表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決起の章
195/350

哭く虎は地を。笑う虎は天へと駆ける

 日輪はその姿を西の空に落とし、薄闇が庭園に漂う。

 逢魔が刻。彼岸と此岸が交わる時。

 政務を終えた――とっくに周瑜に全て押し付けた――孫策は東屋でぐび、と盃を呷る。

 冷えた酒精が身体の昂ぶりを冷やし、やがて更に昂ぶらせる。


「ありゃ、もうないか」


 酒壺から酒器に注ごうとして、既に飲み乾していたことに気づき、苦笑する。

 どうしようか。まだまだ飲み足りない。でも新たな酒壺を持ってくるのもめんどくさい。

 それに、愛しい愛しい恋人。周瑜からも飲み過ぎだと注意されていた、か。


「えい」


 可愛らしい声と裏腹に、投げられた酒器は豪快な放物線を描き、飛んでいく。


「ここではない、どこかへ、ね」


 けらけらと一人笑う。

 そこに響くのは。しゃり、と下草を踏みしめる足音。


「……何をされてるのですか」


 呆れたような声色は彼女の大事な大事な妹。孫家の次代を担う孫権その人である。

 長らく袁家に人質として差し出されていたが、現在一時帰省をしている。


「やあね、冥琳みたいな顔して。ちょっと呑み過ぎたかなーと思って禁酒を志したのよ。

 でも、禁酒は明日からにするとするわ。どうせ呑んでたし、可愛い妹のお酌で呑めるなんて、姉冥利だもの」


 孫権が持つのは酒壺と酒杯を二つ。


「いいですけど、ほどほどにしないと。

 ……まさか日が落ちる前から呑んでるとは思わないです、と言わないといけないくらい。

 本当に、よくないですよ。

 どっかの誰かとは違うでしょうに」


 昼間に酒精と親しむ、それは実にあの朴念仁と通じるところがありそうだ。と益体もないことをふと思い、かき消すように酒器に酒を注ぐ。


「あら、美味しい。うん、美味しいわねこれ」


 ぐび、と一気に飲み干す孫策。


「母流龍九商会から分けてもらいました。何でも、新しい製法で作った酒精だそうです。

 火酒、って言うのだそうです」

「へーそうなんだ。蓮華。

 おかわり!」


 はいはい、と酒器に注いでいく。


「うん、この一杯のために生きてるわねー」

「もう、姉さまは呑み過ぎです」


 呆れた妹の声に孫策はけらけらと笑う。


「でもね、ほんと。蓮華とこうやって盃を交わすなんて、思ってもみなかったわよ。

 ……まあ、お酒どころじゃなかったしね。昔は」


 実際、困窮していたのだ。食うや食わずであったのだ。

 なんとか、妹たちには満足な食事を充てられていたけれども。


 母で主君たる孫堅が身罷ってから、いや、その前から。江南の地は困窮にあえいでいたのだ。

 文字通り、骨肉相食む地獄絵図すら珍しくなく。


 頭を振り、孫策は雑念を追いやる。

 全ては過ぎたことだ。

 そして、静かに、問う。


「で、私に何か用?」


 手元の盃に入った酒精を見つめて孫権は応える。


「……どうしてそう思われるのです?」

「んー。

 勘、かな?」


 にこり、と笑う姉に孫権は涙ぐむ。

 全く根拠のない、「勘」というそれこそが孫家の強み。孫家の不確定要素。

 孫家の戦略方針に優越するほどに権威がある。

 ……根拠がないのに的確であるからタチが悪いのだ。


「では、単刀直入にいきます。

 袁家とことを構えるのを止めてほしいのです」


 孫権は渾身の力でもって姉に訴える。気迫は以前の彼女とは比べ物にならない。

 そして孫策は、応える。


「んー。ごめん、それ、無理かな」


 けらけらと笑い、手をひらひらさせて応える。

 孫権の言を容れるつもりは全くないのだ、と示す。


「なぜですか!袁家と争っても益はないでしょう!」

「んー、益とかじゃないのよねえ。言ってみれば、私の在り方、かな?

 性に合わないのよね、下風に立ってるままって。

 それじゃいつまでたっても袁家の使い走りじゃない?」


 可愛く小首を傾げる孫策。

 孫権は激昂する。


「だからと言って!なぜ平地に波乱を起こすようなことをするのです!」

「やーねー、蓮華。乱なら起きてるじゃない。それも中華全土に。

 だったら乗るしかないじゃない、この大きな流れに!」


 満面の笑みで孫策は訴える。

 勝算だって十分あるのだ。あるのだ。

 覇気すら纏う孫策。孫権は双眸からこぼれるものすら自覚せず、尚も言い募る。


「母上の願いは、江南の平穏だったではないですか!それを!なんで!」


 孫策は苦笑する。以前から思ってはいたが、つくづく姉妹でその気性は対照的だと。


「母様の願いはそのままに。孫家の威光は高める。

 ほら、なにもおかしくないわ」

「それは詭弁でしょう。詭弁以下でしょう!

 だって。だって江南の平穏は袁家の援助によるものでしょう!

 忘恩の徒たる孫家に誰が信を置きましょうか!」

「やあねえ。借りなんて踏み倒したもの勝ちよ?それにもともと孫家に信なんてないもの。

 ほら、失うものなんてなにもないわよ?」


 けらけらと笑う姉が孫権には理解できない。


「いいじゃないですか。江南で平和に、みんな仲よく暮らしましょうよ……」


 嗚咽を押さえて絞り出す孫権に孫策は明るく応える。


「さっきも言ったけど、それは無理な相談ね。

 うん。私はもう止まらない。止まれない。だから、ね?」


 これでいいのよ。


 にこり、と笑う孫策。

 こぽ、とその口唇からは紅い液体が溢れる。


「今なら!今なら間に合います!ですから!考え直してください!」


 悲痛な孫権の叫びを受けてなお孫策は泰然として。


「無理ね。もう私はこの胸の高まりを抑えられない。抑えるつもりだってないもの。

 だから、よかったと思うわ。私を止めてくれたのが、蓮華だってことにね」

「姉さま。姉さま……!まだ!間に合います!」


 くすくす、と可笑しげに、苦しげに孫策は笑う。


「もう、いつまでたっても甘えんぼさんなんだから。ね、蓮華。貴女がいるからこそ私は好き勝手できたのよ?

 私の旅路はここでおしまい。

 心残りがないわけじゃないわ。でも、私なりに遣り切ったわ。

 だからね、後は任せた、わ」


 ごぶ、と紅い塊を吐き出しながらも笑う。その笑みは慈母のように。

 その表情を見て孫権はぎり、と食いしばる。覚悟はとうに決めていたはずなのに、と心を奮い立たせる。

 ぎゅ、と姉の身体を抱きしめ、振り絞るその声は悲鳴に等しい。


「誰かある!姉さまが!誰かある!早く!誰か!薬師を!医師を!」


 そう。姉と同じく、自分も行く道を定めたのだ。

 でも、今くらいは、泣いてもいいかな?


 ねえ、と問いかける相手は、まぶたに浮かぶ紀家当主であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ