、飲めや」


 差し出した杯を受け取り一息に干す。冷たい水。それが五臓六腑に染み渡る。

 ほう、と漏らした吐息に雷薄がそのいかつい顔を綻ばせる。


「美味いか?」

「ええ、甘露とはまさにこのことかと」


 雷薄は嬉しそうに手にした水差しから再び杯に水を注ぐ。


「かたじけない」


 礼もそこそこに張郃はまた一息に杯を干す。渇いていた肉体に水分が行き渡る感触に身を委ねる。


「よかったよ。よかったなあ」


 ばし、と雷薄は張郃の肩を叩く。訝しげな張郃が口を開く前に張郃から杯を奪い、今度は自らが杯を干す。


「ん、美味い!

 これが酒ならもっと美味かったかもしらんがそこは許せ!」


 がははと笑う巨漢に苦笑する。


「いや、練兵場でそれは流石にまずいかと」

「はっはは!どうにも生真面目だな!それがお前さんのいいとこではあるがね。

うちの若大将にも見習ってほしいところだな!」


 呵々大笑。更に言葉を続ける。


「まあ、なんだ。

 俺には難しいことはよく分からん。学もないしな。だからお前さんの悩みもよく分からん。

 いや、全く分からんというのが正直なところだ。

 実際、兵になったのも食うためだからな。他に稼ぎようもない唐変木よ。

 それが、貧農の子倅がまさか将軍様だ。落ち着かんことこの上ない。

 今日だってそうだ。書類なんぞと睨めっこしているより身体を動かしている方が性に合っているのさ」


 話がずれたな、と笑う。恥ずかしげに頭をぼり、と掻く。


「だからまあ、正直お前さんが何にそんなに悩んで一生懸命なのか分からん。

 だがな、お前さんは水が美味い、と言った。いや、実際美味そうだったぜ?」


 だったらさ、それでいいじゃねえか。雷薄は相変わらず照れたように言葉を紡ぐ。


「まあ、あれだ!暇だからそんな、余計なこと考えるんじゃねえか?今日みたいに疲れて立てないくらいになったら、水一杯で幸せになれるだろう?

 だったら、それでいいじゃねえか。なに、俺でよけりゃあいつでも付き合うぜ?」


 お前さん、とんでもなく強いしな、と呵呵大笑する雷薄に張郃は自分の口が笑みの形に歪んでいることに気づく。


「何だ、いい顔してるじゃねえか。いい顔できるじゃねえか。まあ、あれだ。生きる目的がないとか言うなら嫁でも娶れ。子を成せ」


 特に、娘はいい、とだらしなく顔を緩める。強面で鳴らす面影なぞどこにもない。

 その様子に、そう言えば、と。


「お孫さんができる、とか」


 その声に更に顔をくしゃくしゃにして雷薄は照れ、笑う。


「おお、そうだ。孫だ、孫だぞ。嫁の来手すらなかった俺がいよいよ孫だ!孫が生まれる!これほど嬉しいことは無い!」


 デレデレと、だらしないその顔に張?は思う。こういう所が上からも下からも信頼される所以なのかと。そして、自らも思いがけない言葉を口にする。


「雷薄殿、色々お気遣い感謝します。正直まだ割り切れないというのが正直なところです。が、色々とお気遣い、有難く。また、色々頼りにさせていただきたい」


 雷薄は笑みを深めて首肯する。


「なに、お前さんならば俺を軽く使いこなすほどの将帥になるだろうさ。俺が保証するともよ。

 大歓迎というやつだ」

「では、その時は精々こき使って差し上げましょう」

「楽しみにしてるぜ」


 コツン、と肩を叩いて去るその背は颯爽。

 知らず、張郃は頭を下げていた。


 いつしか日は沈み、満月のみが彼らを見守っていた。

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