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如南の蜘蛛糸は縦か横か

 如南。

 袁術が太守に任じられ、その名代として袁胤が統治している地である。

 その土地は袁家の統治により急速に治安を回復させ、発展しつつあった。


「袁胤様におかれましては、ご機嫌麗しく」

「ふむ、苦しゅうない」


 四世三公。

 輝かしいばかりの袁家の血筋。その中でも血筋で言えば最高位である袁胤は張勲の慇懃な礼を無造作に受け取る。


「ああ、張勲。いや、うちとしたことが間違えましたな。そこな女郎。ちょっとばかし調子乗っとんちゃうか?

 張家の当主とか、ちゃんちゃらおかしいわ。

 袁家に使い潰される道具ならそれらしく這いつくばっといたらよろしいねん」


 玲瓏たる声。

 それを張勲に浴びせるのは許攸。若手ながらも袁胤の腹心を務めている。

 その能力は疑いなく、将来袁家を背負うであろうとも目されるほどの逸材である。


「これ、張勲は我らとその理想を同じくする間柄でおじゃる。

 麻呂に免じてこの場はおさめるがよい」

「は。あい分かりましてございます。

 張家当主はん?えろうすんまへんかったな?」


 にこり。

 張勲は視線を許攸から、ゆっくりと袁胤に移す。


「それはご無礼を。

 ご指摘の通り、張家当主となったとは言え若輩の身。よろしくご指導ご鞭撻いただければ幸いです」


 張勲の声に袁胤はほ、ほ、と笑みを漏らす。


「よい。麻呂は寛大じゃからの。そちの忠誠、期待しておるぞ?」

「はい。ご期待くださいませ」


 あくまでにこやかで穏やかな張勲に許攸は舌打ちを一つ漏らす。

 それに重ねるように咳払いを一つ。そして袁胤は再び口を開く。


「それはそれとしてじゃ、麻呂達はこれで不安定な身よ。

 流されているにも等しいでおじゃる。

 この状況はいつまで続くものかの?」


 実際今のままでは袁胤は詰んでいる。袁家の中でも非主流派をまとめ上げてはいたのだが、手勢諸共如南に押し込められているのだ。

 このまま飼い殺し、或いは誅滅という可能性もないではない。

 それでも田豊、麹義といった文武の要が袁紹を支持している中、非主流派をまとめ上げていた袁胤と許攸の手腕は特筆すべきものである。

 そして今、田豊が引退し、その後釜に収まったのは沮授。能力はともかく若輩であり、付け込む隙はあろう。何より田豊を相手にするよりは易かろう。

 欲を言えば麹義にも退場願いたいのだが。


「流石に田豊はんと麹義はん双方に喧嘩売るほど無謀やないですしなあ。

 せやけど、四家の当主も代替わりして威は低下しとる。

 筆頭たる文家は脳筋もええとこ、顔家は洛陽にあって影響力は低下しとる。

 紀家なんて上げ底もええとこやし、張家に至っては。はは、お飾りやし」


 じろ、と張勲を一瞥する。抑えるつもりもないのであろう。その視線には侮蔑の色合いが濃くにじみ出ていた。


「んー、如南に流されて鬱憤溜まってるのは分からないではないですけどー。

 南皮にいるより色々と動きやすかったんじゃないですか?

 悪いことばっかりじゃなかったはずなんですけどねー」


 その視線に困惑めいたものを浮かべながらも張勲は話を進める。


「好機であるというのには同意です。未だ袁紹の新体制は盤石とは言えません。

 そのために袁胤様たちを如南に追いやり、足元を固めているわけですから。

 なのでそろそろ動いちゃった方がいいかと思います」


 張勲の声に袁胤は深く頷く。


「そうでおじゃるな。機は熟せり。いよいよ、かの。

 まずは美羽を確保するのが前提でおじゃるが、そこはどうするのじゃ?」

「はいー。美羽様もそろそろ一度は如南を視察した方がいいということで、こちらに向かう計画は出ています。

 それを契機に動くのがよいかと」

「なら邪魔な紀霊が帰ってくる前に動いた方がよかったんちゃうんか?」

「いえ、それは得策じゃないですね。美羽様が如南に囚われていると知れば、手段を選ばないでしょう」


 くすり、と笑う張勲を許攸は睨みつける。


「やったらなんやっちゅうねん。あの単細胞に何ができるかいや。

 ここ如南は袁家の領域やない。軍を派遣するなぞできひんし」


 その言に張勲は小首をかしげる。


「あの人ならやりかねませんけどね……。まあそれは置きましょう。

 そうなったらきっと、あの人が考える最高戦力を動員するでしょうね。

 そうですね。ことによったら外部から手を借りるかもしれません。

 袁家からは文醜、顔良、趙雲、典韋。手の内にある孫家からは黄蓋、周泰、ことによったら孫策に甘寧。

 交流のある曹家からは夏候惇、夏侯淵。更に遠方から、もしかしたら馬超や馬岱。ひょっとしたら馬騰すら参戦しかねませんよ?

 ああ、董卓配下の張遼に……呂布すら来るかもしれませんね。

 二十に足りない一行ですが、いや、正直考えるだけでおしっこ漏れそうですね?」


 二十名足らずの一行の動きを規制や把握なんてできませんからね、と張勲は笑う。

 そして挙げた人名への反応で相手の認識を引き出し、満足する。まあ、こんなものかと。


「ふん。

 まあええやろ。紀霊の恐ろしさはその交友範囲やっちゅうことやな。

 やからおびき寄せて誅滅すると。それはええわ。実際どう始末するかやけども。

 此方からは五千までは出せる。後は賊の仕業にでもするんか?」

「妥当ですね。最悪暗殺ということになりますけど」


 張勲の言葉に許攸は首をかしげる。


「そないに簡単にいくんかいな?」

「ええ。眠らない人、物を食べない人はいませんから。

 そのために私は身体を重ねているようなものですし」


 くすり。

 その笑みの凄味。流石に許攸も息をのむ。

 辛うじて売女め、とつぶやき平静を保つ。


「ふむ、邪魔者の紀霊を排除したらどうするのでおじゃるか?

 賊の仕業にしても暗殺するにしても張家は責められよう」


 袁胤の指摘はもっともである。どちらの方策で紀霊を排除するにしても諜報を司る張家の権威の失墜は免れない。


「その責は私が取ります。

 張家当主は弟の張郃に。

 私は美羽様の慰撫に努め、表舞台には立ち戻りません」


 ふむ、と袁胤は頷く。

 そして紀霊亡きあとの絵図を示させる。


「如南は数年ですね。それから荊州へ。或いは益州へ入ります。

 言っても如南は袁家の治める三州に近いので。

 その手の及ばないであろう土地に州牧として参ります」

「ちょい待ちぃ。そないなこと、上手くいくんかいな?」


 州牧の地位などそのように軽く手に入るものではない。許攸の疑問はもっともである。


「大丈夫でしょう。美羽様が荊州牧になることまでは既に何進大将軍からも認可を得てますからね。

 むしろ反対勢力なんてないのでは?」

「……なるほどな。十常侍も賛成に回るっちゅうことかいな。

 何進からしたら筋書き通り。十常侍からしても大きくなり過ぎた袁家が割れるのは歓迎、か。

 そういうことやな?

 荊州ならば袁紹が兵を発しても孫家を。あの戦闘集団を盾にでけるか」


 にこり、とほほ笑む張勲に袁胤は満足げに頷く。


「ほ、ほ!

 なるほどの。確かに確かに。十常侍が袁家を敵視するのはその隆盛がゆえよ。

 故に麻呂が袁家を割るのは歓迎されるのう。

 何進としても、十常侍を排除した後は袁家が疎ましくなろうて。

 ふむ、見事じゃ」

「はい。袁紹はともかく、袁胤様と敵対する理由は何進、十常侍ともにありませんしねー」

「よく分かっておるの。そういうことよ。隆盛極まれば排除されるのみよ。

 栄えるのはよいのでおじゃる。じゃが、紀霊はやり過ぎたのでおじゃるよ。

 手を組んでいる何進とて十常侍が亡びれば次は袁家でおじゃろう。

 その程度のことも分からんから紀霊は阿呆なのでおじゃる」


 中庸、というものを考えろと袁胤はぼやく。


「よい、詳細は許攸と詰めよ」


 優雅な所作で袁胤は室を去る。


「ほんなら、まあよろしゅう頼むで、お飾りの張家当主はん?」

「はい、張家当主としてお会いするのはごく短い間になりそうですね。 

 よろしくお願いしますね」


 嗤う許攸とほほえむ張勲。

 その様はまさに呉越同舟といった態であった。

 

◆◆◆


「さてさて、そろそろ南皮に帰りますかね。

 ああ、美羽様お元気かなあ。きちんとご飯食べてるかなあ。

 蜂蜜水ばっかり飲んでないかなあ。

 田豊様に苛められてないかなあ。

 涙目な美羽様も可愛いけどなあ」


 くすくす、と張勲は主君の愛らしい顔を想像して頬を緩ませる。


「姉上、よろしいか」

「はいはーい、なんですか張郃くん?」


 音もなく、いつの間にか姿を現していた張郃。彼の影に驚いた風もなく応える。


「は、鼠がいますが、いかがしましょうか」

「あららー。これは気づきませんでしたね。流石は張郃くん。

 これは、すっかり穏行系についても置いてかれましたかね」


 特に気にした風もなく張勲は微笑みながら思いを巡らす。


「どこの手の者かは分かりますか?」

「は、おそらく袁胤殿……いや、許攸殿の手の者かと」

「なるほどですね。まあ、信用されていないのは知ってましたが……。

 南皮か洛陽にでも向かわせればいいのに、足を引っ張ってどうしようというのでしょうかね」


 くすくす、と可笑しげに笑う。


「刺激せぬよう、泳がせたままでよろしいか」

「いえ、処分しちゃってください」

「……よろしいので?」


 ただでさえ微妙な関係なのだ。こちらから仕掛けるのはまずかろうと、見逃そうかと思っていたのである。


「構いませんよ?ただし条件が一つ」


 ぴ、と指を一つ立てておごそかに命じる。


「一人たりとも逃がさぬように、です」


 ぞくり。背筋にうすら寒いものを感じながら張郃は首肯する。


「承りました。では、行きます」

「あら、張郃くんが行くんですかー?」

「ええ、此度は私一人で十分です」


 す、とその場から張郃は姿を消す。


「まあ、張郃くんなら間違いはないか。よ、殺人鬼!こわいぞー」


 くすり、と笑いを漏らす。

 こちらに送り込むというからには精鋭のはずである。

 それが許攸の手の者ならよし。他勢力であってもまあ、問題はない。


 情報源を張家以外にも持とうとするのはごく自然な思考ではあるが、放置してよいこともない。

 張家当主たる自分を探らせるのであればおそらく一流の細作であろう。

 が、張郃にかかっては一山いくらの有象無象にすぎない。


「あまり侮られても困りますし、ね」


 さて、それは誰に対しての言葉か。

 くすり。

 いつも通りに笑みを浮かべて彼女は歩き出す。

 絡み合う糸を紡ぐ彼女こそは絡新婦。

 袁家の闇を担う張家の最高傑作である。

 天下すらその手に転がすことさえ可能な、規格外の化け物であるのだ。


本気になったらというのは公式設定です。

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