はかりごと、あとしまつ
ふぁさり、と張勲は身に着けていた衣服を脱ぎ捨てる。
惜しげもなく晒した肢体は引き締まりながらも女性らしい曲線を描いている。
熟れる直前、といった風情の肢体にこびりつき、乾きはじめた赤黒い塊を侍女が丁寧に拭っていく。
ふう、と脱力しながら侍女の差し出す衣装に手早く身を包んでいく。
たっぷりと香が焚き染められた衣服は消しきれない血の香りを吸って、より蠱惑的に漂う。
結果として満足のいく流れではあったが、何もかも思い通りにいったわけではない。
薄氷を踏むが如しで、何とか掴んだ僥倖──ただし限りなく必然に近づけたという自負はあるが──であったのだ。
細心の注意を払ってはいたが、あの父親が相手である。いつ破綻してもおかしくはなかった。
紀霊に計画の詳細どころか、流れすら教えなかったのも彼の言動から不審を抱かせないため。
辛うじて自分を信じて――これも賭けではあった――くれてはいたが、少しでもこちらに疑いを抱かれたり、 生存のために足掻かれたら計画は瓦解したかもしれない。
室に五人もの刺客を配したのもそう。室を殺気で満たすためである。
殺気の流れを気取られぬようにするためであったのだ。なにせ希代の暗殺者。袁家の闇を一身に背負った化け物であるからして。
室に配した五人。彼らは張家でも選りすぐりではあったのだが、それでも紀霊が本気になれば突破されたろう。
何せ、三尖刀だ。
かの神器は例え身から離れていてもその効果を顕現することが可能。
なればあの五人に自分と張郃が参戦しても、離脱だけならば可能であったろう。
……変なところで鈍いところのある彼がそこまで察していたかは微妙ではあるが。
浮かべた笑みが幾分か苦いものを含むのを自覚しながら室を辞し、歩みを進める。
音もなく随行する張郃もまた身なりを整えており、張勲は軽く頷く。
「首尾はどうですか?」
「は、手筈通りに」
にこり、と口を笑みの形に歪めて張勲は目的地たる広間に到着する。
配下の髑髏兵が無言で扉を開け放つ。
彼女の姿を認め、愛らしい主が駆け寄ってくる。
「七乃、七乃、一体どうなっておるのじゃ?
妾が来たときにはもう、皆このようになっておっての。
どうしたらいいか分からんかったのじゃ。
なあ、どうなっておるのじゃ?」
愛しげに目を細め、最愛の主を抱え上げる。
「はいはい、どうしました?
七乃がおりますから、何も心配することはありませんよ?」
弧を描く口元に何かを感じ取ったか趙雲から受ける視線を鋭く尖る。少しでも腕の中の袁術に害意を向ければ、引き絞られた弓から放たれた矢のごとく張勲を襲うであろう。
趙雲と背中合わせに周囲を警戒する典韋。彼女もまた周りの髑髏兵に敵意を隠さない。常の彼女からほど遠いその表情、気迫。張勲は感嘆する。これに伍するには手札では張郃。それでも正面からでは危ういかもしれない、と。
視線のみの誰何。それをより一層強める趙雲の前にずい、と張郃が歩を進め視線を遮る。
大胆な一歩――そこは既に趙雲の間合いである――を踏み出した彼の表情からは何も読み取ることはできない。
一触即発。
張りつめた空気を弛緩させたのはこの場への闖入者の間抜けな声であった。
「なにこれどうなってんの?」
◆◆◆
目の前の光景に絶賛混乱の二郎です。
よし、落ち着け俺。時系列から思い出そう。
惨劇の現場から案内されたのは小部屋。そこで衣服に香を焚いてもらった。
確かにまあ、血の匂いがこびりついてたしね。ついでに茶を一服。美味しかったです。
んで、ずいぶん遠回りするなあとか思いながら広間に到着したら、星と流琉が戦闘態勢で髑髏兵に向き合ってた、と。
美羽様は七乃の腕の中で、星がそれに鋭い視線を向け、張郃がそれに応じる。
何事もないかのように流れてる優雅な楽曲がいっそ不気味だ。むしろホラーだ。
んで視線をあちらに向けると……許攸は手足をふん縛られて広間の中央に転がっており、袁胤様はおかしげにその傍らでこっちを見ている。
「ほ、ほ。中々に面白い趣向でおじゃった。誉めて遣わすぞ」
「お楽しみいただけたようでなによりですー」
にこやかに七乃が応じる。
「さても、まさかにの。ようも謀ってくれたでおじゃるな」
ほ、ほ、と雅に笑う袁胤様の態度こそいっそご立派である。
いや、流石に袁家の重鎮である。
「この!売女!最初からこういうつもりやったんか!
今に見とれよ!ほえ面かかしたるよってな!」
七乃に罵詈雑言を浴びせる許攸とは対照的である。
その様子を見て星が緊張を解く。
「主よ、どういうことなのかな?」
「や、俺だってよく知らねえよ」
肩をすくめて七乃を見る。美羽様も混乱しているようだ。
「あらら、二郎さんはともかく趙雲さんはお察しかと思ったんですけどね」
美羽様を俺に渡してぽん、と張郃の肩を叩き構えを解かせる。
それを合図に髑髏兵も緊張を緩める。
「じろう……?」
不安げに見上げてくる美羽様の頭を軽く撫でて安心させる。
よし、事態を整理しよう。んで流琉、構え解いていいからね。
俺の声にそれでもじり、と油断なく星と反対側に控えて周囲を警戒する。
「はい、事態を整理します。袁胤様他が美羽様拉致しようとしました。
七乃は乗ったふりして、その計画潰しました。
星と流琉と美羽様に情報行ってなかったのは情報の秘匿或いは連絡の不手際、以上!」
色々ばっさりいったがまあだいたいこんな感じじゃないかな。
そして俺の雑な推論の答え合わせは意外な人物が果たす。
「ほ、ほ。簡にして単。ようも簡略化しおったの。美羽よ、そやつの言う通りじゃ。
粗いが、まあその理解でよかろうよ」
さいですか。よかったよかった。
「して紀霊よ、麻呂たちをどうするつもりかな?
まさかに、この身を誅することはないでおじゃろう?」
ほ、ほ、と笑みを浮かべるその優雅さは袁家の在り方を体現されている。流石、袁家の反主流派をまとめていたのも納得の大物感である。
いや、実際大物なんだけどね。
「ええまあ、そうですね。まとめて蟄居もしくは幽閉ってとこでどうでしょ」
俺の答えに満足げに頷く。
「あらら、二郎さん、いいんですか?相手は二郎さんを排除しようとしてたんですけどー」
七乃、お前分かってるくせに……。
「処断するのは容易いけどね。それじゃ、ことが大きくなりすぎる。
既に謀反の使嗾の責は……。張家の先代が自刃している。これでよかろう。未然に防げたからこれ以上の血は流さん方がいいだろうよ」
「ああ、そうでした。お父様、見事な最後でしたねー」
その声に許攸が青ざめる。事態の深刻さをご理解いただいたであろうか。ここで求められるのは更なる粛正ではなく、軟着陸。その落としどころ。
ほいで、ことが大きくなれば次の贄はお前になるのだぜ?
「ふむ、そうであったか。あやつは果てたか。ならば致し方あるまい。なに、麻呂とて武家よ。引き際は心得ておじゃるよ……」
臥薪嘗胆なにするものぞ、とばかりに堂々と歩み去っていく。その所作は見事。かつて袁家きっての武闘派としてならした剛剣の使い手。その風聞は嘘ではなかったのだと確信にいたるものであった。
まあ、あの方だって間違っているわけじゃあない。俺と道筋が違っていただけだ。
なにせこれから乱世ですから。
「じろう……?」
不安げな美羽様をきゅ、と抱きしめてやる。
ご安心ください。誤魔化したりしません。いずれすべてご説明しますとも。
今はただ、俺にお任せください。こっからが正念場ですから。
責任者が根こそぎいなくなった如南の政治、南皮への報告、やることはいっぱいある。
それでも今は、流れた血が最低限で済んだことをよしとしよう。




