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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決着の章
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蟷螂の斧と千軍万馬

「父上!右翼の黄巾、壊滅させました!」


 愛娘の力強い声に馬騰は重々しく頷く。やや遅れて明るい声が更なる吉報を。


「おじさまー、左翼黄巾、潰走させたよー。たんぽぽ頑張りましたー!」


 その声に馬騰は満足げに頷く。予想以上に早い展開である。もはや勝利は目前。後は本陣が仕上げるのみ。


「よし。蒲公英。先陣を任せる。好きにしていい。蹂躙しろ。彼奴らを生かして還すな」


 喜色満面に馬岱は黄巾に突撃していく。それを見送る馬超は抗議の声を上げる。


「父上、どうして蒲公英なんです?あたしならもっと……!」


 馬騰は苦笑する。だが致し方ない。自分もこの年頃は目の前の戦場しか目に入っていなかった。


「翠よ。戦場全体を見据えるのだ。目の前の敵に目を奪われてはいかん。確かに此度の戦場においては戦場の勝利が戦局の勝利に結びつく」


 だが、と馬騰は諌める。


「戦術的勝利では戦略的敗北を覆すことはできん。それを我らは知っているはずだ」


 かつて漢朝に反旗を翻し連戦連勝。長安に迫りつつあっても敗北は見えていた。今こうしてあるのは奇跡に近い。

 それを知っているはずなのではあるが、かえって誤った認識を植え付けてしまったのかもしれない。


「だって、父上は大将軍に向かって勇壮に立ち向かったじゃないですか!肉屋のせがれなにするものぞと!

 乾坤一擲、一撃必殺。それこそ馬家の本領でしょう?」


 馬騰は苦笑する。そうではない、そうではないのだ。だが……まだ若く潔癖な娘には理解できないのも致し方ないことであろう。

 将帥たるものは武勇のみを誇っていればいいという訳ではないのだが。

 馬騰はやや角度を変えて娘に向き合う。


「ふむ、翠よ。かの義勇軍の将と親しいようだが?」

「なななな、ち、父上、そ、そんなことありません。けして、けして職責を放り出して一刀と会ったりなんてしていません!」


 馬騰はその言に苦笑する。全く、誰とどうしているなど言っていないのに、と。だが、武を重んじる娘が気に入るとは、とおかしさを覚える。


「二郎君は気に入らなかったようだが――」


 かの北郷一刀とは親しいようだなと口にする前に馬超は反応する。


「だってあいつは軟弱じゃないですか!武門を統帥するというのに!個としても将としても貧弱、脆弱。

 かの袁家もたかが知れるというものです!」


 激したそれに馬騰は苦笑する。

 なんとも、強く意識したものかと。微笑ましくすらある。娘がこんなにも個人に毀誉褒貶、或いは好悪を明らかにすることなぞ珍しいことだ。


「はっはは!

 随分だな!だがまあ、将としては翠よ、お前の方がはるかに上だろう。一人の武人としての武。それもお前は二郎君を凌駕している。

 それは確かだ」


 その言に満足したように喜色を表す馬超に内心苦笑を深めながら馬騰は続ける。


「二郎君。

 あれは将の将たる器、というものだ。

 彼の前では翠よ。お前の武は匹夫の勇と化し、将としての才も封じられることになるだろうよ」


 馬騰は抗議の声を上げようとする娘の頭を乱暴に抱え込み、わしゃ、と撫で上げる。


「お前にもいつか分かる時が来るさ、来てもらわんと困る。

 だが、まあ」


 とりあえずは目前の敵を滅するとしようか。

 いずこからか湧き出した黄巾に目をやり、馬騰は獰猛な笑みを浮かべる。

 目の前の獲物を見逃すほど耄碌してはいない。後陣の義勇軍には待機を重ねて命じ、槍をしごく。


「ただ、駆け抜けるのみ……」


 涼州騎兵の真髄。身をもって味わう黄巾は不幸としか言いようがない。

 獰猛な笑みを浮かべ、馬騰は戦場を単騎疾走する。慌てて追随する娘すら意識からおいやり、存分に槍を振るい、蹴散らす。


「ふ、意気込みはよし……。だが所詮は雑魚か」


 その言葉通り奇襲をかけてきた黄巾を逆撃する。単騎であっても戦果は変わらない。そう思わせるほどの苛烈な攻撃を受けた黄巾は不幸であったろう。

 名将馬援の血を正しく受け継ぐ猛将を相手取るには力不足も甚だしい。


 その戦いぶりは後方に控えていた劉備軍の猛者をしても、感嘆せざるをえないほどであった。


「なんと……、無人の野を往くがごとく……。

 なるほど、鎧袖一触とはこのことか……。にしても……」


 目前の光景を目にして関羽は誰ともなく呟く。馬騰の本陣にどこからともなく襲いかかった黄巾の奇襲は実に鮮やかであり、すわ、助勢を!と身構えたものである。

 しかし、あにはからんや。馬騰は陣を整えることすらせず単騎で突撃する。した。

 その雄叫びは雷鳴がごとく戦場に響き渡り敵陣を切り裂く。槍を一度振るうたびに黄巾の兵は文字通り飛び散り、いささかの邪魔にすらならない。


「っしゃおらー!」


 傍らにはいつしか馬超が。

 馬騰に付き従い、時に離れる。これまた単騎で縦横無尽に黄巾を切り裂く。それは銀の閃きを纏い、変幻自在にして疾風怒濤。馬騰が穿った穴を面に広げ潰走を促す。


「まさに雷神の一撃か……」


 関羽は雷を纏った斧を連想する。豪なる一撃を無数の雷撃が補佐し、面した敵は残らずひれ伏す。

 いつしか彼らに涼州騎兵が追随する。それを率いるは馬岱。見事に先陣を駆ける彼らの征く道をならして行く。

 まさに三位一体。必殺であったはずの黄巾の奇襲は正面からの一撃により壊滅も間近。

 これが涼州騎兵。これが馬家の武威、その証左。呂布の武勇、張遼の神速、賈駆の鬼謀。

 それを率いる馬家の真価に関羽は感嘆し、吐息を漏らす。これが名将馬援の末、北方にて匈奴を防ぐ馬家かと。


「――くっ!」


 そして悔しさに歯噛みする。

 目前で繰り広げられる、芸術と言ってもいい騎兵による戦闘機動とそれがもたらす破壊力。それに関羽は歯噛みする。

 なんとなれば、馬家に従う劉家軍は一度たりとも黄巾と矛を合わせることは無かったのである。


「我らが武勇、如何様にもお使いくだされ!」


 そう高らかな声のもと馬家軍に合流した劉家軍ではあるが――余談ではあるが、馬家軍に合流したころから単なる義勇軍ではなく、劉家軍と史書は記している――その役目は本陣の守り。

 当主たる馬騰が陣頭にて兵を率いるのであるから本陣とはいえそれは単なる補給物資の集積場である。無論、長らく貧乏暮らしをしてきた劉家軍の苦労担当たる関羽がその重要性を分からぬはずはない。

 だが、主たる北郷一刀は黄巾を相手の華やかな武勲を前提に未来を語り、それはけして手の届かぬものではないと思われるのだ。

 とはいえ、万が一にもその物資を奪われては馬家軍の前に立つ瀬がない。

 だが、だが、である。漢朝きっての武門、忠義の誉たる馬家がいてただ飯喰らいであることなぞ関羽にとっては無念の一言である。単騎であれ、お役に立ちたいと訴えるも。


「その意気やよし!だが、私と轡を並べるには君はまだ……未熟!」


 馬騰直々に言われてしまってはどうしようもない。どうしようもないのである。おさおさ武勇では劣らないと思うのであるが、馬騰の前では劉家軍はあくまで「守るべき民」、それでしかないのだ。それを痛感する。

 公孫と袂を分かち、袁家には黙殺された。曹家には取り込まれようとし、あわや解散の危機をすら乗り切った。そして馬家軍との道程は心地よくすらあったのではあるが。


 一方馬騰にとってはやはり彼ら劉備一行は守るべき民草と変わることはない。どうやら豪傑が率いているようではあるが、それは大きな問題ではない。ないのだ。

 まだ、女子供を動員するほど漢朝の威光、武威は落ちぶれてはいない。なんとなれば馬家は、涼州騎兵は、戦うための存在。死して屍拾う者なくともそれがお役目。

 国を思い、立つ意気やよし。だが、それは職業軍人の役割である。


 困ったのは馬超である。次期馬家軍の当主として相手方の接待を仰せつかったのではある、それを受けたのではあるが。

 従姉である馬岱が残している日記には彼女の言動が嘆息交じりに記されている。


「かかかか可愛いだなんて、可愛いってそんなこと、言われたことない!」


「いや、人物という奴じゃあないか?あの劉備は」


「なに、槍を交わせばその人物が分かる。あの関羽。大した奴だ。何せあたしと互角に渡り合うんだ!

 それにその槍捌きも清冽この上ない!いいか、蒲公英も見習え!そもそも武というのはだな……」


 急速に劉家軍に耽溺していく模様が赤裸々に記されているその日記は近代にて、とある商家に残されていたものである。


 ぎり、と幾度目か関羽は悔しげに歯を噛みしめる。

 馬家の武威恐るべし。それはいい。だが、自分たちもそれに加勢できるはずだ。できるはずなのだ。

 皮肉なことに、曹家傘下にあったころに吸収されようとしていた過程において経た経験がその自信の所以だ。

 最初は兵卒として、やがては指揮官として転戦を繰り返した。それにより、兵卒に、指揮官に求められることが何かを叩きこまれた。

 思えば諸葛亮たち軍師陣についてもあの経験は大きかったであろう。

 それまで正規軍の運用なぞというものには無縁であったのだ。

 兵卒の視点、将帥の視点、軍師の視点で曹家の洗練された運用を学べたのは大きい。

 無論時期を逸せばその、大きな器に飲み込まれていたであろう。

 が、我が主は最適な時期で離脱を命じた。

 これはきっと劉家軍において必要な時期であったのだ。


 関羽はこれまでの足跡を振り返りながらそう思う。

 全く、我が主は天の時を弁えている、と。

 だからこそ、主への忠誠あるがこそ。

 ちり、と胸が痛む。痛むのだ。


 何くれとなく世話をやいてくれたあの人物。馬超。その清冽な人格は好感を覚えてしかるべき。

 ……仕える主たちが評価するのも当然だ。


「なななな、なあ、関羽、いやさ愛紗!あああああ、あの、北郷一刀って、いや、なんでもない!可愛いって言われたから気になるとかそんなことはない!

 断じてない!いや、ちょっと気になっただけだ。邪魔した!」


 決して彼女に思うところなぞない。実に気の合う人物であったのだ。自らが仕える主を評価するのも加点するところだ。

 その由来において行動の自由を奪った韓浩、程立を思えば、である。

 だが。


「はーっはっは!」


 高らかに、朗らかに。自らの正しさを疑わない笑い声が脳裏に甦る。

 真名をすら交わした彼女。趙雲。きっと自分たちと道をいずれは同じくする。主のその言葉なくしても確信するであろうほどにその魂は共鳴を覚えていた。

 人品卑しからず、その武は傑出。思いは一つ。で、あるからこそ主もその手を差し伸べたのである。


「趙雲さん、俺たちと一緒に、こないか」と。


 それに頷く彼女を関羽は確信していた。そして確信は重なる。彼女がいる劉家軍に敗北はありえないと、さえ。

 だから、彼女の答えは衝撃であった。しかも。


「お呼びじゃあ、ねえのさ」


 いっそ獰猛といっていいほどの凄まじく下卑た、獰猛な笑みを浮かべた男の腕の中で手弱女たおやめの如くその腕にすがりつく彼女を見ようとは。

 認めたくなかった。認めてはいけなかった。

 あの彼女がそれほどまでに陶酔する相手が北郷一刀以外にいるなぞ、あってはならないのだ――。


 だから、勘違いしてはいけないと関羽は思うのだ。


 かの趙子龍を片腕とする英傑。それがあの、汚濁と腐敗の根源……とまでは言えないまでも、そのただ中の袁家にあるなぞ。

 きっとすべては流言。かの「怨将軍」の逸話は捏造。そのはずである。そのはずだ。諸葛亮もそう言っていた。

 袁家の将帥である彼奴は仇敵と言っていいはずだ。そのはずだ。

 その意識に馬超のふとした一言が突き刺さる、何かが切り裂かれる。


「何で父上はあいつを……。将の将たる器だなんて言うんだ……。

 二郎なんて、そんな、そんなんじゃないよ、そんなんじゃない。なあ……」


 誰ともなく呟くその言葉に関羽は凍りつく。


「二郎が、麗羽がこの私を認めてくれたんだ。頑張らないわけにはいかないさ!」

「へえ……二郎と会って、それでもそうなのね。

 いいわ。その無垢を高く買ってあげる。

 そこに跪きなさいな。家畜でないという目覚めは私がもたらすのだから。刻みなさい。この曹孟徳をその魂に」

「はあ?二郎ってばどうなのって?そんなのボクが言えるわけないでしょう!

 いいから分不相応な思索はやめときなさい。

 惨めになるわよ、貴女」

「えー?二郎さまー?おじさまに聞いた方がいいんじゃないかなー。

 たんぽぽよくわかんなーい」


 無数の声が脳内で甦る。

 どうして敵対せねばいけないのであろう。いや、自分はあの男をどう見たのか。あの趙雲がその身を預けるほどだ。


 ずきり、とした痛みに関羽は意識を手放す。

 どうやら今日も飲み過ぎたようだ。

 ちり、と。ぞわり、と何か警戒すべしという感覚は既にほぼ麻痺しきって。


「あー、愛紗ちゃんも疲れてるんだねえ。

 もう、しょうがないなぁ……」


 身近な、そして根源的な温もりがなにもかにもを塗りつぶしていく――。

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