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そして将となる

鳴動編、完結です。

 南皮。

 袁家の拠点にして漢朝の版図の中でも屈指の繁栄を誇る都市である。その防備はまさに金城鉄壁。そしてその繁栄を象徴する不夜城。

 その中枢では袁家の首脳が深刻な顔をして膝を突き合わせていた。


「ふむ、ふむ!

 あの男が仕組んだ大乱。それを最小限の被害ですませたか」


 わはは!と大笑するのは田豊。引退した身ではあるが袁家の行く末を占う場面では助言を求められることも多い。


「儂の弟子だけのことはあるわ!」


 その声にぴきり、と表情を凍らせた麗人が口を開く。


「そうだな。私が育てただけのことはあるな」


 玲瓏たる声の主は麹義。

 袁家の軍部を束ねる存在であり、かの匈奴大戦の英雄の一人でもある。

 彼女の武威あればこそ、混乱期の袁家はその統制を保ったということを否定する者はいない。

 田豊と麹義は互いにぎろり、と睨み合う。室の空気は今や固体と化し、同室者は息苦しさすら感じる。


「さて、張家からは現当主たる張勲がこの混乱の責を担い隠居するとの書状が届けられています。

 後任は張郃を推すとのことですが、さて。どうしたものでしょうかね」


 重苦しい空気を気にすることもなく言葉を挟むのは沮授。

 現在袁家の文官を束ねる秀才である。田豊からその座を譲り受けたが、目立った瑕疵もなく無難にその責を果たしている。


「論外だな。どうせ美羽様の側仕えの女官にでも潜り込む算段だろう。

 結局張家の影響力が伸張するだけだろうが」


 麹義が吐き捨てる。その言を受け田豊は補足する。


「うむ。張勲の隠居は認めん。その才覚をもって袁家に仕えるべし。

 じゃが、いささか小細工が目立つのう……」


 田豊の不満げな言葉。そこに麹義が釘を刺す。


「それを二郎に御させるということだったろうが。

 大体貴様は弟子に甘すぎるのだ。もう少し任せてみるがよかろう」

「なにおう!この目が黒いうちは奸物の割拠を許すものではないわ!」

「いいから黙れ。貴様はとっとと隠居したのだろうが。立場をわきまえろ。今の貴様は老害そのものになろうとしているぞ」


 む、と口ごもる田豊を好機としたか沮授は懸案事項を口に出す。


「では、二郎君の沙汰についてはどうしましょうか。

 今回はかなり独走気味ではありましたが」


 袁胤の蟄居並びに張家前当主の自害。もっと穏便にことを動かせなかったのか、という批判はある程度湧いてくるだろう。


「この馬鹿弟子が!賢しげな口をきくな!」


 轟雷のごとき一喝が場を支配する。


「ふん、不本意ながらそこの老骨に同意だな。功に報いるのに罰をもってあたるなど、鼎の軽重以前の問題だ。

 信賞必罰。ならば二郎には相応しい賞を与えねばなるまい」

「さて、紀家当主たる二郎君に賞を与えるとなれば、色々調整が難しいのではないですか?」


 田豊の激発、麹義の圧力を涼やかに流して沮授はにこやかに懸念を呈する。


「既に紀家の当主たる二郎君です。さて、どう報いたらいいのやら……」


「賢しいぞ、沮授」


 麹義の刺すような言葉にも動ずることなく苦笑する。


「これはしたり。僕が賢しいならば、とうに二郎君に報いる案を提示していますよ。

 ですが、流石に此度の功に対してはですね、こう、どう報いていいやら……」


 やれやれ、困ったものです、と。

 ぬけぬけと言うその態度。さしもの麹義も苦笑するしかない。


「分かった分かった。この場にいる面子は異存ないな?

 文家はどうだ」


 これまで沈黙を保っていた文家当主。袁家に仕える武家筆頭たる文醜に主導権は移る。


「あー。アタイには正直アンタらの能書きとか筋書きがどうだかよくわかんねーよ。

 だが、アタイもこれくらいは分かる。アンタらは答えの出ないようなことをぐちゃぐちゃこねくり回しているってな。

 あんたらが決断できないならアタイが決を下すのがお役目ってもんだろう。

 文家は武家筆頭。

 それが相応しいかどうかは知らないさ。アタイたちと無関係だからな。

 だからアンタたちがごちゃごちゃ言ってるのはどうでもいい。

 文家の総意を。併せて顔家総意をもって稟議を呈するぞ。

 袁家配下武家四家。その筆頭。紀家をその座に推薦する。

 文句あるかい?」


 しん、と室は静まりかえる。

 まさか、政治的な動きなど見せなかった文家と顔家が動くなど。しかもその権勢を増加させるためではないなど!


「本気、か?」


 正気か、という問いを押さえて田豊は目の前の少女に問いかける。


「ああ。文家アタイ紀家アニキの指揮の下、袁家に忠誠を誓うさ。戦働きで我ら文家の忠誠は示すよ。

 は、もともと武家筆頭とか性に合ってなかったんだよ。

 余計なことを背負うから余計な損害がある!我ら文家、戦場のいさおしこそ本望さ!」


 文醜の気炎に麹義は目を細め、それでも問う。


「ふむ、その心意気やよし。が、その地位を惜しむ者もいるんじゃあないかい?」

「いない!」


 即答。

 さしもの麹義も目を白黒させる。それほどに惑いのない即答であった。


「アタイ達は武で袁家に、漢朝に仕えている!ならばたぐまれなる将器に従うことに何の異存あろうか!

 アニキの将才であればアタイたちを十全に使いこなすだろうとも。

 反論異論承ろう。論でなく武でもって!」


 異論あれば武で挑めと言い放つのだ。匈奴大戦の英雄たる田豊と麹義に向かって。

 その気迫まさに裂帛。両名をして黙り込むほどであり。


 そして。


 叛を未然に防いだ功をもって紀霊は袁家の軍権を担うことになる。

 重ねて、麹義の担っていた責を負うことになる。

 そして紀家は四家のうち、武家筆頭となる。


 四家の序列が変動するのはかつてないことであった。


◆◆◆


「ふう……」


 道程は山岳、森林。到達したその地は湖畔で、苦い記憶が甦りそうになる。そんな惑いを振り切り、俺は目的たる人物を認めて。


「待たせちゃった、かな?」

「ああ。待ったよ。本当に待った。どうせいつものように道草を食ってきたのでしょう?」


 背を向けたままの麗人──ねーちゃん──は冷ややかに。いつものように、愛情を込めてくれて。


「うん。でも、無駄じゃなかったと思う。

 無駄じゃあなかった。いや、俺なりに一生懸命に最善を尽くしたと思う。

 でも、ねーちゃんを待たせたのは本当だ。そこは、ごめん」


 ふ、と振り返ったねーちゃんはいつになく柔らかな表情で。ああ、この人はこんなにも美人なのだなあと再認識する。


「頑張ったの?」

「うん、頑張った」


 俺なりに頑張った。それはねーちゃんに誇っていい。ねーちゃんに褒めてほしい。

 俺は俺なりに本当に頑張ったと言える。胸を張れる。


「じゃあ、任せるわよ?」


 その言葉の重みに気づかない俺じゃあない。袁家の軍権を一身に担ってきたねーちゃんの言葉だ。

 でも、ねーちゃんがそれを俺に任せると言ってくれたんだ。


「うん。任された」


 いつも。いつも張りつめた表情だったねーちゃんが頬を緩ませる。

 俺の覚悟一つで、一言でその表情をねーちゃんに浮かばせたのならば、とても嬉しい。


「ふふ、いい顔するようになったわね。

 うん。いい男になったわね」


 ぼうや、と。


 いつか、いつからだったか。いつまでだったか。

 俺を慈しんでくれた言葉で、そんなことを言ってくれる。

 あのときの優しい笑みで。だから、俺の双眸に熱いたぎりがこみ上げる。


「ねえちゃん。ごめん。ごめんな!」


 本当に回り道をした。待たせてしまった。

 こんなにも待っていてくれたのに、この手弱女たおやめにどれだけの負担をかけたのだろう。今更であるのだが、それが申し訳ない。でも。


「ふふ。二郎はいい子ね。そしていい男になったわ。

 だから、頼んだわよ」


 ねーちゃんが纏っていた外套。袁家の軍権を背負うそれが俺の肩に。

 思いのほか軽く、そして、重い。


◆◆◆


 余人なき湖畔。

 森の陰から虫の声が響く。鳥の声が夜明けを予感させる。

 夜天の月は細い上弦。明けの明星が俺を照らす。


 これから紀家の旗。それは金糸と銀糸で彩られるのだ。袁家の軍権の象徴として。

 黒字に銀糸の紀。飾る縁取りは黄金。


 袁家の威を背負うということを、その重さを再認識する。既に俺は俺一人の身ではないのだな、と。


 ぎり、と歯を食いしばり、咆哮するのだ。慟哭するのだ。決別するのだ。

 そして覚悟を新たにするのだ。


 力の限りを尽くそう。大した知恵じゃあないが。

 滅亡が前提の我が袁家。

 そうはさせんよ。やらせはせん、やらせはせんとも。


 そう言う俺は凡人そのもの。だが。

 凡人を、舐めるなよ?


 まだ見ぬ敵に盛大に気炎を向け、俺は誓う。

 世界とかどうでもいい。

 俺は、俺を受け入れてくれて、俺を愛してくれたこの世界、いやさ袁家のために。

 頑張るんだ。頑張るんだ。


 もはや逃げるなんてことはできない。だから立ち向かう。

 立ち向かうのだ。


 三国志、という時代に。


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