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凡人との遭遇

 人、人、人。見渡す限りの人の海に黄蓋はくらり、と眩暈ににた感覚を覚える。活気に溢れ、人が行き交う。猥雑ながらもその空気は統制がとれており、治安機構の優秀さが見て取れる。


「これは蓮華様や穏あたりに見せておくべきかもしらんな」


 数瞬の自失から回復し、呟きながら屋台で売っていた料理に舌鼓を打つ。塩がほどよく効いていて、旨い。この辺りの立ち直りの早さは流石である。想定よりも早く南皮に到着したので路銀にも余裕があることであるし。

 袁家の領内が想定以上に発展していたのも驚きであった。まず、第一に道が整備されている。治安もいい。宿場も街道沿いに整備されているので結構な旅程にも関わらず疲労感が少ない。野宿も覚悟していたのだが・・・。所々の物価も安く安定しており、物質面での豊かさには戸惑いどころか、目眩を覚えるほどである。

 そして、移動には乗合馬車なるものを利用したのだが、その移動速度が尋常ではなかったのが旅程が早まった最大の要因である。


 ――街道に煉瓦を敷き詰めればそりゃあ旅程も捗るというものである。ぬかるみにはまることもないし、馬へかかる負担も少ない。だが、それを具現化してしまう袁家。その資金力にため息をついてしまう黄蓋である。

 是非とも孫家の領内でも導入したいものだが。


「残念ながら孫家はその日の食料にも困る有様、とな」


 黄蓋はそれを打開するためにここに来たのだ。と思いを新たにする。のだが。


「しかしまあ、余裕もあることじゃし。今少し楽しんで――視察をしても問題なかろう」


 ちょうど、袁家次期当主である袁紹の誕生の祝いと重なるとは。と黄蓋は自らの幸運にほくそ笑んだ。それはそれ、これはこれである。どうやら、袁家はご息女の誕生祝賀会を盛大な祭に仕立て上げたらしい。

 まあ、それは分からなくもないのであるが、規模が桁違いである。これだけの規模の催しをするとなると、どれだけの資金がかかることか。どれだけの手間がかかることか。袁家の地力に笑うしかない黄蓋である。

 いつかは孫家でもこれだけの催しを開きたいものじゃな、と思いを馳せつつ。今度は腰を落ち着けて熱々の饅頭に舌鼓を打ち、盃を傾けながら改めて南皮の民たちの様子を見やる。

 ――しかしまあ、南皮の民たちの楽しそうなことよ。女子も相当着飾っている。普段お洒落とは無縁そうな庶民さえ、ハレの日には着飾る余裕があるということであろう。改めて江南との格差を嫌でも認識してしまう。

 この光景を周瑜が見たらさぞかし悔しがるだろう。いや、それとも貪欲に利を得ることに徹するだろうか?などとまだ若年ながら優秀な孫家の軍師の反応をあれこれと想像しながら街を散策する。その黄蓋が何とはなしに違和感を覚える。女子の格好が洗練されておるな、と。それはいい。だがその方向性がどことなく統一されてはいないだろうか。と思ったら指南書のようなものが出回っているらしい。


「阿蘇阿蘇?珍妙な名前じゃの」


 色つきの美麗な絵図入りで衣装の着こなしとそのアレンジメントを指南する絵草子、みたいなものであった。どう着飾ればよいか、これなら字が読めずとも庶人にも分かる。

 そしてそれを出版しているのは紀家が後援する商会。名を母流龍九商会と言う。特徴的な商会名であったので道中にあった宿場やの街道の整備を手がけていたな、と。

 政商。その言葉が浮かぶ。紀家は生粋の武門と聞いていたが、どうしてどうして、手広いではないか・・・。黄蓋の識見と経験がそこまで考えを及ばせる。紀霊がそのことを知れば「流石は呉の誇る名将」と唸ったことであろう。まあ、紀霊にしてみればそこらへんは探られても痛む腹はないのであるが。――ないはずである。

 それはそれじゃとばかりに心に棚を造り上げ、黄蓋は自らの真名でもある「祭」を存分に楽しむのであった。これもお役目、いたしかたなし。なんて呟きながら。

 その甲斐はあり、なんやかんやで武術大会にエントリーし、優勝までかっさらうのだから流石は黄蓋である。流石は孫家の宿将である。


 黄蓋は一つ伸びをして、ため息を漏らす。どうにかこうにか武術大会で優勝を果たすことができた。それも圧倒的な実力を見せつけて、である。とは言え、楽勝であったわけではない。背負ったものの重さを感じながらも実力を発揮するのはやはり亀の甲よりもなんとやら、であろう。

 ――しかし、黄蓋にとってはここからが本番である。あくまで、武術大会での勝利は目の前で爽やかに微笑む青年――本当は更に背後にいるであろう人物――と面会するための前提条件でしかないのだ。そして孫家の存亡はこの一戦にあり、と黄蓋は心得ている。流石に疲労が重くのしかかる身体に鞭を入れ、目の前の青年。沮授に向き合う。


「というわけでな、褒美なんぞいらん。孫家の名代として袁紹殿とお話がしたいのじゃ」

「なるほどですね。でもそれはできない相談ですね」

「なんじゃと」


 殺気を込めて沮授を睨む。黄蓋からすれば青二才と言っていいくらいの年代だが、沮授は黄蓋の殺気に特に反応しない。そよ風でも吹いたかのように軽く受け流す様子に黄蓋は沮授に対する評価を数段上方修正する。これは手ごわい、流石は袁家の柱石となる人材だと。


「袁家ご息女たる袁紹様の誕生を祝う催しの目玉たる武術大会の優勝者に褒美を出さないなど、袁家の面子にかかわりますしね」


 その言葉尻を捉えて黄蓋は問う。


「では、その後であれば袁紹殿と会談の席を設けてくれる。そういうことじゃな?」

「いえ、そうではありません」


 黄蓋が縋ろうとする細い道筋。それをにこやかに切り捨てる。ばっさりと。ひくり、と頬が引き攣るのを隠すように問いただす。


「どういうことか聞いても構わんか?」

「言葉の通りですよ。貴女を孫家の名代とは認めません。一介の武芸者として褒美を与える。そういうことです」

「なん・・・じゃと・・・?」


 つまり交渉のテーブルに着くつもりはないということか。ギリ、と歯軋りの音が漏れる。黄蓋は沮授を睨みつけ、殺気を叩きつける。先ほどの牽制のような生易しいものではない。思考回路がカチリ、と音を立てて切り替わる。穏便に済まないのであれば非常の手段を摂るべし。目の前のこの男を人質に取ってしまうか。

 そう決断してゆらり、と僅かに腰を浮かせる。こんなうらなり瓢箪、締め上げればどうにでもなる・・・か?さてそこからどうするか・・・。


「おい。あんまりオイタするなよー、いや、むしろしてくれって言うべきなのかなー?」


 それまで全く興味なさげに壁に背を預けに立っていた少女がニヤリ、と嗤う。空色の髪をしたその少女の笑みの獰猛さに黄蓋は内心盛大に舌打ちする。どうやら自分は相当に焦っていたようだ。あの少女が穏行していたわけでもないというのに。


「アタイ、ほんっと後悔してんだよなー。アニキと斗詩が止めるから参加しなかったんだよなー、天下一武道会。それでまさかの二冠する奴が出てくるとかさー。

 そいつにさ、沮授相手に調子こかれちまったら護衛のアタイの立場ないよなー。

 ・・・喧嘩売られてたら不味いよなー。

 沮授よー、やっちゃっていいだろー?身の程って奴を教えてやらんといけねーなー、いけねーよー。今のこいつなら、ぶち殺し確定、だぜー?」


 朗らかに笑う少女――文醜――は年齢に見合わぬ闘気を黄蓋に叩きつけて牽制する。黄蓋が沮授を確保しようとしても初手で逆撃を喰らうであろう。疲労の残る身体はベストコンディションとは程遠い。だが。


「じゃとしても、よ。ここで退くわけにはいかんのう。手ぶらで帰ることなぞできんからのぉ」


 我が意を得たとばかりに文醜が笑みを深める。


「アンタがどれだけのモンを背負ってるかは知らねーし知るつもりもない。アタイはただ、姫の、アニキの敵をぶっとばすだけだかんな」


 じり、とにじり寄る文醜。その気迫にさしもの黄蓋も舌打ちする。沮授に護衛が付くのはある程度想定していた。しかしここまでの腕利きを、と。


「文醜様、その辺で」

「は?」


 気勢を削がれた文醜が沮授に噛みつく。


「沮授、お前何言ってんの?」

「いえ。天下一武道会優勝者への表彰とかも終わっていませんしね。ここで黄蓋殿を害されても困るのですよ。主に二郎君が。彼、一応今回の催しの責任者ですし」


 その声に文醜は、あー、と声を漏らす。


「それは・・・不味いか。うん、不味い」

「でしょう?それに、そろそろ二郎君が来る頃ですよ?」

「え、なにそれ聞いてない」

「言ってませんからね」


 しれっとして言い放つ沮授。だからこいつは今一つ信用できないんだと文醜は思う。思うのだが、心酔する紀霊が絶対の信頼を寄せるのだからその判断は適切なのだろう。適切に違いない。適切であったとしても、むかっとするのは仕方ない。ガルルルルと威嚇することしかできないが。


 先ほどまでの闘気を霧散させた文醜と、何より沮授の口ぶりに黄蓋は噛みつく。


「どういうことか聞いてもいいんじゃろうな」

「ええ、無論ですとも。袁紹様は貴女と面会しませんし、天下一武道会の優勝を以って袁家との交渉をするのも認めません。こういう催しでそういう直訴とかの前例になっても困りますのでね」


 肩をすくめる沮授の言い様に違和感を覚える。


「つまり、どういうことじゃ?」

「黄蓋殿。孫家の宿将である貴女が孫家の名代としていらっしゃる。これは正直言って不測の事態です。そしてそういう予期せぬ事案を担当する一門が袁家にはあるのですよ」


 袁家の譜代に四家あり。文、顔、張、そして紀。紀家の本分は遊兵である。


「ええい、まどろっこしいのう。分かり易く言わんか」

「貴女の願いは叶う、ということですよ。喜んでくださいね?」


 ちらり、と沮授が向けた視線の先には一人の青年がいた。


「つまり、黄蓋さんよ。あんたと話すのは俺の役目ってことだし、これは既定路線さ。――天下一武道会に出るだけならともかく、二冠とかやっちゃうからめんどくさい話になったってことさね」


 苦笑交じりの声が響く。即ち。


「真打登場ということですよ」


 沮授はそう言って席を立ち、後方に控える。文醜がその隣に立ち、顔を綻ばせる。その豹変ぶりに流石の黄蓋が言葉を失う。


「もう、アニキってば来るなら来るって言ってよー。もー」

「おう、すまんな。想定外のお客さんが来たもんでね。後で旨いもん奢ってやるから」


 そしてどっかと席に座る。


「紀霊だ。黄蓋殿、委細は俺が承ろう」


 その名に黄蓋は精神を立て直す。若造と侮るなかれ。現在では政敵として火花を散らす袁家の二枚看板。「常勝」麹義の秘蔵っ子にして「不敗」の田豊の愛弟子。そしてその血筋は先の匈奴大戦でハーンを討ち取った紀文の嫡男。南皮市中で噂になっていた紀家の麒麟児である。

 いや、事前に市中を回ったのは無駄ではなかったというものである。ニヤリ、と歪む口角の動きを隠そうともせず黄蓋は気合いを入れなおす。さあ、孫家の興廃はその背に負われているのだからして。

基本孫家は出たとこ勝負の家系。お尻様が異端だと思います。

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