朱に嗤い馬が嘶く、其は戦場なりや
禁軍。
禁裏を、玉体を守護する漢朝の最精鋭。
無論儀仗兵を兼ねてもいるため、「張子の虎」と揶揄する者もいる。
だが、この人物が指揮する軍に限ってはそれはない。
お仕着せで光輝を振りまく代わりに、血染めの衣で死を振りまく。
朱儁。
何進が禁軍最精鋭二万を直接率いさせた将軍である。
恐らく禁軍で血なまぐさい戦場を駆けたことのある指揮官は彼くらいのものであろう。
涼州大乱の折には馬騰率いる涼州連合叛乱軍と矛を交えてもいる。
かの涼州騎兵を向こうにして互角に渡り合ったその手腕は、内外から極めて高く評価されている。
……いささか以上に、人格に疑問符が付かなければ禁軍総指揮は皇甫嵩ではなく彼であったかもしれない。
「さて、どう見る、朱儁殿」
そう問いかけるは中華屈指の英傑。かつて漢朝に反旗を翻してなお忠義の士と称される益荒男。
かの名将馬援を祖に持ち、涼州にて漢朝を匈奴の脅威より守護する馬騰その人である。
この、因縁のある二人を同じ戦線にて合力させたというところに皇甫嵩の非凡さはあるのかもしれない。
「ああ、あれだな。羊が何をとち狂ったか狼だと思っているらしい。虎狼の皮の代わりに黄色い布を引っ被って、滑稽なことだ。
あれらには教育が必要だろう。天に唾吐く行為がどれだけのことか、きっちり教育してやらなければなるまいよ」
獰猛な笑みは、もたらされるであろう惨劇に既に酔っているのかもしれない。
馬騰はいささかも表情を変えず、問う。
「では、右翼は我らが。左翼は貴殿ということでよろしいか」
「異存なぞない。では、存分に殺すとしよう。愚民どもに分際を教育してやろうとも」
数刻後、六万に膨れ上がった黄巾は単純に官軍に突撃し、左右に挟まれ、壊滅する。
二万の禁軍と一万の馬家軍に文字通り蹂躙される。
合流して連携なぞせず、二つの塊として、獣として好き勝手に黄巾賊を喰らう、引き裂く。
数を頼みに向かい合った黄巾賊は控え目に言って不幸であったろう。漢朝の抱える最上の部類の戦力とぶつかることになったのであるから。
黄巾賊はやがて蜘蛛の子を散らすように。四方八方に我先にと敗走する。
その統率なぞ取れていない動きを収斂させて叩き潰す。その手腕こそ更に評価されるべきであろう。
この日、五十万と号する黄巾賊はその一割を喪うことになるのであるから。
「しかしなんと他愛のない……。鎧袖一触とはこのことか」
娘と姪に残敵掃討を命じ、散る賊の退路を断ち、賊の殲滅を命じる。
同じく部下に任せた朱儁が近づき、笑う。
「いや、なんとも歯ごたえのないことだ。期待外れもいいところだとも。教育する暇なぞなく手折られるとはな。
まったくもって、なんとも嘆かわしいというものだ。久々に腕を振るえるかと思えばこれだぞ。このありさまだぞ。まったく……。
これはやはり、あの時。そう、あの時に一心不乱に戦の空気に酔いきれなかったのは痛恨と言えるかもしれないな。
どうかな、今更であるが、煮えたぎる煉獄たる戦場に身を置くのはどうかね。
あの時の続きを、ひとつ。
どうだね」
にんまりと、ニタニタと笑う朱儁の言に馬騰はいささかも表情を揺るがせはしない。
彼奴らは叛徒。容赦する理由はどこにもない。なれば一兵であっても禍根は残さない。
数は力となるのだから。
そして応える。この上なく戦闘を、戦争を愛する男に答える。
「笑止千万とはこのことよ。この槍は漢朝に捧げたもの。私闘なぞ、論外である。
漢朝の臣同士、槍を合わせて如何とする。全くもって語るに値せん」
何とも石頭よ、と苦笑する朱儁に馬騰は重ねて言う。
「そう、この身は漢朝のために。
であるから、な。
模擬戦、手合せ大いに結構。
是非に願いたいものだな。禁軍最精鋭との手合せとなれば、あれらはより大きく羽ばたくであろう。
千里どころか、万里を駆けるであろうさ」
誇らしそうに見るその先には、馬超と馬岱。馬家の次代を担う将才だ。
黄巾の残党を追撃し、誅滅しきった手腕に馬騰は内心で賞賛を。
自分が同じ年頃であれほどの用兵ができていたろうか、いや、ないと。
「父上!只今帰参いたしました!黄巾賊、誅滅して参りました!」
「お姉さま、見え見えの詐術に引っ掛かるとこだったけどねー」
ごちん。
「こら!父上の前だぞ、余計なことを言うな!」
「えー、だって事実でしょー。たんぽぽ叔父様には嘘つけなーい」
きゃいのきゃいのと姦しく囀る二人に口元を緩めた馬騰は。
「傾注!」
びしり、と数瞬前まで戯れていた二人が背筋を伸ばす。
「武勲、大いに誇るべし。兵馬を休ませ次戦に備えよ。
そして。そうだな。
……二人とも、よくやった」
馬騰の言葉に表情を輝かせて一礼。去る少女二人を見て朱儁は笑う。
「なんだ、貴様も存外に身内には甘いのだな」
にやり、と応える馬騰は獰猛に笑う。
「見れば分かろう。あれらは、化けるぞ。
この身なぞ問題とせぬくらいの逸材たちだ。
鷹、というのは生まれるものだな」
朱儁は三日月の形に口を歪めて問う。
「なれば、禁軍に預けてみるか?きっちりと鍛えてみせるがね」
「ご配慮痛み入るな。だが、私の目が黒いうちはありえんよ。
まあ、言ってみれば、こうだな。『おとといきやがれ』というやつだ。
貴様に大事な娘たちを預けられるものか」
「結構、それで結構。結構だともよ
貴殿のその覚悟、実にいいものだとも」
ニヤリ、と笑い右手を握り、拳を突き出す。
それにコツ、と拳を合わせ、馬騰は愛馬に跨る。
なにせ、まだまだ黄巾賊はあちこちにいるのである。
なにせ、この程度。食い足りないのである。
「さて、久々に二郎君と会うのもよかろうて」
豪放磊落。笑う馬騰の視線は既に黄巾賊なぞ眼中にない。
付き従う馬超、馬岱は気炎万丈。敬愛する馬騰の指揮下で槍を振るうなぞいつぶりか。
きっと今の彼女らの前に立つということはとんでもない貧乏くじであったであろう。