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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決起の章
204/350

虎は咆哮し、蝶は舞う

 時は暫し遡る。

 江南。孫家が治めるその地。そしてそこでは孫家の重臣たちが一堂に会し、喧々諤々と議論を繰り広げていた。

 そして孫家の主たる孫権は瞑目し、一言も喋らない。その右には陸遜が、左には黄蓋が控える。即ち孫家文武の要である。方や孫堅から仕える譜代。方や孫権から仕える新参。

 この二人を侍らす孫権の手腕は、分かる者には分かるし、分からない者にも磁力を帯びる。


 ……孫家を継いで日が浅いとはいえ、孫権は孫家を見事に掌握していた。これは先代である孫策はじめ、重臣たちの合意コンセンサスとして、次代の孫家は孫権が率いるという認識が共有されていたのが大きい。

 それに、孫策を暗殺したとして孫家に反抗的な豪族を処分したのも大きい。

 だが、一番大きいのは孫家を支える柱石が彼女を盛り立てていることであろう。

 陸遜は周瑜の抜けた穴を補ってあり余るほどに精力的に政務に取り組んでいたし、これまで軍部を預かっていた甘寧はもとより孫権の腹心である。

 勿論孫権の真面目な政務ぶりが臣の心を打ったのも大きいであろう。

 だが、最も影響が大きい人物を一人挙げるとしたら彼女しかいない。


 黄蓋。


 孫策の先代である孫堅の代から孫家に仕え、幾多の戦場を駆けた宿将である。

 孫策の急逝。孫尚香の帰省に伴い帰還した彼女が孫権を支持し、補佐したということはそれほどに大きな意味を持つ。

 帰還してすぐ膝を折ったその姿。その背中が全てを語っていた。


 ともあれ、万全たる体制……とは言えないながらも過不足なく孫家は孫権の下に確実に地歩を築いていた。

 そこに飛び込んできた報せ。


「袁胤。叛す」


 ……本来、袁胤の叛乱は十常侍と孫家――孫策が主導する袁家に反感を持つ勢力――が連携して袁術を確保する計画であった。

 で、あるから孫家に連携を求めて一報が入るのは至極当然のことである。


 孫策の死については諸説あるが、孫権が紀霊の指示で孫策を暗殺したという説の妥当性に疑問を投げかける史家は多い。

 何となれば孫権は長期間の人質生活。それを袁家で過ごしており、彼女と紀霊との関係が親密であったらこのような報せが孫家に、孫権の下に届くはずがないからである。

 一方この時期においては、孫権と紀霊の関係は極めて険悪であったという記録もあることから、紀霊が孫権と対立していたという考察もある。


 ともあれ、その報せを受け、袁胤の誘いを受けるかどうかで孫家の重臣たちは議論を重ねていたのである。延々と。


 趨勢は中立に傾いている。曰く。


「付き合っていられるか」


 孫権が孫家を継いで日は浅い。いくら盤石に見えてもそこかしこに綻びはある。なればこのまま足元を固めるべし。

 なに、袁胤単独で袁紹率いる袁家軍をどうこうできるはずもない。であれば此方に助力を求めてくるであろう。

 これまで散々孫家を翻弄していた袁家の双方がこちらにすり寄ってくるはずだと。

 ここは静観こそ最善。前提として袁胤の勝利の展望があるのだが。


 そして対抗するは袁術を支援すべし、という意見。

 艱難辛苦かんなんしんくを凌ぎ切ったのは袁家の……紀霊の援助によるところが大きい。

 座して忘恩の徒となるのか、と。


 前者は甘寧、後者は呂蒙がその最右翼であり、激しく言葉を交わしている。

 ……流石に積極的に袁胤を援けるべきという意見は少数である。のだが。


 だがどうやら議論も甘寧優位で推移しそうだと孫家の重鎮たちはほくそ笑む。

 孫策が植えつけてきた袁家への敵愾は、一朝一夕で晴れるものではないのだ。


 恐らくはこの議論の流れを預かり、孫権、陸遜、黄蓋の三者で方針が決められるであろう。

 行く末が見えてきたとばかりに場の雰囲気が緩み始める。


 激しく論を交わす甘寧と呂蒙。

 その議論がふと途切れた瞬間に甲高い声が響き渡る。


「ばっかじゃないの?!」


 ……孫堅の忘れ形見、孫尚香である。

 孫尚香の声に甘寧と呂蒙は声を失う。

 いや、状況が理解できていなかったという方が適切であろうか。

 その戸惑う彼女ら、そして孫家重臣に向けて彼女は放つ。無垢なる怒りを。


「孫家が、ううん、江南が飢えから救われたのは二郎のおかげでしょ!

 シャオたちが江南を御せてなかったから袁家の介入があったのはしょうがないじゃない!

 なによ!それを根に持って!

 いつまでたってもうじうじと!母様が見たらきっと呆れるわよ!

 いいわよ!あんたたちがそんなに腑抜けてるならそれでいい!

 孫家総意が不戦、中立ならそれでいいわよ!

 ……じゃあね、行くわよ!」


 颯爽とその幼い肢体を翻す。

 それに付き従うは白虎。孫家の守護獣である。孫家家中の誰より孫尚香に懐いて、猫かと思われていたそれは、ぐるる、と一声上げる。

 のそり、と立ち上がるその姿は虎。圧倒的な存在感を得て一つ伸びをする。

 そして孫尚香に付き従い、悠然と歩みを進める。


「待ちなさい!」


 ここに来て初めて孫権が口を開く。

 その声に合わせて甘寧が孫尚香を瞬時に抱え込む。


「や!邪魔しないでよ思春!放しなさい!放しなさいってば!」


 じたばたともがくも甘寧は表情一つ変えず彼女を抱え込む腕に更に力を入れる。


「シャオ、貴女が行くということは孫家の総意と見られてしまうのよ?」

「知らない!じゃあ勘当でも放逐でもしたらいいじゃない!

 シャオは自分の勝手で孫家と関係なく美羽を助けに行くの!

 それならいいでしょ?!いいんでしょ!

 行かせてよ!行くの!行くんだから!

 誰のおかげで骨肉相食むのを止められたのよ!そんなことも忘れた孫家なんて知らない!知らないんだから!

 孫家の義侠はシャオ一人で背負うんだから!

 だから美羽を助けに行くの!」


 何とも支離滅裂な言ではある。子供の癇癪かんしゃくと言ってもいい。

 だが、その無垢なる叫びは場の人の心を打った。

 しん、と場が静まりかえる。


 それを見て。


「その言やよし!孫家は袁胤の姦計を挫き、袁術殿を援護する!

 我等孫家は忘恩の徒ではない!そして見せつけろ!孫家の力を!」


 孫権は言い放ち、すらり、と剣を抜き放つ。

 それこそは南海覇王。

 孫家の当主たる証である。それを目前の卓に叩きつけるのだ。

 ごう、と響きがとどろく。それは轟音。卓は真っ二つに割れる。


「孫家当主たるこの孫権が命じる!異を唱える者は進み出よ!このように真っ二つにしてくれる!」


 一瞬のうちに纏う気迫。

 孫尚香を押さえていた甘寧が真っ先に跪き、応える。是、と。

 黄蓋が、陸遜が跪く。それを受け、場にいた皆が跪く。呆然とした孫尚香を残して。

 その彼女に孫権は告げる。


「孫尚香!軍を率いよ!如南に赴け!副将は甘寧!補佐は陸遜!

 兵は三千!江南の虎が健在であることを示せ!」


◆◆◆


 虎が咆哮する。孫家の守護獣たる白い虎が咆哮する。

 それは圧倒的な死の予感。生き物の格という絶対的な格差を本能が察知し、委縮し、自失する。

 大地すら揺るがすようなその咆哮。

 びり、と空気は震え、袁胤配下の兵たちは恐慌に陥る。本能的な恐怖に自失し、或いは腰を抜かす。

 彼らの本能は正しい。声の主は圧倒的な存在感で死をばら撒く災厄であるのだから。


「そこぉ!」


 孫尚香の声に応えて白虎は身を躍らせる。密集した守備陣形など紙切れに等しい。

 易々と切り裂き、鮮血を、死を振りまく。


「まだ、抵抗するのなら!」


 自在に白虎を操り、蹂躙する。指揮官先頭などという生易しいものではない。

 単騎で敵陣を切り裂いているのだ。


 甘寧はその稲妻のような突撃に必死に追いすがり、兵を指揮する。

 付き従う兵たちは孫家最精鋭。孫尚香の無謀とも言える単騎特攻、それに追随する甘寧の指揮に見事に応えて槍を振るう。


「突撃!」


 裂帛の気合いで幾度目か分からぬ指示に雄叫びをあげながら吶喊する。槍衾が孫尚香の開けた綻びを面で制圧していく。


 甘寧は背筋に冷たいものを感じながらも必死に孫尚香の突撃に従い、敵陣を蹂躙する。

 自由奔放、天衣無縫とはこのことか。


 理にかなってなどいない。

 だがだが、敵陣に恐ろしく甚大な被害を与えている。

 本能のまま駆ける三の姫。その向かう先は敵の陣形を維持するために最重要な、言わば扇の要。

 的確ピンポイントにそこを衝き、指揮系統の混乱を誘発させ、殲滅する。


 先代孫家当主。戦術の天才。

 孫策の用兵そのものである。


 本能の、勘の赴くままに敵陣を切り裂き、蹂躙する。

 流石に配下の兵を自在に操る孫策には及ばない。むしろ率いるという意識すらないであろう。

 だがそれは自分が補えばいいことだ。いや、自分が全力を振り絞ってようやく付いて行けるほど。


 ……これが本当に初陣か、と甘寧は内心唸る。


 あくまでお飾りの大将。実務は陸遜、実戦は自分が担うということだと思っていた。いや、それが当然であろう。

 だが、接敵するや否や矢の如く飛び出す白い獣。

 制止する暇もなく、追随するがやっとな有様。


 散発的な反撃に構わず、白い獣の動きに合わせることに全力を尽くす。それが皮肉にも戦果を挙げる一番の方策であるからに。

 士気の低落著しい敵陣からそれでも必死な反撃が来る。

 いい狙いだ。あの白い獣は人の身で止められるものではない。自分を矢嵐で狙うのは悪くない。

 だが、今の彼女にその矢は止まったように見える。


 ちりん。


 鈴の音すら置き去りにして甘寧は戦場を駆ける。吠える、咆哮する。

 射手の群れに向かい身を躍らせる。

 驚愕、恐怖に染まる射手達ににやり、と凄絶な笑みを与える。


「当たらなければ、どうということはない!」


 この戦場にて、彼女は毛ほどの傷すら負うことはなかった。


◆◆◆


 戦況は動く。

 拮抗、膠着から大きく動く。孫家の介入により、一気に傾く。

 兵数では未だ袁胤配下の方が多い。だが、いまや流れは兵数の多寡など関係ない。

 趙雲はにやり、と笑いながらもちり、と悔しさにその肺腑を焼く。

 紀家軍最精鋭の騎兵、そして全騎馬を動員してなお、戦局を傾けることはできなかったのだ。


「だが、このまま終われはしないともよ……。

 むしろこれこそ好機、というやつだ」


 既に配下の騎兵は疲弊しつくしている。

 人馬共に強行軍の後の激戦である。しかも何倍もの敵兵に薄氷を踏む様な戦い。

 心身ともに消耗しつくし尚、敵陣を削る彼らには大いに讃辞が贈られるべきであろう。が。

 戦とは結果が全て。そして趙雲の率いる騎兵は戦場を膠着に落とし込むことすらできなかったのだ。


 今や思いのままに操れるのはわが身と操る騎馬のみ。


 ならば。


「烈風よ。もう、一働きを、頼む」


 諾、とばかりに一声いななくその声の響き。趙雲は満足気に笑う。

 そしてその声、高らかに。


「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!

 怨将軍の一の家来、趙子龍の槍の冴え、身をって味わうがよい!」


 名乗りの後、疾風。


 烈風は最高速度で敵本陣に身を躍らせる。馬上の趙雲に、もはや兵の指揮など眼中になく、ただ突破を。

 陣構えの間隙を縫うように走り、本陣に迫る。その動きに敵ばかりか味方も対応できず、ただ見守るのみ。

 烈風はここにきて初めてその脚力の本領を発揮し、影すら踏ませない。汗血馬の面目躍如である。


「袁胤殿!お命、頂戴!」


 ついに本陣の奥の奥。袁胤に単騎で迫る。その異常事態に誰も彼もが見送ることしかできない。


 愛槍、龍牙を勢いそのままに振り下ろす。必殺の一撃。


「甘いわ!」


 ガン!と鈍い音が響く。趙雲の必殺の一撃を袁胤が手にした軍配で弾いた音である。

 袁胤からすれば、甘いというよりは粗いと評すべき一撃。だがそれは鋭く、豪であり、快ですらあった。


「ちいっ!」


 舌打ちしながら馬首を巡らす趙雲の目には、袁胤を守護せんとする兵達の姿が映る。このまま再突撃しても阻まれてしまう!


「ええい!ままよ!」


 馬首を巡らす鞍上より身を翻し、跳躍する。


 渾身の一投。


「はあああああああ!

 貫け!龍牙!」


 その、乾坤一擲。それは汚泥の戦場において、ありえないほど美しく。


「なんと、みやびな……」


 余裕をもって、剛剣の一撃。それにて迎撃するはずの袁胤であった。

 だが、その一投は貫く。貫いた。胸を、野望を、想いを。


「麻呂としたことが、戦いの中で我を忘れるとはの……!

 超子龍。

 蝶のように舞い、蜂のように刺すか。

 まっこと、みごと、見事よのう……」


 胸を貫く龍牙を目に、満足げに笑む。

 彼の最期の言葉、賞賛。それは複数の近侍により語られており。


 かくして、勝敗は決したのである。

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