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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決起の章
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庭師

 黙々と筆を滑らし、積み重なる書類を決裁していく何進。

 煌々と照らされた室内は夜半を過ぎたにも関わらずに熱気に満ちている。

 武官文官が慌ただしく出入りし、喧噪一歩手前である。

 華雄は何進の背後に仁王立ち。揺るぎなく四方に目を、気を配る。

 常ならばこのような時刻まで何進が執務を続けることなどない。それなりに優秀な官僚団にある程度は任せるのだ。

 が、彼を日ごろ支える王允や蔡邑といった有力な文官はその姿を洛陽から消している。

 官軍の監査官として派遣されているのだ。何進自ら実務に乗り出さざるをえないほどに、その体制は乱れている。切迫している。

 いや、その身一つで政権を破綻させずに運営している何進を誉めるべきであろうか。


「フン、今日はこんなもんか」


 疲労の色を欠片も見せずに何進はその手を止める。

 残務を配下の官僚に任せ、何進は悠然と歩みを始める。

 その背に従い、周囲に油断なく注意を払いながら華雄は問う。


「自ら、ご出馬されると思っていたが」


 かつて起こった涼州の大乱。

 その際には自ら兵を率いて馬騰と相対したのだ、この男は。

 皇甫嵩、朱儁と言った錚々たる面子を率い、あっさりと乱を治めた。

 てっきり今回の乱についても自ら動くと思っていたのだが。


「……馬騰の時はあいつを討てば済むと分かっていたからな。

 今回は賊の根拠地すらまだ分からん。無駄足踏んでる暇はねえのさ」


 洛陽を空けるわけにはいかん、と言う何進の表情は険しい。


 今上帝、不予。


「泣きっ面に蜂とはこのことさ」


 何進が珍しく愚痴るほどの凶事。

 文字通り漢朝を揺るがす一大事である。



 元々不摂生な生活を送っていた今上帝。それほど命を永らえるとは何進でさえも思っていなかった。

 だが、いくらなんでも早すぎる。まだ弁皇子も幼くあり。

 何進としては、後十年くらいは猶予があると思っていたのである。

 ともかく、「乱どころではない」というのが正直なところでもあるのだ。

 それでも、禁軍を発し官庫を開く。その果断さは何進に反感を持つ士大夫層ですら評価せざるを得ないところである。

 だが、監察に数多の有為かつ親何進の文官を派遣したのはどうなのだろう。


 そんな華雄の思考を何進の言がさえぎる。


「フン、軍を発した。官庫も開いた。

 溢れているはずの官庫が空っぽとか笑えねえのさ」


 笑うように吐き捨てる何進。華雄はなんとなく理解する。


「なるほど。横領、か」


 腐敗したこの漢朝。さもありなん。

 帳簿上はあるはずの物資がないというのはいかにもあり得ることだ。


「兵站の崩壊した軍ほど悲惨なものはないからな。

 ハ、官軍が村落から、城邑から物資を徴発するなど悪い冗談さ」


 だから、監察には信頼を置ける者を派遣せねばならないのだ。いかにそれが負担となろうとも。


「それに、悪いことばかりでもないしな」


 何進は苦笑する。


「中々に調査の手が及ばなかった官庫を大っぴらに監査できるんだ。

 この点では黄巾に感謝すべきだな」


 ある意味実態の把握できなかった大きな利権に食い込めた、と何進は笑う。


「なるほど。不正をしていた官を誅滅してしまうということか」


 大きく頷き理解の意を示す華雄に向ける何進の視線には諦観と苦笑とが絶妙に入り交じっていて。


「お前さんはブレない、なあ」

 その声に華雄はやや不安げに問う。


「な、何か間違えた……か?」


 何進は苦笑する。

 まあ、いいだろう。これが彼女の持ち味なのだろう、と。


「汚職程度で官吏を追放してたらな。あっという間に機能不全になる。

 能力と人格は比例せんからな」


 言外の絶望。それに華雄は気づかない。


「虫刺され程度で腕を切り落としていてはその日の飯すら食えなくなるということさ」


 むしろその不正を一度は許し、恩を着せ。こちらの派閥に引きずり込む方が有益だと何進は苦笑する。


「む……。政治と言う奴か。よく分からない……」


 悄然と呟く華雄。


「何、お前さんにはそんなことを全く期待していないからな。

 精々武を磨いてくれればいいのさ」


 無防備な背を晒してくれているというのはそういうことなのであろうと華雄は気を取り直す。


 が、問いかけずにはいられない。


「国を治める、というのはどういうことなのだろう。

 どんな感じなのだろうか」


 ほう、と何進は表情を改める。明日は雨だな、と。


「私にはそういった能力や識見なぞ欠片もないことは理解している。

 だからこれは好奇心なのかもしれん。いや、それより下世話なものかもしれない。

 無視してもらって構わないのだ。

 だが、それでも。

 私だって前に進みたいのだ」


 やや控えめに、自分の放った言葉を恥じるように華雄が笑う。


 ふむ、と軽く何進は考える。

 この女にどうやったら伝わるであろうかと。

 吐かれた吐息。それの重さを今の華雄は知っている。


「フン。そうだな。国を治めるというのは、言ってみれば……庭師と変わらんだろうさ。

 湧いてくる毒虫を、毒蛇を駆除し、若木を剪定する。

 言ってみればそういうことだ。派手なことなぞ何もねえのさ。

 終わりのない雑務の積み重ね、ってとこか」


 常ならば皮肉と韜晦に満ちている言。だがこれはそうではない、自分に向けられた言葉。華雄は目を見開き、反芻する。


「国の頂点としては、こう。微妙というか、楽しそうではないな。

 むしろ、労苦こそありそうだ」


 それでも出るのは凡百な感想だけ。

 だがそれに何進は機嫌よく応える。


「だから虚飾やら栄華に包むのさ。

 実に正しいのさ。誰が考えたか知らんがね。

 ま、横からくちばしを突き出すだけなら阿呆でもできるということだ」


 だったら、と華雄は問う。

 何故にあなたはその双肩に漢朝を背負うのか、と。

 何進は莞爾と笑う。


「決まってるだろう。俺以上に適任はいないのさ。

 それに、な……」


 突然の風。


 吹き荒れるそれに華雄は立ち向かうのだ。

 士は己を知る者のために死す、と言う。

 ならば、命の使いどころを自分は見つけたのだろう。


 華雄の浮かべる笑みは、静謐ですらあった。

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