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凡人と、商売と

商売とは血の流れない戦争である

「いや、お初にお目にかかります」


 目の前で自己紹介をするのは一見どこにでもいそうなおっさんだ。営業スマイルを顔に貼り付け、こちらをつぶさに観察しているのを隠そうともしない。名前?黄蓋みたいな美女ならともかく、所詮は木端商人。覚える気にもならんしそのつもりもない。


「というわけでしてな、此度の祭のために買い集められた物資を引き取る準備があります。

 いや、物資を集められたがそれほど使われてはいないご様子で・・・。蔵に納めておいても腐るだけでございましょう?

 どうでしょう、お買い求めになられた価格に多少色をつけてお引取りいたしますとも」

「んー、それだとそっちに利はないだろ」

「いえいえ。これを機に私どもとお付き合いいただければ、と思いまして・・・」


 にこり、と笑いやがる。まあ、なんて誠実そうに見える笑顔!ふむ、それなりにやり手のようだな。互いに益があるように持ちかけてくる。

 ・・・だが、断る。


「あー、残念ながら物資は江南の商会がお買い求め成約済だ。遅かったねー」

「な、なんですと?そんな馬鹿な!荒れ果てた江南にそんな資金があるはずがない!

 いかに孫家に勢いあろうともそこまでの資金力があるわけがない!」

「ほう、物知りだなー」

「と、当然ですな。情報こそ我らが扱う最上の商品。

 いかがです?私どもとお付き合い頂ければ上質の情報もお持ちいたしますが」


 なるほどなるほど。伊達に袁家領内で好き勝手やってくれただけのことはある。多少の劣勢は即座にひっくり返してくるか。見事な我田引水。

 だが無意味だ。


「は、熨斗つけて返品してやんよ。で、三倍だ」

「は?なんですと?」

「耳が悪いならそろそろ隠居した方がいいかもな。仕入れ価格の三倍だと言った」


 表情を変えずに俺は告げる。ここにきて流石におっさんが表情を変える。


「それは流石に・・・」

「うっせえよ、お前んとこが困ってんのは知ってんだよ」


 元々こいつの商会は中華の穀倉たる袁家領内で食料を買い付け、洛陽へと卸すのが商いだ。それだけでもそれなりの利益は出せるんだが、途中でオイタをしやがった。手にした食料を売り浴びせる。そしてタダ同然になった食料を買い集めれば自然暴利を貪れるってことだ。

 恐らく、他の地域でも同様のことをしてきたのだろう。そのオペレーションはまあ、見事と言ってよかった。だが今回は相手が悪かった。

 即ち、張紘。

 恐らくこの化物ぞろいの人物が乱舞する三国時代においても五指に入るであろう政治的手腕を持つ俊英。その張紘が袁家の商圏に君臨しているのだ。時が時ならば一国をも背負えるその破格の傑物がそれを見逃すはずがない。そして張紘の背後には俺がいる。基本的に張紘が挙げてくる稟議には無条件でOKの三連呼である。

 まあ、それはいい。

 つまり、目の前のおっさんは、本来の職責である食料のノルマを調達する目論みが外れたのだ。同情するつもりはない。なぜならば。


「いいか、お前は袁家に喧嘩を売ったんだよ。北方にて匈奴の脅威から漢朝を守護し、四世三公を輩出した名門中の名門たる袁家に、な。

 貴様ごとき木端商人の目論みを読めないとでも思ったか?ほどほどならば見逃してやったものを・・・。 

 よくも舐めてくれたものだ、な」


 顔色を白くさせながらも表情を崩さないこいつはやはり相当なものだろう。ならば倍プッシュだ。


「だからてめーは潰す。とことん潰す。袁家に手を出したらどうなるか思い知らせてやる。

 死ね。生まれてきたことを後悔しながら死ね。

 築き上げたものが崩れるのを見ながら死ね。

 愛するものから恨まれながら死ね。

 この世のあらゆる苦痛を受けながら死ね」


 す、と手を上げた俺にさしもの彼奴の表情が凍りつく。


「そ、そんな無体な!」

「そうそう、喋れるのも今のうちだからなぁ。精々歌っとけ」

「わ、我が商会を潰したら、いかに袁家とは言えども無事とは思わないことですな!」

「!」


 そうだ、それだ。その言葉が聞きたかった。実際こいつはどうでもいい。問題はこいつの背後で糸を引いてる奴だったのだ。それが誰か。張紘が気にしていたのもそれだ。ちょっとした小遣い稼ぎならばともかく、本格的に袁家領内の経済活動に楔を打ち込んでくるこの打ち筋。袁家に喧嘩を売るその行為。ひも付きでなければできるものかよ!


 俺の表情が変わったのをどう解釈したのか。やや余裕を取り戻したのかおっさんが言葉を紡ぐ。


「わ、私どももいささか強引な商売をしてしまいましたからな。

 いかがでしょう。五割り増しで引き取りましょう」

「ふん。倍、だな」

「――承りました。これを機にご贔屓にお願いします」


 そう言うと慌てて席を立つ。失言に気がついているのかいないのか。ともかくこれ以上情報は引き出せないようだ。まあいい。背後関係を洗えば見えてくるものもあるだろう。


「おい、客人のお帰りだ」


 俺はそう言って手を叩く。その合図に、完全武装した兵士――梁剛隊の皆さんである――が百人ほど出てくる。あ、姐さん、別に色っぽいポージングとかいらないですから。その点雷薄の威圧スキルは流石の一言である。巨体に傷跡だらけのいかつい顔。効果は抜群である。

 ターゲットの顔が更に色を失い、引き攣るのもいたしかたなし。いや、これでビビッてくれんかったら困るわ。だからニヤリ、と笑いながら念を押す。


「宿までお送りしろ。丁重にな。くれぐれも」


 脅して脅しすぎるということはない。こういうのは舐められたら終わりなのだ。ここまでやれば袁家でオイタをする商会も減るだろう。室内に静寂が戻る。いや、疲れたわ。圧迫面接、上手にできたかな?取りあえず、俺は茶を所望した。いや、俺も緊張してたし喉が渇いたのよ・・・。

 なお、陳蘭が淹れてくれたお茶は不味くはないが美味くもない微妙な味であった。




「やほー。孫家への援助物資の目録の素案持ってきたよー。目を通しといてねー」

「うむ、ご苦労」


 頷いて分厚い書類を受け取る。持ってきたのは魯粛だ。うむ。これまた呉のビッグネームのお越しである。おこしやす。

 さて、書類を受け取った俺をニヤニヤしながら窺う魯粛。彼女――うん、またしても女性なんだ。もう慣れた――がここにいるのには勿論理由がある。俺が立ち上げた商会――張紘にぶんなげた奴である――の幹部として張紘が推挙してきたのである。知己を頼ったということで当然江南出身の人材になったのだが、驚くべきはそのネームバリュー(俺調べ)である。

 いや、張紘が推挙してくるんだから否応なく厚遇するつもりだったんだけどね?三国志のゲームだけでもやったことのある人ならばどれだけの陣容かというのが分かってもらえると思う。目の前の魯粛を筆頭に顧雍、虞翻、秦松など・・・。流石張紘の人脈は格が違った。

 張紘半端ないって!将来呉の柱石になる人材めっちゃ推挙してくるもん・・・。そんなんできひんやん普通・・・。

 まあ、考えてみれば張紘が洛陽に行ってたのも留学っちゅうことだから、かなーり毛並みはいいはずなのよな。そう思えば納得すると共に商業という賤業に身を落とさざるをえない江南の惨状が察せられる。そりゃ孫家もヘルプ出すわ。孫堅死んでるならなおさらな!つか、まだしも漢朝に忠誠心とかあった孫堅亡き後の孫家って・・・。

 戦闘民族まったなしである。穏健派で先の見える孫権でも絶好調の曹操に喧嘩売るとかさあ。俺なら間違いなくスピニング土下座して隷属するところである。イケイケの孫策が当主とか戦慄で青褪める俺を誰が責められようか。いやそんな奴ぁいねえ(反語的)!

 ここまで一秒で脳内会議をしていたのだが、魯粛の視線が俺に仕事をしろと強いてくる。くそう、見た目小学生のつるぺたのくせにぃ。うむ。江南の食糧不足は深刻なようだな。などと思っていたらどことなく誇らしげに胸を張ってきた。うむ。壊滅的にぺったんこ。えぐれとる。


「分かってないねー。江南では貧乳は希少価値なんだよ?右も左もばいんばいーんだよ?」

「なんだその楽園!」


 そういや面通しした顧雍もかなーりの実力を秘めていたなあ。むむむ、江南侮れない。


「まー、江南が食糧不足でえらいことになってるのは確かだけどねー。私財での底支えなんてあっという間に尽きちゃったし」


 そりゃあなあ。多少の蓄えあってもなあ。個人資産と国家予算を考えてみよう。個人資産が例え10億円あったからと言って、東京都の予算ですら6時間も支えられないのと同様。そして金がないのは首がないのと一緒である。


「だからさ。張紘が声をかけてくれて嬉しかったんだよね。何をしても無力で無意味と等価値でさ。とりあえずは食べる為に就職したけどさ。案外悪くないね、商ってのもさ。そう思ってたんだよ。

そしたら今回の件でしょ?孫家を通じて江南に援助してくれるって言うじゃない。そりゃ、乗るしかないでしょ」


 いえーいとばかりに飛び跳ねる魯粛に苦笑してしまう。腰まである黒髪を躍らせてそりゃあ、ものすごい躍動感である。


「で、母流龍九ボルタック商会ってなんなの?」


 気を緩めたらこれである。ああ、俺が張紘にぶん投げた商会の名前のことだ。金儲けも勿論重要なタスクであるがそれだけではない。


「今はまだ及ばんが、龍を治めるまでいかなくとも、宥めることができればと思ってるよ」


 へえ、と声を漏らして魯粛は頷く。


「つまり、治水ってことだね?なるほど、古来より河川の荒ぶる姿は龍に例えられていたからね。なるほどなるほど。九という数字、母という象徴。いや、本気で立ち向かうんだ。龍に」


 言えない。某ぼったくりなゲームのアレな商会と龍をてきとーに結びつけたとか言えない。ついでに阿蘇阿蘇と並んで、俺以外にこの世界に来ている奴がいたら反応するだろうと思ったのだが今のところ反応ないしなー。


「よせよ、恥ずかしいじゃないかね」

「いやいやー、いずれは黄龍すら治めてくれると信じとくからね。

 うん、だから私たちは全力で頑張るよ?」


 にまり、と無茶ぶりしてくる。黄河の治水とか二千年くらいかかるんじゃないか?歴史的に考えて・・・。いや、精一杯やるけどさ・・・。


「孫家の首に鈴をつける。そのための援助でしょ?いけるいけるへーきへーき。むしろ漲ってきてるよ?」

「なんでさ」


 俺の問いに魯粛は苦笑する。


「そりゃそうだよ。まさか江南の復興の手助けができるとは思ってなかったからね。私らから見ても孫家はちょっと危なっかしいからね。首につける鈴となるならば嬉しい限りなんだ」


 どこまで本気だか分からない。それでも張紘がここに送ってくるならばきっとそういうことなんだろう。あいつが裏切るとは思わない。付き合いはそんなに長くないが、親友だと思っている。一方的に、かもしれないけど。

 まあいい、やることはやったのだ。そう、今更ながら現代知識である。ククク、ここには公正取引委員会とかいう組織はないのだ。カルテル、トラスト、コンツェルン・・・。売り浴びせに買占め・・・。圧倒的な権威と資本力を背にした優越的地位の乱用美味しいです。そう、容赦はしない。徹底的に絶対儲けるマンである。嬉々としてその手法を繰り出す魯粛たちを笑顔で見守る俺であったのだ。

 なんでって?いや、袁家領内にちょっかい出してた商人を泳がせてたら麹義のねーちゃんに甘いってものすごーく絞られたからさ・・・(物理と精神両方)。

 彼奴をじわじわと嬲り殺しにするという申し開きでようやく開放されたのだ。そしてその結果として、母流龍九商会の経済的影響力は袁家領内でとんでもないことになっている。おかしいなあ。ごくごく真面目な製造業を営んで民政の足しにするだけのつもりだったのに。

 現在袁家領内はものっそい好景気に沸いている。まずもって俺がでっちあげた農徳新書。ごくごく普通の農業振興策と新規農具コンセプトシートの走り書きだったそれは今や農業指南書となっているのだ。そして毎年各地からの報告により改訂に次ぐ改訂。正直著者が俺とは言えないような代物になっているのだが・・・。

 閑話休題。

 農業の生産効率が上がり、農村の二男三男なんかが都市部に流入。あと流民とかも。その労働力を活かして産業革命待ったなしである。工場制手工業と分業による熟練工の促成栽培的ななんやかや。以下略。興味のある方は西ドイツが冷戦時代にやってたことをご参考ください。

 まあ、そんなわけで孫家への援助くらいどうってことないのである。むしろ資金物資で孫家に鈴を付けられるのならば安いものだ。いや、あいつらガチで戦闘民族だからな。


「なーにか一人で深刻ぶってるとこ悪いけどさ。こっちはやる気満々なんだからね。もうちょっと景気よくいこうよ!」

「あー。まあ、そうだな。そういう深刻ぶるのは張紘の役割だったわ。よし、魯粛よ!母流龍九商会の全力で江南を富ませてこい!孫家は適当にこう、ふわっとうまいこと丸め込む方向で!」

「お、いいねいいね。そうでなくっちゃ!いっちょぶわーっといっちゃう?」

「いっちゃおうよ!」


 なんか、そういうことになった。いや、いいんだけどさ。

独占禁止法とか公正取引委員会という概念の存在しない世界。

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