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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決起の章
185/350

凡人と流星

 どすどす、と響く足音。偉丈夫が歩みを進める。

 巨漢、と言って差し支えないであろうその身は分厚い筋肉に包まれており、発する気迫も只ならぬものである。

 白を基調とした紀家軍の、どちらかと言えば洗練された軍服に身を包みながらもその姿は荒々しくあり、見るものに頼もしく映る。


 雷薄。紀家軍の重鎮である。

 一兵卒の身でかの匈奴戦役を生き延び、幾多の手柄首を上げた豪傑である。軍服の端から晒された地肌には無数の傷跡が走り、激戦と、その戦歴を思わせる。

 兵卒から叩き上げで地歩を築いた彼は袁家の中でも屈指の歴戦の勇士であり、その堂々たる体躯と相まって内外から畏敬の目を向けらている。

 その用兵は堅実そのもの。派手さはないが、奇をてらわずに兵の損失を最低限に抑えるもの。

 遊軍たる紀家軍の中で、乾坤一擲が信条の紀家軍の中でかけがえのない将帥である。

 現紀家当主たる紀霊からも絶大な信頼を得ており、紀家軍のナンバー2として堅実に職責を果たしている。現当主が不在のおりは彼が紀家軍を統率するのだ。

 趙雲、典韋と勇将豪傑が揃いつつあるも、兵卒からの信頼は一朝一夕では得られるものではない。


 人、それを「武威」と言う。


 その雷薄は横に付き従う青年に声をかける。

 張郃。袁家幹部の張家。その重鎮である。身のこなしには一分の隙もなく、積み重ねた鍛錬を窺わせる。


「張郃よ、如南の兵権は俺が預かるつもりだが、どう思うよ」


 問われた張郃は、いささかも表情を変えずに応える。


「異論はありません。実際この身は若輩です。

 一兵たりと率いたことなく、数々の死線を潜ってこられた雷薄殿が軍権を握るは妥当な判断かと」

「そうか、すまんな。序列で言えば貴殿が上なのだ。それに、俺は所詮匹夫に過ぎんからな」

「何をおっしゃりますか。雷薄殿が軍権を掌握するとなれば皆納得するでしょう。私は裏方として支えましょうとも」

「そいつは助かる。書類仕事はどうにも性に合わんでな!」

 

 がは、は、と豪快に笑う雷薄に張郃は僅かに頬を緩める。

 なるほど、兵卒からの支持が篤いのも納得である。この快男児のためならば命をも惜しまぬという声が多いのも頷けるというもの。

 この、傷だらけの強面が笑った時の愛嬌ときたらどうだ。けして揺るがぬこの身すら引きこまれそうだ。

 張郃はその不可解な感情を持て余したように言の葉を紡ぐ。


「その、雷薄どの。ここ如南にはご息女もいらっしゃるのでしょう。雑務はお任せあれ。

 存分に久闊を除されてはどうですかな」


 雷薄の急所である娘のことに言及し、精神的再建を図ろうとする。

 重ねて、その息女が監視下にあることを臭わせて……。

 その目論見は見事なまでに吹き飛ばされる。


「無用な気遣いだぞ、張郃よ。俺はな。公私混同はせぬよ。せぬとも。

 まあ、この乱が収まったならば孫の顔くらいは見に行きたいがな!」


 がはは、と重低音の笑い声を響かせる。


「心得ました。では、如南の掃除も我らの職責。存分にこの身をお使いください」

「ん?そうか、まあいいようにやってくれ。責任は俺がとるさ。

 袁術様がいらっしゃるまでにできることはするとも。

 頼りにしてるぜ!」


 ばしばし、と背を叩く。力の籠ったそれは熱く、背に響く。

 不思議と、それは苦痛ではなかった。


 緩む口元を自覚せず張郃は部下に指示を飛ばし、如南の安定に奔走する。

 張家にはなかった陽性の、雷薄という豪放磊落な人格と巡り合ったことは彼の今後に小さからぬ影響を与えることとなる。


◆◆◆


 払暁。明ける夜、昇る日輪。山の端にその片鱗が顔を出し、雄鶏が一斉にその存在を主張する。

 繰り返される日常。毎日。

 這い寄る戦乱など意に介せずにいつもの毎日が始まる。

 俺が守りたかったのはつまりこういうことで。

 ぐび、と手にした杯から酒精をわが身に取り入れる。火酒、と呼称されるそれは熱く喉を、肺腑を焼く。焼いていく。

 内から起こる業火でも世界は揺るがず、起こるのは取りこぼしたものが苛む声。


「ほう、いい身分ですな。それがしもご相伴に預かりたいと存ずるが、如何?」


 玲瓏たる声は星。その真名にふさわしく、夜闇においても自ら輝き、まよい子を導く英傑である。

 俺の応えを聞くまでもなく、手にした器に酒精を注いでいく。

 ぐび、と呑み干し再び注いでいく。

 ……って。


「こら、その調子で呑んだらあっという間に無くなるでしょ!」

「なに、酒は飲まれるためにあるのだ。問題なかろう」

「一見いいこと言った風だけど自分が呑み尽くすってことだよね?ちょっとは遠慮しやがれこのこのー!」

「はは、あるじよ。いまこそ、その度量を見せるべきと思うが如何に」


 いや、朝っぱらから何を言っているんだお前は。


「それに朝っぱらから酒に逃避しているのは主だろう」


 むむむ、ぐうの音も出ないぞ。


「なれば一の家臣としてはご相伴に預かるべきかと思うのだ」

「いや、その理屈はおかしいだろう」


 そうか?と小首を傾げながらも俺の手から酒壺を奪い、手元の酒器に注ぎ、呑み、注ぎ、呑み、っておい!


「けち臭いことを言わぬがよかろう?

 少なくとも吝嗇という評判は主にはないだろう」


 そうかい、そりゃよかったよ。


「ふむ、本格的に拗ねているようだな。いや、実に不景気な面だ」

「うるへー、地顔だ」


 星はくすくすと、この上なく可笑しそうに笑う。


「で、何を拗ねているのだ?」


 ずい、と、近い、顔が近いよ!

 ずり、と後ずさりながら体勢を整える。


「ん、黄巾の乱。起きたじゃん」

「そうですな」


 くぴ、と杯を干した星に酒を注いでやる。


「ああいう、漢朝全土にまたがる乱を起こしたくなかったのよ。ほいで、俺なりに頑張ってきたのさ。

 でもさ、結局起こってしまってさ、ちょっとへこんでんのさ」


 にまり、と笑みを浮かべて星はぴとり、と俺に寄り添う。

 柔らかく、温かい感触に何だか気おくれしてしまう。


「ふむ、主の腕はどうやら漢朝を覆うほどに長いらしい。

 流石に大した気概ですな?

 おや、それにしてはどうにも辛気臭い顔をしてらっしゃる。

 これはいかん。いけませんとも」


 ちゅ、と唇に柔らかい感触が。


「んなっ!?」


 あたふたとする俺をおかしげに。

 

「ご安心めされよ、唇を許したのは主が最初であるからに」

「お、おう……」


 ふぁさ、と鮮やかに身を翻して星は言う。微笑む。


「この身を中華の最高峰に押し上げていただけるのでしょう?

 この身は龍。瑞雲がなければ高みに昇れませんぞ?」


 高らかに笑い、場を後にする。

 そっか、そうだな。どうせ俺ができることなんて知れてるんだ。

 小さなことからこつこつと。そいつが俺の生き方やり方!

 黄巾、十常侍どんとこい!まとめてぶっとばしてやるとも!

 ああ、起こったことは仕方ないさ、仕方ないとも。だが、その報いは受けさせてやるぞ、受けさせてやるとも。


◆◆◆


 日輪は地平線に沈み、夜天の主は三日月。下弦の月は星たちにかしずかれて存在を優美に主張する。

 月明かりに照らされた庭園を歩く。いや、ここ執務室から自室へのショートカットなのよね。

 うう、お腹すいた。

 さっきまで風と星と俺の三人で色々計画練ってたのよね。ちなみに風と星はもうちょっと頑張るそうで す。ご苦労様。後で流琉にでも差し入れ頼んどこうかな。

 そんなことを考えながら歩を進める俺に声がかけられる。


「あ、アニキー、アニキー、こっち、こっちー!」


 庭園内の東屋で手をぶんぶんと振るのは猪々子。文家の当主様である。横には麗羽様……と膝の上の美羽様。あ、流琉が後ろに控えてるわ。


「うっす。どしたんすか、おそろいで」

「いえ、珍しくわたくしと猪々子さんと美羽さんが揃いましたから、食後のお茶を頂いているところでしたの」


 なるほど。俺は腹ペコなわけですが。


「あらあら。

 珍しく二郎さんは遅くまでお仕事されてたみたいですわね。何か、摘ままれます?」


 ああ、ここでお相手するのは既定路線ということですねわかります。


「ありがたく。どうせなら酒も欲しいとこですね、いや、久々頭使っちゃいましたし」

「むふふ、そういうこともあろうかと、ちゃんとあるぜー」


 そうかい、そりゃよかったよ。ちなみに静かだなと思ったら美羽様は軽やかに寝息を立ててらっしゃる。

 こちょこちょと喉をくすぐる麗羽様の白魚のような指にいちいちぴくぴくと反応してるのが、なんともお可愛らしい。


「じゃ、ご相伴に預かりましょうかね」


 むしゃりと茶菓子を頬張るとどこからともなく流琉が食いでのありそうな揚げ物やらを並べてくれる。

むむむ、できる。

 猪々子がどば、と勢いよく注いでくれた――無論、結構溢れた――酒を飲み干しながら雑談に興じる。

 がつがつ、といささか下品に料理を平らげていく俺をくすりと見やりながら麗羽様が問うてくる。


「二郎さんは如南に発たれるんですのよね?」

「ふぁい、ん。はい。斗詩がもうすぐ洛陽から戻ってきます。それからですね。

 現在ですが。紀、文、顔で領内の賊を排除してます。斗詩が戻るころには主だったのは片付くだろうというのがうちの軍師の見込みです」


 ぐび、と干した杯に今度は麗羽様がお酌してくださる。や、申し訳ないね。ありがとうございます。


「斗詩が戻ったら文と顔で領内安堵に努めます。斗詩が総指揮を執り、猪々子は最前線で領内の慰撫をしてもらいます」

「まっかせてー!」


 頼りにしてるよ?

 今は軍を五百程度の集団に分割して領内に湧いた害虫を駆除している。優秀な中級指揮官の豊富な袁家だからできる方策だ。

 柔軟に、自由に賊を討伐させているのが功を奏している。

 もうすぐしたら残存兵力が集合するであろうというのが稟ちゃんと風の見解だ。

 大きくなった集団を猪々子がぶち砕く。そして斗詩はその援護とか事後処理とか色々めんどくさそうなことを統括する。

 うん、ごめんね、斗詩。でもしゃあないんや。

 猪々子にそういうの任せられないし、麗羽様他は日常業務してもらわんといかんし、ね。


「でも如南の方を安んじたら北上するんだろ?

 ま、それまでに諸悪の根源を断っておいてやりたいとこだけどなー」


 それなのよね。

 張家の諜報力をもってしても今一つ掴めない、黄巾の乱が。その本拠地が。

 この場に七乃がいないのもそのせいだ。

 何でも腕利きの密偵、間諜ですら音沙汰が無くなってしまうらしい。

 俺も、も少ししたら手持ちの密偵を動員しようと思うが、それでどうにかなるとも思えんしね。


「まあ、漢朝全土に何進から討伐令も出てるしな。時間は味方してくれるさ」


 それで乱に巻き込まれる民には悪いけど、な。

 如何せんどうしようもない。精々俺にできるのは黄巾賊が来たら避難しろというくらいだ。

 いや、無能、非才というのが謙遜じゃあないというのが情けない限り。

 とは言え、今できることをするのみなのである。


「あら、いけませんわね、二郎さん。

 貴方は袁家の軍権を握っているのですよ?

 もっと余裕をもって優雅であってくれなくては」

「白鳥は優雅に水面を進みますが、水面下では一生懸命に足を動かしているのです。

 俺は袁家という白鳥の水面下であがくのがお役目。捨て置いてください……」


 俺が優雅とか、ないよね。


「あら、これは嬉しいことですこと。あんなにも働きたくないと言っていた二郎さんが、そんなにも一生懸命というのですもの。

 これは縁の下の力持ちをねぎらうのがわたくしの務めですわね。猪々子さん、よくって?」

「さっすが姫ー!分かってるー!はい、二次会はアニキの部屋でやります!各自料理と酒は持参すること!」


 待て。


 待て。


「あら、二郎さんの……。ふふ、面白そうですわね」

「いやいやいやいや、俺の部屋に麗羽様招いたら色々不味いでしょ!」


 あれ、なんで麗羽様一気に不機嫌になるの?なってるの?


「知りませんわ。もう。

 いいですから猪々子さん、お分かりでしょう?」

「あらほらさっさー!」


 どうして俺が羽交い絞めにされてるのでしょう。

 本気で拘束してくる猪々子に敵うわけないじゃないですか、やだー。


「や、あの、麗羽様?」


 いつになく目が据わってらっしゃる。そんな馬鹿な。

 

「ええ、この際ですし、二郎さんに言いたいことを有り体にぶつける場を設けることにしましょう。

 いいですね?みなさん?」


 え、え?

 なにこの流れ。


「ほう、興味深いですな。実に興味深いですな。是非ともに、乞うてでも参戦したく思いますぞ?」

「くふ、星ちゃんは相変わらず機を見るに敏、ですね。風も便乗するとします~」


 おい、待て。

 お前らどっから湧いた。


「うむ。朴念仁、と一言で表するには勿体ないと思うのだ、我が主は。

 なれば、臣としてから見た主の姿を皆様方にご披露したいと思う。

 その上で、僭越ではあるが、違った立場から主の姿を蒙昧たるわが身にご教授願いたい」


 くす、と。いい笑顔だね!こん畜生!


「くふ、同僚として文醜様、僭越ながら、主として袁紹様からお言葉が頂ければ、風たち配下も腕が鳴るというものです~」


 待てやコラ。

 俺の抗議の声は高まる笑い声にかき消されるしかなく。

 俺の部屋で繰り広げられる俺評に俺は針の筵で、ふて寝を決め込む。


 だから、その噂なんて夜が明けてからしか耳にしなかった。


 白い流星が落ちたことなんて知らなかった。

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