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真・恋姫無双【凡将伝】  作者: 一ノ瀬
黄巾編 決起の章
182/350

その頃の洛陽:失意と再起

「それじゃあ今日はここまでにしましょうか」

「はい、ありがとうございました!」


 一礼し、大きく伸びをするのは桃色の髪の少女。益州を治める劉焉の息女である劉璋その人である。

 ここ洛陽には遊学がその目的である。正直期待はしていなかったのであるが、その講師に蔡邑という才媛が充てられたことで、極めて充実した時を過ごしている。

 実際、この洛陽。いやさ中華でも三本の指に入るのであろう大学者なのだ。それを手配してくれていたに違いない青年に思いを馳せると。


「あら、どうかした?顔が赤いわよ?」

「なななななな、なんでもないわ、なんでもないですとも」


 あたふた、と慌てる仕草が可愛らしくて。蔡邑はくすり、と笑う。

 その大人びた表情に劉璋は何か思う所があったのか、む、と口を一文字に引き締める。

 感謝の念はもちろんある。

 論語はもとより、荀子、韓非子、六韜、三略。綺羅星のような教科書。それどころか。

 益州では答えてもらえなかったような問いにもきちんと解答を与えてくれたのだ、この才媛は。

 幾度も「なぜ?」と繰り返す自分が愚物扱いされていたことは誰より自分が分かっているのだ。

 今ならなんとなく分かる。つまりあれは答えが出せないということを糊塗するためだったのだろう、と。

 時すでに遅し、である。今や家臣団――仮初の――でも自分の味方なんていない。いないのだ。

 だから、だからこそ、無条件に自分を助けてくれたあの青年に意識が向くのは仕方のないことなのだ。

 そして目の前の麗人は多分自分よりもあの青年と接点が多くて、そして多分あの青年に興味はないはずなのだ。

 つまり、情報収集するには恰好の相手だ。実際見事な論理で何もおかしくはないと自画自賛できるほど。


「そそそ、そういえば。じ、二郎と親しいのでしたっけ?」


 ほら、こんなにも自然に話題を振れる。


「ええ、そうね。閨を共にするほどではないけれどもね」

「ねねねね閨って、あう、ひ。ななな。何をおっしゃってるのですか」


 目を白黒させる劉璋を微笑ましいと蔡邑は思う。

 そしてその持って生まれた才と求められているであろう才の差異に微かに心を痛める。

 驚くほどにその家臣団からの評価が低いのだ、この愛すべき少女は。

 本人もそれを自覚しているのであろう、居丈高に振舞い、自らの権威を高めようとする姿は滑稽を通り越して痛ましくすらあった。

 それを強要する環境にも、色々と言いたいことはあるが、それは彼女の仕事ではないし、そのような立場でもない。


「ふふ、ごめんなさいね。それで、紀家当主がどうしたのかしら?」


 かなり余所余所よそよそしい言葉に、ほ、とした表情を浮かべる劉璋。


「あ、あのね?これって本当に二郎なのかな、って」


 おずおず、と取り出したのは阿蘇阿蘇。怨将軍記念号と題された書物である。

 見ればその頁は相当摩耗しており、所々に破れた箇所もある。

 きっとこの少女は大事に何回も熟読したのであろう。その類稀なる記憶力からすれば文章を全てそらんじていても不思議ではないというのに。


「それはこの絵姿かしら。それとも英雄譚のことかしら?」


 貴種流浪譚と言った方がよかったかしら、と僅かに自分の放った言の葉を検討する間もなく劉璋は力強く答える。


「両方!と言いたいけど、この絵姿はどう見ても捏造よね。こんなに美形じゃあないもの。ほんと、盛り過ぎよ。

 こんな、ぱっと見て分かるくらいに美形じゃないもの。それじゃなきゃ私だって、あんなこと言わなかったし、あんな無様を……。

 そ、それはいいのよ。でもね、思うの。こんなに行く先で人助けをしているのかなって」

「あら、それは貴女が一番承知しているのではなくって?」


 かぁ、と瞬時に紅潮した頬を隠すこともなく抗議の声を上げる。


「そそそ、そんなはずないでしょう。私はいつだって冷静、公平よ」


 論点がずれていることに気づきもせずに一生懸命に主張する。

 だって、あれは自分だけの大切な記憶なのだ、思い出なのだ。

 だから、譜代の家臣団からも馬鹿にされているような自分であってはいけない。

 聞けば、あの袁家の武家の最高責任者になったと言う。

 何かお祝いの品を贈ろうかとも思ったが、今の自分にその資格はきっとない。


「そうね。その視点は大事だわ」

「っ、そそそそうよ。その通りですよね」


 幾ばくかの時を浪費し、劉璋は冷静さを取り戻してその卓越したと自負する頭脳を再起動する。

 そして、問いをその口にするその数瞬前に扉が開き、蔡邑は何進からの招請に応じる。


「ごめんなさいね、今日はここまでよ」

「はい」


 結果的に、これが最後の授業となってしまうことなど、双方ともに知るはずもなかった。


 漢朝各地で乱が勃発する。

 世に言う、「黄巾の乱」である。


◆◆◆


 らしくないな、と華雄は思う。だがまあ、考えてみれば無理もないことではあるかもしれない。

 粉々に割れた酒器を片付ける侍女たちの手際は流石の一言。珍しくむっつりと黙り込んだ主人の醸し出す不機嫌な空気を気にする様子もない。

 黙って新たな酒器に酒を注ぐ。

 無言で酒を呷る何進。殺気すら漂うその眼は血走っている。


 きっかけは袁家からの書面であった。そして日を置いて各地から寄せられる凶報が続く。

 乱である。叛乱である。もはや一時の暴動と言えない規模で広がる戦禍。

 不可解なほどに広がるそれに何進を筆頭に政権を握る勢力は忙殺されている。

 いよいよ宦官勢力を削ぎ始め、少しずつではあるが着実に成果が見え始めていたというのに。

 今では宮中では乱の責を何進に問う声すら漂うのだ。


「フン、ついてない時はこんなもんか」


 盛大に酒臭い息を吐き、何進は思考を切り替える。切り替えた。苛立ちはあるが、それにいつまでも囚われているわけにもいかない。

 何せ双肩には漢朝がずしり、と。


「蔡邑と王允を呼べ」


 けして大きくはない声に配下が慌ただしく動き出す。どうやら精神的再建を果たしたようだな、と華雄は判断する。では、動く時だ。


「私はどうすればいい?」


 華雄は取り敢えず問うてみる。無論今すぐにでも兵を率いて飛び出したいという気持ちはある。

 が、目の前の男の指示に従った方がより効果的に自分の武は活きるのであろうことを理解している。


「フン、そうだな。

 ……ン。

 いや、いい。俺の背を守れ」

「承った」


 愛用の戦斧を持ち、背後に控える。ふ、と息を吐き、弛緩していた気を引き締める。

 常在戦場。たちまちに四方八方の気配を掴み、捕捉する。

 万に一つも不意など衝かせない。静かに、深く集中を。

 目の前の男は確かに漢朝を支える大黒柱であるのだ。

 なれば、いや、だからこそ自分の武を捧げるに相応しい。狷介な自分を華雄は自覚してはいる。だからこそ思いは深まる。

 それを使いこなすはやはりこの男だけであろう、と。

 

 あくまで静謐に。

 昂ぶりながらも華雄は自らの責務を果たす。


 何も大軍を率いて敵を討つのだけが武の在り方ではない。

 既に華雄は自らの武を振るうに迷いは一片たりともない。


 むしろ、武の振るいどころを見つけた武士もののふ

 彼女の心境を描写するならこうであろう。


「士は己を知る者の為に死し、女は己をよろこぶ者のためにかたちづくる。今、何進は我を知る」


◆◆◆


 蔡邑が室に踏み入ると、そこは息苦しいほどに空気が張り詰めていて、澄んでさえいる。

 原因は明らかだ。

 悠然と座る何進の後ろに控える豪傑。華雄。

 だが、ここまで凄味があったろうか?

 何進や華雄には及ばぬまでも、ある程度の武を修めたからこそ分かる。華雄は何故だか分らぬが階梯を高めたのだと。

 まあ、それは喜ばしいことであろう。友人としてもそれを寿ことほぐにやぶさかではない。

 が、今はそれはむしろどうでもいい。些事ですらある。


「それで、どうしたものかしらね」


 彼女とて現在の状況は把握している。

 乱が各地で頻発。

 無論、死をもって報わせるが倣いである。が。報告を信じるならば足りないのだ。

 兵力が、将帥が、兵站が。ありとあらゆるものが足りないのだ。

 十常侍とて愚物ではない。繰り返される宮廷闘争において何進はほぼ常に勝利を手にしていた。が、そのために切り捨て、削られたた現有戦力、禁軍。即応兵力は、軍事予算はじりじりと削られており、漢朝全土には流石に及ばない。


 だが、大将軍として軍権を握る何進に対する宮中の風は冷たい。

 いや、むしろ卑賤なる身で漢朝の中枢にいること。それが身の程知らずであると言うがごとくに、これまで問題なく運営されていた手続きすら滞る。滞っていく。

 馬鹿げている。

 このような時に、非常時に足を引っ張るのが政略なのか。

 いや、分かってはいたはずだ。洛陽どころか、宮中から出たこともない宦官。

 それらにとっては地方の乱など、その混乱など想像の埒外であろう。

 だからこそ自分は何進に賭けたのだ。


 金城鉄壁を体現する華雄に軽く目礼し、存念を述べる。

 恐らくは何進とて同じ結論に至っているであろう。


「黄巾、討つべし。そう諸侯に発すべきね」


 簡にして単。そして潔。

 漢朝の威信は下がるかもしれないが、結果として兵を蓄える諸侯の勢力を利用することができれば上々だろう。削げないまでも、増長を防げれば言うことはなし。

 ここにおいて何より、保つべきは平穏のはずだ。


「フン、そうか。そうだな。

 ……そうだ、な」


 何進とてそれを分かっているのだ。

 無念なのだろう。

 じりり、と宦官の勢力を削り、無力化する。

 袁家と馬家。この上ない武門の名門。漢朝の防壁たる二家の支持を背に、この漢朝を甦らせる。それは絵に描いた餅ではなく、手の届くところまで近づいていたのだ。

 

 それでもこの英傑の心は折れない。地べたを這いずりまわりながらも頂点に至ったこの男の心はこれしきでは折れない。

 不敵に笑いながら歩みを止めないのだ。幾度でも立ち上がるのだ。

 なれば、最終的に勝つのは。


「黄巾、討つべし。皇甫嵩と朱儁を呼べ。

 禁軍を動かす」

 

 皇帝直属である禁軍を動かし、諸侯の軍を制御するという決意。

 混乱の、泥濘の中で最善を掴むその凄味に蔡邑は微笑む。


「ええ、承ったわ」


 艶然とした笑みに欠片も価値を見出さず、何進は室を辞する。

 武の化身へとその身を昇華させた華雄が付き従う。


 その姿を見送る蔡邑は思うのだ。

 彼が、彼らが。漢朝の命運を握っているというのは果たして不運なのか、幸運なのか。


◆◆◆


「困ったね、雛里ちゃん」

「うん、困ったね、朱里ちゃん」


 伏竜と鳳雛。そう異名を持つ当代きっての智謀の士、二人である。

 彼女らはその明敏さを遺憾なく発揮し、乱れつつある世をこの上なく憂いていた。


「為政者に徳なくば、世は乱れる。少しのんびりしてたかもね、雛理ちゃん」

「うん、目の前の、仮初めの安穏に目を奪われてたかもしれない。

 私たちもまだまだだね、朱里ちゃん」


 彼女らは痛恨の念を込めて語り合う。


「でも、でもね、ここ南皮に来てよかったと思うの、雛理ちゃん」

「そうだね、朱里ちゃん。荊州にいたら分からないことだらけだったよ。

 虚ろなる風評に踊らされて暗君、昏君に仕えていたら、と思うとぞっとするし……」


 そう、名門たる水鏡女学院空前絶後の俊才、英才。

 一人でも手にすれば天下を手にすることのできるという傑物。それが彼女らである。

 自らの天才を自覚する彼女らは仕える主君をこれでもか、というほどに検討しているのである。


「でも、ちょっとゆっくりしすぎたかもしれないね、雛里ちゃん」

「そうだね、朱里ちゃん。こんなにも世は乱れてしまったよ。これは私たちの怠慢かもしれないね」


 黄巾の乱。

 漢朝全土に広がるそれは彼女らの胸を痛めるに値する出来事。

 きっと自分らが力を振るっていればそのような悲劇は、惨劇は防げたかもしれない。


「今からでも遅くはないよ、雛理ちゃん。この身は、能力はまだ見ぬ主のために」

「そうだね、朱里ちゃん。私たちが頑張ったらできないことなんてないよ」


 互いの誓いを確かめ合い、笑いあう。

 理想を追うともがらが傍らにいる喜びをかみしめる。


「どうする?雛里ちゃん」

「決まってるよね、朱里ちゃん」


 視線を合わせ、くすくすと笑い合う。そう、彼女らの思いは重なっている。

 自らの能力を発揮する主を、選定している。


 袁家?論外だ。血筋はいい。が、賤業を背負う紀霊に、よりによって軍権を掌握させた。

 論外だ。視界にも入れたくはない。

 公孫?論外だ。袁家の狗に何を望むというのか?

 何進?更に論外だ。肉屋の倅に語ることなどない。

 孫家?更に論外だ。狗以下の獣にどうして徳あろうか。

 曹操?論外以前だ。宦官などという汚濁に触れたくもない。


「案外と言うか、やはりと言うか、人物というのはいないものだね、雛理ちゃん」

「そうだね、朱里ちゃん。一長一短程度の人材すら希少だね。麒麟は死に絶えて久しいのかな」


 ひたすらに嘆く、憤る。世を憂う。

 そんな彼女らに一人の英傑の噂話が。


「大徳」


 黄巾の乱に心を痛め、義勇兵を募り、立ったと言う。

 無位無官ながらその声望は響き渡っており、公孫賛も全力で援助したと言う。


「雛里ちゃん」

「うん、朱里ちゃん」


 きっと自分たちはその人物に仕えるために生を受けたのだ。

 不思議な確信を抱き、彼女らは歩みを進める。

 当代きっての智謀の士たる彼女らが忠誠を捧げるのは。


 劉備。字を玄徳。


 尊き血を引き、仁の心で世を導く英傑である。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 平和な袁家お膝元で恩恵を受けながら袁家を蔑む二人。さすがですわよ。そして乱が起きれば為政者では無い所に入り込もうとして蠢動する。HAHAHA(゜∀゜) やべぇ楽しくなってきたー! 良かれと…
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