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凡人のネゴシエイト

「江南はこのままじゃと、荒れに荒れてしまうじゃろう」


 黄蓋は率直に現状、或いは窮状を訴える。江南を襲った未曾有の水害。以来、田畑は荒れ、耕す民は流民となった。孫家はその中で勢力を増していった。何より大きかったのが江南の虎と異名を取る孫堅の武威。そして、北方より格安で流れてくる食糧。そしてその商流をいち早く捉えた周瑜の功績が大きい。

 孫家に従えば飢えない。その風聞が故に孫家の勢力は拡大を続けてきた。・・・かなり綱渡りではあったが、それを成し遂げてきた。

 だが、その根幹はあっけなく崩れた。これまで北方――袁家領内から江南に流れてきていた食料が高騰。逆流こそ食い止めたが、じり貧である。このままでは瓦解すらしかねない。

 ――孫家の首脳の動きは早かったと思う。だが、割けるリソースに余裕がなかった。本来ならば孫堅の補佐として黄蓋は来る予定であったのだ。が、圧倒的な軍略、カリスマで孫家を拡大した孫堅が三の姫の出産時の産褥にて亡くなってしまっているのだ。

 ――有り体に言って孫家は崖っぷちなのである。故に、袁紹との面会が叶わないとなれば、眼前の青年相手に踊るしかないというわけである。幸いなことに沮授は口を挟むつもりはないようだし、文醜はこちらが紀霊に害を加えると判断しない限り問題なかろう。爛々とした双眸を見ると若干不安になるが、それくらいの良識はあるはずである。


「という訳で沮授殿に色々とお願いしておったのじゃがな。暖簾に腕押しといった風で埒があかぬのでな。せめて腕っぷしくらいは見せようとそこの文醜殿に一手ご教授願おうかと思っていたところじゃったのよ」

「沮授?」

「まあ、そんなとこですかね。大体合ってますよ」


 にこりと笑って沮授はうそぶく。嘘は言っていない。どうにもこの場を愉しんでいるようだ。いい空気吸っておるな、などと益体もないことを黄蓋は思う。が、沮授が中立というのは悪くない。


「で、江南で勢力を増している孫家に援助をしてほしいと。随分明け透けだな」

「腹の探り合いは好かんのでな。時間の無駄じゃろ?」


 小手調べとばかりに殺気をぶつけてみる。が、跳ね返すでなく、競るでもなく、受け流すでもなく。まさか無関心とは。それとも牽制と読まれているのか。文醜すら微動だにしなかった。


「ふむ。黄蓋ほどの人物にそこまで言わせる。そこまで水害の爪痕はひどいということか」


 黄蓋は是、と応える。恥も外聞もなく江南の窮状を訴える。一部では文字通り骨肉相食む地獄絵図すらあると聞く。これはけして他人事ではないのだとばかりに。


「なんと、江南の虎と呼ばれた孫堅殿が儚く、な」


 どうやら孫堅の武名は北方にも響き渡っていたようだ。


「堅殿亡き孫家には江南は重いと?」


 どこか投げやりな黄蓋の言葉に紀霊は否、と応える。


「策、権。どちらが継ぐか知らんがね。孫家のことだからきっちりと盛り立てるんだろ?」

「無論じゃな」


 我が意を得たり、と黄蓋は首肯する。孫策、孫権。ともに孫家を担うだけの大器。だが、恐るべきはそこまで知る紀霊である。では、と喜色を見せる黄蓋に紀霊は冷や水を浴びせる。


「江南には百家ある。孫家に肩入れする理由がないな」

「これはしたり。孫家の謝意は価値がないと?」

「謝意とか借りとかって踏み倒したらそれまでだかんな」

「ほう、形のあるものをお望みか。

 じゃが、わしに用意できるものは限られておるのでな・・・」

「ふん。例えば?」


 黄蓋は妖艶に笑い、組んでいた足をゆるり、と組み替える。見事に視線が露わとなった脚線美に流れる。


「孫家は袁家への恩義を忘れはせんよ。孫家の始祖に誓ってもよい。

 生憎、わしが今用意できるのはこの身だけじゃが・・・」


 ぬるり、と席を立ち紀霊にしなだれかかる。この身一つで孫家の安泰が購えるならば安いものであるとばかりに豊満な胸を紀霊に押し付ける。その所作を拒むでなく、感触を楽しんでいる様子に満足げに頷くのだが。


「あー。俺一人ならばどうかわかんねーけどさ。流石にこの状況でそういうことされても、その、なんだ。困る」


 む、と黄蓋は内心唸る。が、考えるまでもなくそりゃそうである。むしろ沮授と文醜が無言で見守る中で堂々とハニートラップを仕掛ける黄蓋の肝の太さこそ賞賛されるべきであろう。


「まあ、手土産の一つくらいもらわないと言い訳も立たんしな」

「そりゃそうじゃの。こうまであからさまに求められるとは思っておらなんだが」


 苦笑しつつ紀霊の眼前に書物を示す。


「孫子。写本じゃがの」


 さしもの紀霊が絶句するのを見て黄蓋は内心安堵する。いや、ものの価値が分かる相手でよかった、と。

 だから退室を促されても、黄蓋は紀霊より色よい返事があることを確信していたのである。





 さて、手元には黄蓋からもらった孫子。写本とは言え超貴重品である。これ華琳とかすっげえ欲しがるんだろうなあとか色々思う。何せ21世紀に至っても戦争の教本として最上級の扱いを受ける書物だ。その価値は計り知れない。いや、俺が持ってても宝の持ち腐れに近いんだけどね?

 まあ、孫子のエッセンスは何冊か解説本読んだから把握している。ということにしよう。独自に解釈を加えるようなことをするようなのは華琳に任せておく。そういや孟徳新書っていつ出るんでしょね。

 閑話休題。こっから本題。


「というわけで孫家を援助して江南を押さえさせることにする」

「結構ですよ。二郎君の判断、異存はありません」


 考えこむこともなくさらりと肯定する沮授である。いや、別に反対されるとは思ってなかったけど即断すぎでしょ。これは・・・。


「というか沮授よ。お前の絵図面どおりじゃねーの?」

「おや、それは過大評価というものですよ。そうですね・・・。どちらかと言えば潰す方向に誘導したつもりだったんですけれどもね」


 やれやれ、と苦笑すら爽やかだね。いつものことだけど。まあ、沮授もそう思うかー。


「まー、どう考えても厄介な勢力だかんなー」

「二郎君ならば孫家を使いこなせる、と?」

「んー、わかんね。でもまあ、江南が荒れたままっていうわけにもいかんしな。張紘にも約束してたし」


 沮授が孫家の扱いを俺に丸投げしたのには訳がある。表立って江南に袁家が援助をするわけにはいかないからだ。そりゃー、自領以外に干渉したらマズイってばよ。漢朝の中枢ににいらん疑念を与えてしまう。

 だから俺んとこの母流龍九ボルタック商会を通せば、如何様にも言い逃れはできる。分かる奴には分かるんだろうけどな。


「実際、どうするつもりなんです?」

「江南に母流龍九商会の支店を作る。あくまで表向きは商活動だ」


 ふむ、と頷き沮授は更に問うてくる。


「なるほど。それで誰を送るのです?」

「張紘が推挙してきてた人材だな。魯粛、虞翻、顧雍。地元の復興事業だからやる気も湧くってもんだろ」


 実際は孫家の首に付ける鈴である。社外取締役兼監査役と言えば分かりやすいだろうか。孫家の中枢に食い込んで意思決定に干渉していくのだ。孫家に取り込まれないように何年か単位で入れ替えるが、まずは最高の人材を送ろう。・・・流石に張紘は送れないがな。

 そして手を出すからにはきっちりやる。江南はきちんとやれば二期作、二毛作などが可能な気候。肥沃な大地はものっそい魅力的である。人口が少ないのがネックだが発展すれば伸びしろは相当あるのだ。


「なるほど、流石は二郎君。おみそれしましたよ。それであれば袁家内部の調整はやっておきますので」

「ほんとはなー。孫家の扱いとかは沮授に任せたいとこなんだが、こればっかは仕方ないかー」

「ええ、僕が仕切ると袁家としての介入と思われてしまいかねません」

「その点。俺ならば商会を挟むから誤魔化しようがあるしなー」


 ここらへんは結構綱渡りになってくるんだけどねえ。そこで沮授が俺を切り捨てることはないと思いたいものである。ほんと、高度な外交的判断とか俺にさせないでほしいものである。いや、相談とかめっちゃするけどね。


「沮授も張紘もなー。助言はくれるけどいざとなったら逃げるもんな」


 責任問題になりそうなことは俺に押しつけてくるのだ。ぷんすか。


「決断力というもの。いや、二郎君のそれがあるからこそ僕達も安心してついていけるというものです」

「うっせー、責任の所在をこっちに押しつけてるだけだろうが」

「まあ、そういう解釈が成り立つかもしれませんね」


 くすくす、と可笑しげに笑う沮授の減らず口をどうやって黙らせるかと思っていたら場が動いた。


「二郎、来たぞ。お前の言うとおりだったな。十中八九、今回の売り浴びせの主犯だ」


 息を弾ませて張紘が吉凶定まらない報をもたらす。更にその商人の背後関係までつらつらとレクチャーしてくれる。俺の弱い頭にも分かり易い親切な説明だ。流石張紘、パーフェクトだ。


「ん、来るかどうかは五分五分だと思ったんだがな。沮授、ちょっと喧嘩買ってくるわ。支払い準備よろしく」


 くすり、と沮授が笑う。


「おやおや、できるだけ値切ってくださいよ?」

「いやいや、高く。高く買い占めてやるよ」


さて、ここからが本番である。袁家領内の相場に手を出してくれたんだ。きっちりけじめはつけてもらわんとなぁ?

 ニヤリ、と歪む口元を自覚しながら俺は向かうのだ。そう。血の流れない戦場に。


張紘が拾ってきた人材。魯粛、虞翻、顧雍。すごい(確信)。

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