夜明け
「万歳!万歳!万歳!」
どこかから、声が上がる。それを聞いた民衆は口々に唱和する。
酒が入り、当然喧嘩も起こる。それでも、どこからか聞こえる万歳の声。先ほどまで殴り合っていた者同士も肩を組み、万歳を唱和する。
めでたい、めでたい日である。
振る舞い酒は美味いし、そこかしこから聞こえる音楽も鳴り止まない。
この上なくめでたい日である。
「つっても、ほっつき歩いてた風来坊が帰ってきただけなんだけどな」
「身もふたもないですね」
男たちはくつくつと笑い合う。
沮授と張紘。それぞれ官僚と財界の頂点の二人。彼らは義兄弟でもある。
袁紹の思いつきを短期間で具現化し、今日の一大祭典につなげたのも彼らの辣腕あってのこと。
「しかし、こんなとこで油売ってていいのか?」
「ええ、構いませんよ。郭嘉さんがいますからね」
「確か二郎が拾ってきたんだっけか」
「ええ、そうですよ。全く、どうやったらあんなに優秀な人物を見いだし、登用できるのかと。
いやはや、二郎君は本当に埒外ですよ。
本当に、ね」
自身の声望を疎み、わざわざ偽名を名乗って仕えるべき主君を探していたという郭嘉。
新参の身故、暫くは沮授の補佐という立場になろうが、表だって地歩を固める日もそう遠くはないだろう。そう沮授は思う。
実際、日々その存在感は高まっているのだ。
「まあ、おいらも二郎に拾われた身だしな」
「おや、そういえばそうでしたね。何とも懐かしい話です。
……張紘君こそお仕事はよろしいので?」
くすり、と微笑み張紘に問う。
「おう、魯粛が帰ってきたからな。かなり助かってる」
「にしても帰参してすぐにとは。人使いが荒くないですか?」
「いいんだよそれくらいで。勘も取り戻してもらわないといけないしな」
それにややきついくらいの負荷をかけないと全力で働かないし、と言って笑う。
「おやおや、これは恐れ入りました」
話は尽きない。互いの立場もあり、こうやって馬鹿話に花を咲かせる機会も減ってしまっている。
が。
「すまん、遅れちった!」
慌ただしく駆け寄るこの青年がいれば問題はないのだろう。
「いえ、お気になさらず。今日の主役なのですから」
「そうそう。むしろおいらたちは後日でもよかったんだぞ?」
何せか彼らは義兄弟。その絆は永遠。
「いやまあ、ここを最後に思いっきり呑んで騒ぐつもりだったんだけどな。
次が入っちまってさ、すまん。また今度ゆっくり呑もうや」
「そんなこったろうって思ってたよ」
「本当にお気になさらず。姫君たちを優先してください。
それより」
沮授が紀霊の杯に酒を注ぐ。
「お、火酒か。ようやく実現したなー」
「おう、李典のお蔭でな」
「それでは」
それぞれに杯を掲げ。
「二郎の帰還を祝って」
「袁家の隆盛に」
「俺たちの絆に」
乾杯。
男たちは杯を干し、笑い合う。
やがて挑む奔流、激流。翻弄されても、彼らの絆が切れることはない。
◆◆◆
さしもの祭典も深夜を過ぎるころ。南皮は喧噪を脱ぎ捨て、静謐を纏っていた。
だが、残滓は確かに残されており、不穏を内包する。
「そこで何をしている!」
鋭い声が闇を引き裂く。
その声にびくり、と身を震わせる人影が四つ。どうやら倒れている男の身ぐるみを剥がしているらしい。
いくら南皮の治安がいいとは言っても限度がある。
既に何度も遭遇している場面とあって声の主――楽進――は落ち着き払っている。
「に、逃げろ!」
数瞬の逡巡の後に人影の一人が叫ぶ。
その声を受けて各人がばらばらの方向に逃げる。なるほど、追手を撒くにはいい判断だったろう。そして手慣れているな、と。
ただし。
「心にて、悪しき空間を断つ。
断空砲!」
相手が悪かった。
不可視の気弾が立て続けに人影を吹き飛ばす。
楽進は表情を変えることなく後続の部下に賊の捕縛、倒れている人物の介抱を命じる。
どうやら泥酔してそのまま寝てしまっているようだ。設営されている簡易宿泊所への搬送を指示し、再び巡邏を開始する。
彼女は昼間からほぼ休みなしで活動しているが、その体躯に漲る気力はいよいよ充実している。
何しろ今日は彼女の想い人――ようやく最近気持ちに折り合いをつけたらしい――が南皮に帰還しためでたい日なのだから。
もっとも、ちらり、としかその姿を見ることは出来なかったが。いや、むしろ職務中にその姿を目にできたことは幸運であったのだろう。
白を基調とした紀家の正装を身にまとい、雷薄以下の紀家軍の最精鋭を背に従えるその姿の凛々しさよ。
随分歩いたろうか。払暁は近く、街に人の影も目立ち始める。
多くは流民。
まき散らされたごみや吐瀉物、あるいは落ちている人間など。有象無象を片付けていく。
微妙に増えつつある流民の雇用は最近の袁家……さらには母流龍九商会の懸案事項の一つである。
そういう意味では今回の祭典の効果はあったのであろう。一時的なものだとしても。
軽く頭を振って楽進はそんな思いを振り切る。自分が考えるようなことではない。
目の前の職務を尽くすことこそ肝要なのだ。
「もうひと頑張りだ!」
付き従う部下に声をかけ、巡邏を続ける。
きっとそれが自分を拾ってくれたあの青年に報いることになるのだから。
昇る日輪を眩しさに数度瞬き、楽進は歩き出すのであった。




